afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

変わるもの変わらないもの。

自分用しおり、ちうか雑感。

 

エリック・クラプトンの人種差別発言

日本人の自然増はもはやどうしようもないのにxenophobia拗らせててすごく狭くて可愛らしい。排斥による衰弱死と移民受け入れによる圧死、どちらを選ぶか呻吟した挙句の台詞でもなさそうな軽さも微笑ましい。>小沢健二

2019/12/03 04:27

 

これ。

そういや相方*1もなんかやらかしてたよな、って思いだしてググってみた。

そのものズバリが引っかかった。すごいぞはてなブログ

koritsumuen.hatenablog.com

 

koritsumuen.hatenablog.com

 

まあそこそこ酷いっちゃ酷いんだけど、たった四半世紀前にこれが「イケてる」感じに音楽雑誌に載ってたわけですよ。今もそうかもしんないけど。

和光だから、とかじゃなくて、こういう過去に「やっちまったこと」を無邪気に

あるいはひょっとしたら誇らしげに語ることが許される空間があって、それが公衆に向けてガッツリ開かれていたのが四半世紀前。

すごいよな、と。

今の感覚で当時の空気を語るのは無理があるとは思うけども、それでも

「世の中相当変わったんだな」としみじみ思います。

 

で翻って。

冒頭の可愛らしいオザケンの認識

 

にしても、界隈でやる分にはいまだに鮮度を保っているのかなって。

公衆の面前*2でこういうことがジョークになり得る、みたいなメンタリティの人を見ると危ういなぁ、と思うようになった「こっち側」がだいぶ変わったんだろうなと。

 

で、こっちがそういう風に変わって、割と世間の雰囲気も大っぴらな海外DISとかそれをもって笑いのネタにするにはあまりにセンシチブ、という感覚は共有されつつある中で、ずっと変わらずに居られるという環境というのはどんなものなのかしらん、とちょびっと気になりました。

 

世の中全体の潮流として見た時にいいのか悪いのか分からんけど。

オザケンtweetコーネリアスのinterviewにポジティブな感情が湧かなくなった自分は、嫌いじゃないかなぁと受容してます。

こういうのを「カッコいい」と思えるような自分に成長する路線はどこかにあったんだろうか。

ちょっと思いつかないです。

*1:コーネリアス

*2:と言っては言い過ぎかもしれんけど、Twitterってまあそんなもんよね。

ゆうぐれにあめがふる。

ホモサピは弱いので、すぐに合羽を着たり傘をさしたりする。

それでも袖や裾が濡れたりすると不機嫌になる。

 

樹の下にいれば、軒下にいれば濡れにくいのだけど、まったく濡れないということもない。風向きがちょっと変わっただけで吹き込んでくる雨に打たれるし、木陰だって葉と枝の隙間をつたって雨は落ちてくる。しばらく凌いで葉の上に溜まった雫が、雨を吸って大きくなって、それで重みで枝が垂れて大粒が落ちてくることだってある。

 

のらねこは、こういう環境で生きてるんだよな。

 

割と冷たい雨だったので、そんなことを思った。

のらねこはまだしも隙間が見つかるからいいけど、これ(めったに見なくなったけど)のらいぬだったらどうなるんだろう?

事情はどうあれ、捨てるというのはやはりギルティ。

それとも、それでも保健所に引き取ってもらうよりは生き延びられるだけマシ、とのらたちも思っているんだろうか。

けものもアレで感情が割とあるというのが最近分かってきたらしいけれども、「自分がころされるかもしれん」という状況を把握する能力もあるのだろうか?

 

ここでは敢えて「ある」と仮定したうえで。

 

それと比較しても「のらである方がマシ」という風にけものたちは考えるものなんだろうか?

今日の雨はのらの生活ではほんの序の口の試練だろう。

これから本格的に冬がはじまる。

どこかで野垂れ死ぬことも当たり前にある。

それでものらのほうがいいのかしら?

 

先日引き取られていったねこの動画を見せてもらいながら、そんなことを考えた。

その写って居るねこ自身は「のらでいた頃」よりは幸せそうである。

こっちの勝手な思い込みかもしれないが。

ただそれはたまたま運良く見つけて、たまたま運よく人間をあんまり怖がらない性格だったおかげで保護しやすくて、そしてたまたま飼い主が見つかっただけなのだと思うと、のらの中では異常に運の良かったねこなのだな、と感じる。

 

運の悪いのらの方が、ずっと多い。

目に留まることのあるのらよりもさらにずっと、想像以上にいるんだろう。

いぬになれば、もっと悲惨だ。

目についたかと思えば駆除の手が猫よりはるかに早く届く。のらで生きることすら難しい。

 

愛玩動物である以上、モノ扱いされるのはしゃーないことで言っても詮無いというのがリアル、なのかもしんないけどさ。

けものに、のらになるか、保健所で死ぬか。その2択を迫る。

迫るというか自分のご機嫌次第でどっちかを選び、けものに強要する。

これが人としてあるべき姿なのかなぁ、というのは思う。

商品としてサイクルが回らないとおまんま食い上げ、というおカネのリアルはあるかもしれんけど、ちょっとモヤモヤする。

いぬねこを看取らず捨てる、処分するって飼い主は、最後まで看取る飼い主よりもずっとずっと少ないというのが現実であるにしてもさ、一方でまだ愛玩動物商売の裏でこうやってbuy&releaseを繰り返しているホモサピもたしかに居るわけで。

 

そいつらの存在は少数だから無視してよい、

愛玩動物商売、ビジネスの倫理性は向上しつつある過程なのだから

というのには、命はちょっと重すぎるんじゃないのかしらね、という風に感じた次第。

売買双方の倫理が高み極まって、いずれ無責任にけものを扱うホモサピが根絶されるかもしれないという未来が予見できたとしても、そこに到達するまでに消耗されちゃう命のことを考えると、やっぱ止めた方がいいよなぁ、と思います。

俺の考える滅びの形。

まとまってないけどとりあえず備忘録。

 

これ読んだ。ブコメも含めて。

anond.hatelabo.jp

 

それでこれ読んだ。

 

桜を見る会なんかみんなどうせ忘れる - メロンダウト

これはもうだめかもわからんね

2019/11/27 08:36

 

どうせ忘れる、って大きいよなって思って。

 

 

議事録も作成しない「誤った政治主導」 | すが義偉の「意志あれば道あり」 Powered by Ameba

良く見つけてきたな。/今の菅にぶつけても毛ほども動じないと思う。冷笑リアリストにとっては起こったことがリアルだから。筋の通らない事態を招来した要因が自分にあっても「世の中ってこんなもん」と言えばOK。

2019/11/29 05:23

 

とどめがコレ。

 

後から「そういやあったなあ」って思いだした。

かなり政権アンチであることを自覚している自分だけど、過去の言を左右にしたネタをそれでも忘れてる。

忘却って本当にろくでもない。

 

んで。

こういう忘れっぽさは俺だけかもしれないけど、これがもし多数派マジョリティだったらやりやすいよな、と。

ここから先、頭がこんがらがってて、どう言えばいいのか分かってないので箇条書き。

 

与党で何か不祥事が起こる

野党が突っ込む

ご飯論法やエクストリーム擁護で枝葉末節に拡散していく

忘れる

しばらくして、同じネタがぶり返す

 

これ何度も何度もやってるうちに、どんどん規律が弛んでるように見えるのは「枝葉末節に拡散していく」展開の中で、毎度のように

「悪夢のような民主党政権

のイメージが喚起されるのが大きいんではないかな、と。

イメージはあくまでイメージなんだけど、今現在

「ここで起こっている不祥事」よりもまさに、「あの民主党政権」はよりクソである。

という共通認識を強化することには成功してるんじゃないかしらん? と。

 

じっさいに昔の民主党政権の有り様とちゃんと比べるとかじゃなくて

「そう言われると奴らも大概だったよな」というイメージを想起させてしまえば成功。

アレに比べれば、今の方がマシだよね、というオチに辿り着くのは簡単。

 

不祥事の内容はすぐに忘れるくせに、不祥事が発生するたびに再召喚される

「悪夢のような民主党政権

を口実に使えるおかげで延命している面はそうとう大きいんじゃないかしらん?*1

 

こうやって不祥事があるたびに枝葉末節に拡散して最後には

 

「どっちもどっち」

 

に持っていくスタイル。

不祥事と正面から向き合わないことで、自分の軸というか、かくあるべし、というものもどんどん希薄化してると思う。

官僚たちの振舞いの留まるところを知らない劣化とか見ても。

 

「滅び」に話を戻す。

滅びというのは、参照すべき前例(過去)があって、それと比較した時に自分たちが衰えつつある過程、という事だと思う。

で、完全に妄想なんだけどかくあるべし、という自分の軸の希薄化は、時間軸の希薄化にも達するんじゃないかなと。

いつだって「今がマシ」(何と言っても、あの「悪夢のような民主党政権」よりは!!)なのだから、衰退過程にある、という時間意識を持つことができないのではないか? という風に思っている。*2

 

だから、たぶん滅ぶにあたってそこかしこで綻びが見えるようになったとしても、

「それでも過去(具体的には民主党政権よりは今のがマシ」

という忘却と上書きによって自分を取り巻く現状に満足してしまうんじゃないのかなぁ、って。

 

日本が滅んでいくにあたって、具体的な形そのものは思い浮かばないけど。

たぶん中の人は下(具体性のないイメージの産物でしかないけれど)を見下ろして

「あれよりは今の方がマシだよね」

って割と満足して過ごしてるんじゃないかしら。

 

そんな風に今は思っている。

*1:いっぺん失敗しただけで二度と挑戦できなくなってるあたり、国民全体の加齢とメンタル的な足腰の弱体化を思わなくもないけど、この辺はどうでもいい与太なので置いといて。

*2:なんていうか、現実はどうしたって現実なんだけど、それでもスジに合わない現実をすんなり何でもかんでも呑み込んでいった果てにあるのは現実の消失じゃないかしらね。うまく言葉が見つからん。見つけるのがメンドクサイ。この怠慢は自分の首を絞める気がする