afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリ

影響力の行使

誰しも自分にとって心地よい人で周りを固めたいというか、そこまで行かなくてもめんどくさい人は自分の生活圏から排除して生きていきたいものだよな、と公園用地の保育所転用に猛抗議の人々のニュースを見ながら思った。

アタマの中では少子化とか、子育て支援とか、そういうものの重要さは誰もが理解してるんだろうけど、それが実際に自分の身に降りかかってきたら「イヤそれは話が違うよね」ってなってしまうんだろう。

別に保育所を迷惑施設だから断固反対! って人が邪悪なんじゃなくて、自分には遠い世界の話のうちは理想論・正論を支持できても、それを現実に落としこみますぞー、ってなったときにうろたえるのはごく普通の自然の反応だよなぁ、と思います。

僕なんかでも保育士や介護職の給料がとっても少ない、ってのが問題になっててそれを何とか改善しないと!! って話は分かるけどそれで財源のために増税しますぞー、ってなったらイヤイヤちょっと、って思っちゃいますもん(これは僕が狭量なだけかも知んないけど)。

保育園の騒音問題なんかは狭量だって言うのも分かるけど、同時に反対する人の気持ちも分かるんですよ。増税ならまだいいです、周りも負担するのが見えるからしゃあないかなってあきらめる気分になると思う。

けど保育所なんかだと騒音や送迎で迷惑を被るのってごくごく狭い範囲の人に限られるわけで「なんで俺んところにピンズドで負担がくるの?」っていう不公平感を保育所候補に挙がった近隣の人が持つのもしょうがないんではないかと。

 

そうなった際に世間の圧倒的多数派(特にネッツ)は正論に基づき「大の虫を生かすために小の虫はころころしましょうね」といった具合に反対派フルヴォッコな流れになっちゃうんだけど、それがもし自分に降りかかってきたらどうなるんじゃろうかいの、と思いました。

大の虫の尻尾にしがみついて大騒ぎしてたら、もし次は自分が小の虫ポジションになったら、これ反論しにくいよなぁって。

誰はばかることのない正論だからといってネッツで拡散! ってのは手っ取り早い影響力の行使だけど、自分が防御側に回ったときのことを考えると乗っからないほうが無難だよな、とつい最近になってから思うようになりました。

自分のネッツ上の影響力はミジンコの脳ミソほどもないと言うのが分かっていても、それがどこに繋がるかわかりゃしないのがネッツだしね。

正論であれ極論であれ、発信するときには慎重になってなりすぎることはないのだろうと思います。