今週のお題「ちょっとコワい話」
オバケって昔はすごく怖かったのだけど、いまはそうでもない。
怖くなくなる何がしかのきっかけがあったのか、となるとそれも思い出せない。
中学の頃まではすごい怖かったんですよ。
その頃、いちばん怖いなって思ってた怪談が
「ある男が呪いをかけられる。
三日間無事に過ごせば呪いからは解放されるので、家族は男を家の中の安全な部屋にかくまう。
そうして三日が過ぎるのを待つけど、男は退屈。
それでも何とか我慢して三日目の朝。
日が部屋の窓から差し込んでくる。
やれやれこれで一安心、と思って窓を開けたら外は真っ暗。
まだ三日目は明けておらず、男はたちまち窓の外の化け物に引き込まれてしまいましたとさ。」
という話でした。
語りも上手かったのか、ちょうど波長があったのか、怖くてしょうがなかった。
夜はしばらく部屋の窓見ないようにしてたし、夜が明けて明るくなっても、窓を開けられなかったですね。
不思議な事に、玄関から外に出るのは平気で、それで外に出てたしかに朝になってて、窓の外に何も怪しい者は居ないのを確認してほっとしてから部屋に戻って窓を開ける・・・という手間をかけてました。
それぐらい怖くてたまらなかったのに、一体いつの間に平気になってしまったのか。不思議なもんです。覚えてないくらいだから、ホントに些細な理由で克服したんだろうけど、コワい話そのものよりも、いつの間にかそれを忘れてた、ってことの方がちょっとコワいかもしれない、と感じました。
コワい話聞いて日々の行動も変えてしまうほどビビッてたのに、自分でも知らないうちにそれが克服できている、というのは嬉しいんだけど、じゃあお前あんだけビビッてたのは何だったんだ? という疑問が。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
ってのはビビッてたモノの原因・正体が分かってすっきり一安心ってことですよね。そういうスッキリ感もまったくないうちにうやむやになってコワさが消える事のほうが、何だかぞわぞわするな、って感じました。
結局自分は何にビビッてたのか、何を克服したのか。
夜の闇の底に潜む何かにビビッてたんだとは思うが、その「何か」をハッキリさせないまま克服した現在。実は克服した気になってるだけなんじゃないの? という不安がちょっとだけ湧きました。
何を克服したのか分かってない以上、いつかまた不意に、「夜の窓が見られない」ってぶり返すかもしれません。
ビビッてたけど正体が分かってスッキリしたよ! みたいなコワい話はカタルシスがあっていいのになぁ。リアルだとこういうなんとも言えない据わりの悪い話になっちゃいます。