afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

一〇式。或いは五式。

今年も残すところ二ヶ月もないわけだが、だらだら続けてきたこのブログ、同時期に読者になったりなられたりしたブログが軒並み更新が途絶えていて諸行無常を感じる。

 

アクセス稼ぎにおススメ10選とかやってた人の更新が絶えたのは割と早かった。

本人が本気でおススメ、って感じで書いてないとただの作業になってきっと面白くないんだろうな、というのは感じる。

文章がね。

ふだん上手いな、って感じる文を書いてる人でも

吾の書いてる奴みたく文末の〆がワンパターンになるの。

あっこれはちょっと気分乗らずに書いてますね、っていうのがふわりと漂う感じ。

 

かといって好きすぎるものを奨める記事を書くのもそれはそれでめんどくさい。

熱量は伝わってる来るけど早口すぎてブロガーさんの言いたいことの半分も多分伝わってないようなアツい文章も割とよく見た。

よく分かる。

吾も上手くはないけど、わりとしょっちゅう溢れるパッションで早口すぎて気持ち悪い文章になっちゃったりするからね。

吾の場合、「覇者の戦塵」読み終わったけど、いろいろ言いたいことありすぎて迂闊に書けないし。書き始めたら深夜のおかしなテンションが平常運転になってしまいそうなので自重します。

 

もともと文章が上手い人であればあるほど、こういう勢いに任せて書いてしまったブログを公開した後に後悔して交信が途絶えてしまう、というケースもあるのではないか、というようなものにも遭遇した。

 

読んでる人が読みたい記事と、自分が書きたい記事と、この辺のバランスは生真面目な人ほど対応困難になってブログそのものを更新止めちゃうのかなぁ、って思ったり。

 

風の吹くまま

気の向くまま

そんなブログがひっそりジメジメ続くんだろうな、とちょっと更新が続いたくらいでいっぱしのことを言ってみる。ブログくらい、気負わず気楽にやってもいいと思うんだけど、みんな真面目よな。

自らの依って立つところ。

資本主義のお国で生きてる以上、ゼニがその成員の「フルスペック感」を規定する物差しになってるのは否定しようがないよねって思うの。 

 

個人主義社会の少子化対策は、母親が儲かるようにすべきだが、できないので日本の衰退待ったなし - シロクマの屑籠

戸籍の改廃もイヤ、選択的夫婦別姓もイヤ。女性が経済主体として自立する事をとことん嫌ってるくせに「子産め育てろ」とは片腹大激痛。根っこから目を背けて小手先ごまかしで逃げ切れるほど簡単な問題じゃない。

2017/11/06 10:07

 

どこの国でもそうだっただろうけどさ。

女性が働いて得られる賃金ってずっと低くて、それもあって雇用機会均等法とかできたわけでしょ?

資本主義体制なので「銭こそすべて」っていうのがリアルなんだし、その成員ならゼニ欲しがっても当たり前だわな。

 

銭isアイデンティティ

 

話の主語を膨らましておっきくして

「子育てって素晴らしいよ」

「ママンはえらいよ」

って言われても、実態として銭の面で不自由を感じるように仕組みが仕上がってるなら

「そのポジション要らないっス」

ってなるのも割と当たり前かなぁ、って思うんよな。

 

そのどんだけ上っ面を取り繕おうと否応なしに突き付けられるリアルな

ゼニなしの虐げられ感 を何とか少しでも是正しようよ・・・っていうのが先に立たない限り、女性のほうから「子供産んでやるか」って気分になるわけないじゃん、って。

 

母子の福祉を狙って支給されるゼニも、いったん戸主に向かって支給されるわけじゃない。その時点で、母子にゼニコントロールの自律感ないよね。

実態として財布は妻が握ってるぞい、っていうかもしれんけど、支給のあて先は戸主名であるわけで。母子狙いだけど母子に充てた金じゃねーぞ、って言われてる。

 

仕事してても結婚して姓が変わったら、商売やってる相手に

「名前変わったんすよ、へへ」

ってまた説明して回らなくちゃならなかったりというめんどくささ。

大した手間じゃないじゃん、と思うかもしれんけど、名前が変わる≒担当が変わるくらいのインパクトになるケースもあるからね。

なぜか担当してる中の人は変わらんのに、名前変わっただけでめんどくさい手続きがどんどん積もるという理不尽。

 

吾が事として考えてみよう。

・・・殴りたい。割とマジで。

あまつさえ

 

「誰に養ってもらってると思ってるんだ」

 

とか言われたら本気で刺すかもしれない。妻ポジだったら。

 

子供産む幸せそりゃあるだろうと思うよ。けど、この「銭こそすべて」な資本主義体制・個人主義の時代に生きる一人の人間に対して

「子産みクエストをこなしてる間はまあ、いっぱしの経済主体と見做さねえから」

って突きつけられたらどうよ。

 

そんなら吾は子産み子育てお断りである。

「夫は外で稼ぎ、妻は内で支える」って観念は昔は通用したと思うけど、

ゼニがすべての価値を規定する極端な資本主義の時代にあっては、直接にゼニを得ていない妻の側のストレス・不能感は半端ないんじゃないか。

この不能感を緩和しないとどうにもならんと思うので、妻も何らかの形で稼いでるぞ、っていうリアルな銭を直接渡すくらいのことをできる制度設計をしない限り、問題は全く解決しないよな、って感じた次第。

 

雑な印象だけども、

子供dis・高齢者disなんかも、その対象が今この瞬間のみを切り取った時の評価が

「中途半端にしか稼げない主体」or「お荷物な主体」

であるから盛り上がってる面があるんじゃないかな。

女性disや一頃流行った「キモくて金のないおっさん」disも、おおむねその流れ。

 

稼げる主体、フルスペックの経済主体として振る舞える人間ならば、ゼニこそすべてのこの世界の価値観においては、欠格したほかの主体に対して、どれほど横暴に振る舞ってもOK牧場

 

そんな雰囲気が横溢してるからこそ、そういうマッチョガイからdisられる存在へと転落したくないがために子育てステージに移行することを拒否してる面もあるんではないかな、と思いました。

 

たぶんもっと複雑な理由があるんだろうけどね。

けど出産や育児に専念することでゼニを稼ぎ・使うフルスペックな主体から一時的にせよ離脱することへの抵抗はけっこう大きいんじゃないかな、って感じている。

その後の復帰に向けたフォローも全く不十分なので、躊躇するのもしょうがないよな、というのが吾の感想です。

我等の星、彼等の空

正しいかどうかはしらんが、こういうおっきい話好き。

 

 

「収益逓減の法則」で、モノたくさん売り続けると利鞘が減るけど

いっぽうで

限界費用逓増の法則」で、モノ作るのに必要な資源調達コストは上昇する。

やがて売上とコストが均衡しちゃう事になるのが通常だよ、という原則がある。

で、これから考えると、

生産のぶっとい柱であるエネルギー調達に際して、オイルショックまではまったく

限界費用逓増の法則」が働かなかった。

誤差の範囲での原油価格変動はあったけれども、生産力がグングン上がって

原油の需要もガンガン増えてるのに、なぜか(なぜかでもないが)原油は安いまま推移したので、生産が増えるにつれてコストが上昇して利益が減る~~、というサイクルには乗らず、順調に成長を続けてきたのが近代なんやで、という話。

 

この近代の前提となる

「エネルギーコストは安いままずっと不変だぞ」

ってのはむしろ例外で、この例外状況において達成されてきた「ぐいぐい成長する経済」というのは異常事態である、今後はこういう成長は望めないが、どうなるのか?

についての展望もちょっと展開されてて、なかなか面白かったです。

 

実際の理論としての妥当性はとりあえず措くとして、

(当方、正誤の判断が出来るほどの経済の知見を持ち合わせておりません)

世界の歴史の捉え方として面白いなぁ、と。

収益とコストの均衡で「もうこれ以上成長は望めないよ」という利子率革命ネタとか。

フロンティアが消失したので、電子空間に新たなフロンティアを見つけようとしたけど、それが実体経済の好転(利子率の上昇)には繋がってないよね、とか。

 

以前

「10万年の地球未来史」読んだときに思ったのと似たような爽快感。

どっちもオチとしては、なかなか暗澹たる未来なんだけども長スパンで見れば

「まあしょせん、人類なんぞそんなもんよな」

というのもあるので、 単純に神の視点に立った気にさせてくれるこういうのは大好き。

10万年の未来地球史

10万年の未来地球史

 

 ※中でも「酸化する海」のくだりはステキに衝撃的。

環境・温度コントローラーとしての「海」が無言でじわじわと毒に犯されていく感じ。人類がのほほんとしてるその上っ面の裏と底で破綻がたしかに進行しているというストーリーはゾクゾクする。

 

で、せっかく神の視点に立たせてもらったので妄想を膨らましたい。

既に先進国の資本家ちゃんたちは「自分にとってOK牧場な利潤を誇るステキ市場」を見つけられなくなって、今まではエネルギーを安く買い付けて利潤を確保してたけれども、そういう損(エネルギーコスト)を途上国に押し付けることで富を得てきたカラクリも難しくなったし、今では自分で自分の足を食うタコみたいに、それぞれが本拠とする国の労働者層の労働コストを低減することで収益率の改善≒利潤の改善を目指そうとしているわけですが、それにしたって限界があるわけです。

 

エネルギーコストの低減もだめ

労働コストの低減も限界がある

次なるフロンティアだと思ってた電子空間はバブル塗れでしかも実体経済の利潤回復にはほぼまったく寄与しない。

過去のフロンティアを獲得した覇権国たちは他を圧倒する利子率でおっきくなってきたのに、それが電子空間というフロンティアでは成り立たない。

 

さあどうする?

となったときに資本家ちゃんたちが次に目指すのはきっと宇宙ではないかな、とおもいついた。

根拠はない。

ただ、電子空間というフロンティアは広さは無限大だけどそれが利子率の回復に寄与しなかったのは、その空間で実際の人間の活動が伴わなかったからだと思うの。

大航海時代のあちこちの別世界との遭遇も、USAの「ネイティブアメリカン駆逐するよ!」な西部大開拓も、フロンティアは生々しい人間の欲望の舞台でもあったわけだ。

電子空間に活路を見出そうとしたものの、その空間では取引はほぼ機械任せで、そういう人間のドロッとした感じの生身の欲望が剥き出しな感じではなかったのが良くなかったのではないか。

利子率の回復(フロンティアの再発見)には、そこでたしかに利益が上がるという実利と同時に、それを求めて争うリアルな人間達の血が必要なのではないか?

 

そう考えたときに

リアルな人間の活動を伴って、同時になんか利益が上がりそうなロマンを掻きたてる舞台となると・・・宇宙やんけ、と思った次第。

まあそこに達するためのエネルギーコストも労働コストも今までの比ではないので、きっとそんな大々的に広がる世界じゃないだろうな、とは思うけれども・・・尖ったごくごく一部の資本家は宇宙でガチに開拓はじめたりしないかなぁ、と思ったり。

 

EUは閉じた帝国、エネルギーコスト的に維持しうる経済圏は決まってくる、という話も面白かったけど、そっちのネタはあまり面白いことにはならなさそうなのでスルー。

(コスト的に言うとアメリカが「閉じた帝国」に変節するとしても、太平洋挟んだ日本がそれに属して周辺として生き延びようとしてもなかなか難しいもんがあるよね、というのはなんとなく分かるし、そうなると中共の周辺になるというのはコスト的には妥当な展開なのかな・・・? という妄想も起こってくるけど、これはどっちに転んでも楽しくないのでパス。)

 

ロケットでいっぱい宇宙飛ばして宇宙植民地が出来て「ここがフロンティアだぞい」ってブイブイ言わせてるようなカッコイイ資本家が現れて、そこでやっぱり労働者は搾取されている、そんな未来があってもいいと思うのです。

フロンティアがなくなったから国民国家の成員の下の方から順繰りに共食いして延命していく未来よりは、よほどね。

 

 今日のタイトルはこちらから。

この作者の例に漏れず未完で終わってこれからも永遠に未完だけど、話の雰囲気は好きだったよ。