自分の心のとげとげしい部分に引っかかるものにはだいたい共通点があることに気付く。
それは後出しで前提をひっくり返しちゃう物言い。
これを見聞きするとどうも善し悪し関係なく心が瞬間湯沸し器になるっぽい。
直近で言うと東京五輪2020の顛末ね。
招致成功時に
「俺たちはクリーンな招致活動をしたんだ!!」
ってライバルとの差を誇る言説が吹き荒れたのをまるっと忘れたかのように
「ま、賄賂なんてどこでもやってますし?」
っていう訳知り顔のセリフ吐いちゃうとしあきとか・・・
そういうステキな風見鶏になっちゃうのが世論というものなんだろうけど、あまりにも軸がなさ杉だろうってすごくモヤモヤした気分になります。
もろちん「クリーンな招致活動」言ってたとしあきと「みんなやってる」言ってるとしあきは別人なんだろうけども・・・表現することの出来ない腑に落ちなさを感じます。
どうも自分の中で、としあきをバラバラの人格の匿名集団としてではなく、どこかで一個の個人として捉えてるようなところがあるのかもしれない。
この辺の訳の分からなさをどうにかして説明したいのだけれども、うまく言えなくてムズムズする。
ムズムズしたままスレッド開いたりするから気分が乱高下するんだよ。
離れてまだ一週間も経ってないけど、その辺はちょっと分かってきた。
言動の首尾一貫してなさ、ちゃぶ台ひっくり返しみたいな卑怯な物言いに苛立つというのは、それは一人の人間の連続した意見の流れで見るという前提になるんだと思う。
そういう前提が通用するはずもない「としあき」に対しても同じような物差しを当てて前後の言動の矛盾を見つけて「こいつはしょうもないな」と怒ったり嘲ったりするという行為の無駄さ加減に今さら気付く。
何という時間の無駄か。
文章の癖(これもなかなか曖昧なものだが)で個人を同定可能であるという思い込みが昂じて、としあきに連続性を見出すように妄想していたのかも。
・・・ハマッていた時の思考様式を自分で振り返ってみるとなんだか痛々しい。
中二病の方がまだ取り返しがつきそうな過ちのような気がしてきました。