afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

フィルムマラソン

 昨夜はオールナイト映画4本立てでした。

こちらの映画館の企画だったんですが、何回か参加したけどフィルムマラソンで満席というのははじめて見ました。ビックリした。

johakyu.co.jp

片淵監督のトークイベントと、あと「MEMORIES」の「大砲の街」を劇場で見られるの目当てで行ったんですけど、楽しかったです。

監督さんはけっこう話し好きの方なのか、上映開始ギリギリまでずっと話が聞けました。まだまだ話し足りないようにも見えて、あともう15分くらいは延長できたんじゃないか、と感じたけど、そうなると今度はぜんぶ上映するのに時間が厳しくなるのか、劇場スタッフさんもちょっと焦ってる様子だったのが少し面白かった。

劇場来るまでずっと勘違いしていて「MEMORIES」はオムニバスだし3本のうち「大砲の街」だけ引っこ抜いてやるのかと思ってたんですが、「彼女の想いで」「最臭兵器」もぜんぶやるという話。

これは時間がおしても仕方ないですね。

 

それで何とか眠気も我慢して

マイマイ新子と千年の魔法」「アリーテ姫

この世界の片隅に」「MEMORIES(大砲の街)」

全部見ました。「この世界の片隅に」以外で見たことがあるのは「MEMORIES」だけでほか二作は初見なので、その分集中力が持続したのかもしれません。

  

 

MEMORIES [Blu-ray]

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劇場で見るMEMORIESはスゴかった。3本とも全部。

やっぱ劇場だと音が違いますね。あと「彼女の想いで」冒頭の迫力も、自宅のちっこいちっこい画面で見てたのとは全然違う。「最臭兵器」「大砲の街」は言わずもがな。

「最臭兵器」とてもおおげさで大好きです。

「大砲の街」いちばん最後の上映だったけど眠気吹っ飛びました。17番砲台射撃シークエンスのところはやはり興奮します。

あと、大友克洋監督はこの頃から蒸気にだいぶ拘ってたのかなと「大砲の街」を見ながら「スチームボーイ」ちょっと思い出しました。あれも劇場では未見なんだけども、劇場で見たらまた印象変わるのかしら?

 

 

 マイマイ新子も面白かったけど、これ初っ端で「新子はかなり妄想力の強い奴である」ってのを受け入れないとキツイかも。

よくあるパターンだと妄想の癖のあることでからかったりするキャラを配置することで新子の人となりを特徴づけるんだろうけど、そういうのがないんですよね。妄想とか想像力の強さが交友関係に影を落とすことなく受け入れられてるというか、そういう癖があることを殊更に表に出さないまま、けど話は新子の強すぎる想像力とそれに巻き込まれていく貴伊子で展開していく。

そこが有り得ない、みたいに受け入れられないとぜんぜん肌が合わない感じになるんではないかしら。

1000年前の牛車とぶつかりそうになるところを想像して道でワタワタしてみよう! 

という話がツッコミなしで続いていくことを受容できるかどうか、ここで評価が別れる気がする。

そういう話なんだって受け入れれば、空想にしょっちゅう飛んでいくけど同時にキッチリ現実でも居場所があって、その両方を自在に行ったりきたりしてるのが面白いなと感じました。

 

こんな感じでぜんぶ良かった。見てよかったと思ったんだけれども中でもいちばん印象深かったのは「アリーテ姫」でした。今まで見てなくて損した。

・・・いろいろ書いてたら長くなったので感想は分けたいと思います。

 

怖いんです、怒鳴る人は。

住んでいる場所は、公園へと続くコースからは外れている。
にも拘らずこの時期は街宣車の音がよく聞こえる。
・・・明日は六日だものね。

町へ出ると、今度はお城付近やドーム付近でデモ隊のシュプレヒコールが聞こえる。
風物詩ではある。
広島に出てきてからだいぶ慣れたけど、田舎から出て来てはじめて見たときには大いに驚いたもの。牛田大橋のあたりの交差点で、右翼の街宣が10台くらいずらりと並んでいたのを見たときは壮観だったなぁ。全国からこの時期遠征してくるのだ、っていうのを実感した光景でした。
高速のインターも近いし、きっと高速道路使ってあちこちから集結したんでしょうね。

初めの頃は、うるさいし何だか(両方とも)気持ち悪いな、と思っていました。
今もそうした気持ちはあんまり変わってませんが、ただ気持ち悪い、というだけじゃなくて、すごく残念な光景だと感じるようになりました。

反米、親米のベクトルはさておき体制を攻撃する左翼を痛罵し街宣で大音声を鳴らす右翼。
核廃絶と平和を訴えるものの、少し掘ればそれは体制批判の便利なパワーワードでしかないことがバレバレの左翼。
鎮魂と追悼を前面に押し出したルーティンのような特集やら企画やらで目白押しのマスメディア。

ほぼこの三つのベクトルに、意見や言葉が集約されてしまう状況。すごく不毛だと思う。
もっと濃淡あるでしょうよ?

去年書いたけど、被爆直後の広島で「仇をとってください」って斃れた人もたしかに居たのにも拘らず、
この辺の恨みつらみを抱えた人たちの霊魂に応えるような言説なり意見なりが出せないような雰囲気。

「復仇未だ成らずもけして諦めず」

こういう形で死者を弔う回路があってもよろしい、というか、恨みを持って亡くなった人への鎮魂はある程度そうした色合いを含まないことには鎮魂として機能しないのではないか? それを受け止める者が居ないってのは悲劇なのではないか? と思う。

反米という形でそれは残っていなくもないんだけど、「俺たちの先祖泣かしたアメリカいつか泣かす」という明確な反発とはちがうし。
まあ明確な反発ってつまり「もう一回戦争して次はアメリカぶっ倒す」という非常に物騒極まりない主張につながるのでとても無理だけど、感情としては、そういう気持ちを抱えて死者の恨みに応えるみたいな構えがあってもいいだろう、と感じる。
感じるんだけど。
それをおおっぴらにしてはいけないような雰囲気に覆われてる。
上記に挙げた三つのベクトルに掬い取られない形での意見の表出が抑え込まれているみたいな重苦しさ。

上の二つは声のデカさで周縁の言論を封殺する感じ。
タイトルどおり。Zガンダムという古い古いアニメのおかしな主人公のセリフですが、これには心の底から同意する。
街宣の言葉の過激さもそうだけど、左翼の人のスローガンもちょっと過激すぎて第三者が見たらギョッとしますよ。

そんなのが主流として表に現れている → これらはヤバい奴らだ

ってなるのもむべなるかな。内部統率で抗争し続けるのもいいけどたまには外からどう見られているのかを気にしたほうがいいんではないか。


下の鎮魂と追悼も厄介で、どうも天災の類と同じ形で処理しようとしてるのが違和感がものすごくある。
あんまり上手く言えない違和感だったんだけどようやく少し言葉に出来る気がする。
慰霊碑で「過ちは繰り返しません」言ってるんだから当時の日米どっちの過ちだったと解釈するにしても、それが人の為した災厄だってのは理解してたはずなのに、いま「誰某の過ちゆえにこうなったのだ」という名指しができない空気感が気持ち悪い。

アメリカが残虐やで・・・と言う話で仕立てたら親米のノイジーがクレームするだろうし
当時の日本の軍部がアカンかったんや! という話で仕立てたとしても愛国のノイジーがクレームするだろうから
中の人的に原因にまで踏み込むのはめんどくさいってのは分かる。分かります。
けど人の為した過ちだって認識を持ってる人が居る(居た)以上、天災と同じように「しゃーない」って処理で鎮魂されたり追悼されたりする魂ばかりじゃないこともまた確実なんですよ。
昔は体制批判とかもやってたみたいじゃないですか。アメリカいつか泣かす、ってベクトル仕立てはあんまやってなかったみたいだけど。
もっと掘り下げていけばいいですよ。「誰某の過ちだ」って名指していいですよ。意見の衝突もクレームも上等ってスタイルで行きましょう。

右翼左翼みたいに「俺が絶対無謬で、お前の意見はきかねー」ってのも不毛ですけど
「これは天災だからあれこれ考えてもしょうがなかったんやで」ってのも逃げでしょう。
いまのマスメディアのやってる伝え方って「追悼と鎮魂のために静かに祈れ、混ぜ返して無粋なことを言うな」っていう無言の封殺に見える。

無粋だろうが何だろうが、そうして混ぜっ返して、かつて存在したことを思い出させないと永遠に零れ落ちたままになる死者だっている。
恨みを持って死んでいった死者の魂を「なかったこと」にしてしまうのって不健全です。いずれおっきな祟りがあります。少なくとも吾はそのように信じています。
だから「なかったこと」などにせず、いろいろな思いを抱えて生き、そして死んでいった死者がいたのだってことを、忘れずに自由に語れるような環境を整えていきましょう。

 

 


・・・と言うような事をつらつら考えられるようになったのは「この世界の片隅に」を見たおかげだと思う。

やっぱりよくあるパターンに掬い取られない生き方とかあるんだ、って確信した。 

 

 

 


ラストのすずさんの激昂と径子姉さんの嗚咽は画期的だったんではないか。

ああいう形で敗戦を迎えた人間が居たってことをおおっぴらに出来たのはすごい。

伝えられてきた敗戦の姿ってかなりステレオタイプだったのを、崩していけるきっかけになるんじゃないだろうか。
今までの敗戦や終戦の時に語られてきた市民像とは異なるので、受け付けない人も居るかもしれない。
けれど、その人その人で敗戦の受け止め方に濃淡があるってのは少し考えれば当たり前のこと。
その当たり前をちゃんと描ける、当たり前を気付かせてくれるというのはとてつもない映画だなと感じました。

今夜また見てくるけど、ちょっと躊躇もあるんだよな・・・空襲シーンが怖い。

明日は土曜日

相撲で言うところの立会いは強く当たって後は流れで~~、みたいな感じで流す週末。

月曜日の憂鬱から考えるととても信じられない心の軽さ。

吾は本当に労働がダイキライなんだね!

 

もう何十年も続けてるんだからいいかげん慣れないものか?

しかし慣れないんだなこれが。

中途で自己都合や相手都合でブランクが挟まってるのも拙いのかも

これが勤続無欠勤10周年とかだったらもう少し心の揺れはないんではないか?

つくづくブランクが悔やまれるが、自己都合退職は吾が悪いけど、向こうがクビ切ってきたのは吾悪くないし。このブランクのせいでバイオリズムが安定しないのであれば・・・とても残念。

けど無欠勤10年続けたら確実に憂鬱な月曜日が消えるのかといえば、それも確証はないわけだし、すぎたことを悔やむのもあまり生産的ではないので前を向こう。

よって、これからどうすれば月曜日の憂鬱を回避できるかを検討する。

もっとも、最善の答えは見えている。

労働を窓から投げ捨てればよい。

・・・それが出来たら苦労はしない。

どうも最高のソリューション? という奴は見えてるのにそれはぜったい選択してはいけないみたいなストレス。

昔のゲームでなんかよく分からんものを捨てようとしたら「それを捨てるなんてとんでもない」ってコンピュータに拒絶されるあの感じに似ている。

捨てられんのなら最初から表示すんなよ、という苛立ちにも似て

辞められないんだから最初から夢見せんなよ、という理不尽な思いがふつふつと沸く。

 

もう人生何度目だろうなこの無益な問い。

 

労働を止められないのなら他の解は五十歩百歩なのは良く知ってるじゃないか。

そもそも明日は土曜日というこのタイミングで、3日後の憂鬱を思って嘆くとか、とてもとても非生産的。メンタルがゆるくなってる。

 

不惑も近いのだから考えても詮無い雑念が沸くのをどうにかしたい夕暮れ。