afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

幽霊というもの

唐突な話だが、すでに亡くなった人のことを思い出すときに、思い出そうとしても、なかなか思ったようには、思い出せない。

近しい人であってもそうだ。

どういう人だった、というのを静止画みたいに思い出すことはできる。意識して「あの時あの人はああ言った」みたいなことは思い出せる。

けれど、本当にその人(亡くなった人)が話していた時の口ぶりや表情、身振り手振りまで生き生きと思い出せるのはものすごく突拍子もないとき、脈絡がまったくないときだったりする。

 

子供のころの記憶について親や親戚から

「お前は祖父(祖母)にこういうことをしてもらったんだぞ」

みたいなことを言われて

「ああそう言えば・・・そういうこともあったな」

って思い出すことはあるのだが、なんかそういう時に思い出す情景ってツクリモノっぽい。たしかにあったことは間違いない。それなのにどこか嘘くさい。

 

それに対して突発的に思い出す話は脈絡がないのに、なんだか生々しい。

 

さっき夕飯を食いながら、子供のころ木登りをしていて枝が折れて屈んでいた祖母の背中に落ちたのを思い出した。

脈絡がないにもほどがあるのだが、登る前から祖母に

「その木は枯れてるし危ない」

と諫められているにも拘らずに

「うるさいな登りたいから登るんや」

という生意気な気持ちで答えもせずにずんずん登ろうとして、手を掛けた枝が派手に折れた感触まで思い出した。

 

夕飯と木登りの間に何か脈絡はあるだろうか?

あろうはずがない。

 

この話に限らず、生々しく思い出すのは脈絡のない、よく分からない拍子に思い出してしまうものが多い。

思い出そうとして思い出すものには作為があるから、その分何か作ったような感じになってしまうのだろうか。

かといって全く心の準備もできてないところに不意に思い出が蘇っても、それはそれで困る。

生々しい分、もういないんだな、というのがあらためて身に染みるので、身構えてない不意打ちだとけっこう凹む。

 

だけど思い出そうとして思い出す時の故人の雰囲気もちょっとちがうよな、って違和感があるのでまったく不意打ちを掛けてこなくなったらそれはそれで寂しい。

 

不思議なもんだ。

思い出したい時に、はっきりとした輪郭で思い出せたらいいのにね。本当の思い出というのは、そうそう生きている人間の都合に合わせて蘇ってくれるものではないのかもしれない。

案外、あまりにも脈絡がなさすぎるタイミングでこれ以上ない生々しさ・生き生きとした感じでよみがえる故人の思い出のことを幽霊と言ったりするんではないかな、と思った次第。

生きづらさ=俺は苦しいのにお前がのうのうと生きてるのが辛い

みたいなところあるよなあ、としみじみ思う。

 

吾の中で。

外側の視点に敏感すぎるのか

自分に対する期待が高すぎるのか、その辺はよくわからないけど

生きづらさを感じるとき、自分と似通った人たちへの視線の鋭さは割と怖い。

人間は自分をモノサシにしてしか測れないので

「自分と比べて楽してる」

「自分は奴に比べればまあマシか」

みたいなマウンティングをちっさなちっさな差異の中でやる。

吾もやる。

んで我に返ってゾッとする。下衆すぎるだろ、と。

この自分の下衆とどう付き合っていけばいいのか、まだ分からん。

 

ちっさな差異を無視して「だいたい同じだな」と共感できるようになれば良いのだが、いかんせんそうした寛容の心に乏しい。

 

書いてると欝々としてくるね。

自分の苦しみや怒りを、他人が思ったように理解してくれないからと言って

「お前にはわからない」といって切り捨てるのを繰り返していくうちにどんどん生き心地が悪くなっているんじゃないか。

 

俺を丸ごと受容しろ、さもなければ敵である、みたいな圧力を

生きづらさを感じるときの自分

それは自己責任だろ、みたいに他人を突き放すマウンティングしてる時の自分

ベクトルは真逆だけども、両方の気分の時に共通して感じる。

 

生きづらさモードにいるとき、マウンティングモードにいるとき、どっちもやたらと攻撃的になってるというか、他人に対してめちゃくちゃ閉じてる感じがある。

吾の中ではこの閉じて排除する感じ≒下衆なんだと思う。

 

こういう気分になるときはあまりよろしい精神状態じゃないんやな。

手前で気づくこともあるけど、暴走することもある。

もうちょっと、常日頃心に余裕を持っていたいとおもう。他人よりもまず、吾のために

 

やさしくなりたい。

 

ただその方法がわからない。困ったもんだ。

そろそろ12月

早いよ。

1月にこっそり

「今年やりたいこと100」

みたいなクソまとめブログのような目標を立てたけど、今見返したら3つしか出来てないし。

アカン。

ここから巻き返せるのか。たった一月で。

来年はもう少し少なめの目標にしようと思った。

 

というか、年初は色々と変な自己啓発本いっぱい読んでたんだな、って思う。

ブログやる以前はあまり記録を残してなかったけど、それでも履歴を追うとこの時期の読書傾向が偏ってるのが分かる。

吾ながら何があったの、って思ったけどあれだ、試験勉強行き詰って逃避してた時期とバッチリ重なる。目の前のハードルを越えるのが辛くなって、もっと違う何かがあるはずって思ってしまったんだね。思い出したら辛くなってきた。

そこから反発して起き上がるバイタリティがないのがネックよな。

なんとか奮い立たせなくてはならんのだが、充電にかかる時間が長すぎる。

人間もバッテリーみたく、劣化が進むと充電は長々と時間食うのに放電時間は3分とかそういうギャグみたいな事になるのかしら? きっと吾のような怠惰な人間の特殊事例だと思いたい。

今から来年の事を言うのも詮無いが、かといって今年やり残したことをやりこなすには時間がなさ過ぎる。

よって切り替える。

 

・こなせそうな目標はいくつか達成する。

・来年はやりたいことを減らす。

 

年末また見直したい。