afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

描写と説明の違い。

文章練習の課題、岸辺一徳をすっ飛ばして五つ目は「描写と説明」と来た。
これは面倒くさい。どちらも同じじゃないのかよっていうね。
面倒くさいことから逃れるためにだと思いますが、取り掛かったときに
「ずいぶん昔の岸部四郎が失踪したとかドタキャンしたとかの報道、今やったらアウトだね」
って思い出した。
思い返してみるとだいぶ心をやられてる感じの面持ちだったのに、ようしゃないやり方だったメディアのみんなもヤバイけど、そんなワイドショーをのほほんと見てた吾もかなり酷い人物と思う。
無知ってきっと罪なんだ。

では逃げていても仕方ないので、課題に移ります。

 

 

 

書くことが思いつかない人のための文章教室 (幻冬舎新書)

書くことが思いつかない人のための文章教室 (幻冬舎新書)

 

 

「子供の頃、母は病弱だった」or「家が貧乏だった」という短文の説明に、どう病弱だったか、どう貧乏だったかの様子を描写しなさい・・・という課題。

「家が貧乏だった」のほうのでちょっとやってみたいと思います。

家が貧乏だった。
世の中にはいくらでも貧乏というのはあると思うが、「家に屋根のない部屋がある」という貧乏はなかなかないのではなかろうか。
長じて自分の住む地区が、学区の中でもなかなかに貧乏人の住まうエリアであることを知った後でも、一度も「屋根のない部屋のある家」に住んでいる貧乏人とはお目にかかったことがないので珍しい部類なのだと自負している。
雨漏りがする家は数多あるだろうが、雨が降る家はほとんどあるまい。作りかけの骨組みとそれにかけた寒冷紗だけは残っているので、葉の落ちた枯れ木の下で雨宿りする程度の濡れ方で済むが、それはずぶ濡れと同義である。
よって、雨になるとその部屋は使えない。天気のよい日は使っていたのだ。
元々は父が子供部屋にするつもりで普請していたらしいが予算が途中で尽き、屋根はまた後で、となった次第だと後に聞いた。家を建てる頃はまだ貧乏ではなかったらしい。
やがて家運が傾き屋根を普請する余裕などまったくなくなっても、しばらくは骨組みにブルーシートをかけて雨は凌げていたらしいが、夏の暑さでやられてからは寒冷紗に切り替えたのだという。
記憶にあるのは寒冷紗越しの空なので、だいぶ小さいころに切り替えたのだと思う。
なぜそのとき屋根をかけない、という疑問が湧くのは金のあるご家庭の疑問である。
屋根をかけるようなまとまったカネがあれば貧乏などしていない。
そうした次第で、けっきょく高校を卒業するまで寒冷紗で覆われた部屋が子供部屋としてあてがわれた。天気さえよければそこで寝るのだ。雨であればさすがに父母と同じ部屋に寝るがいろいろと難しい年頃であるから屋根はなくとも壁はある部屋はありがたいと思っていた。
年に数度は寝ているうちに雨に降られることもあったがさいわい風邪を引くことはなかった。
・・・高校を卒業し自分も働き始めて、家計全体が少し余裕が出来た時に、屋根にペラペラのベニヤ板を貼り、防水のためペンキを塗った。ベニヤにしたのはトタンより安かったからだ。
10年以上も雨ざらしの骨組みは脆くなって、釘を打ち付けてもスカスカで心許なかったが、それでも自分の部屋に屋根がついたのは嬉しかった。
雨がバンバンとベニヤ板を叩く音も、心地よく眠れるので好きな音だった。


一部実話でやってみた。
子供の頃、家じゃなくて倉庫がしばらく骨組みだけだったことがあるので、そこから想像。
ビニールシートとか適当に貼れば住めるな、と感じて、キャンプしてみたいと思っていたのでなるべく完成しないで欲しかった。
けっきょくキャンプを試みる前に倉庫は完成してしまったのだが、「屋根だけがない部屋」というのを想像するのも面白いと思いました。
もっと分かりやすい「貧乏の描写」もあるんだろうけど、着るものや食べるものの不足感は切ないのでちょっと想像したくなくて逃げた感じです。