この記事を読んだ後、どれくらい他人のことを知ってるのかな、と考えてみた。
「北谷の暴君」と呼ばれた非行少年が 子どもたちを支えるに至ったワケ(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース
信用の蓄積効果って大きいから。更正しても「いつかまたやらかす」ってどこかでみんな警戒を緩めないもんですよ。一緒にやってる人も、はてブの皆さんも。その中で真っ直ぐ実績積み重ねるのは褒められて当然です。
2017/08/12 12:30
世の中には嫌な奴がたくさんいて、そいつに絡まれて不快な体験をしたことはもちろん覚えています。そうした先入観があると
「アイツが更正したところで・・・」
という気分になるのもとてもよく分かります。
吾は心がとっても狭いので、昔迷惑を被った相手が心を入れ替えましたよ、って言われても再度付き合う気にはなれない人間です。
世界が狭まるよな、というのは自覚するけれどもかといって付き合うと昔の厭な思い出もぶり返すのでご勘弁、というのが本音。
それを踏まえて。
この記事の主人公みたいな
「昔ヤンチャだったけど更正したよ」
って人、じつは案外多いんではないかしら、と思いました。
特に社会人になってからお仕事の付き合いとかあっても
「かつてどんな人だったのか」
ってところまで踏み込むほどに深く付き合う人っていないので(吾の場合)、
今現在の時点で嫌な人だったり、不誠実な人だったりしないかぎり、気にならないんですよね。
そしてもしも「昔ヤンチャだった」って来歴が発覚したとしても
「今めんどくさいことにならなければいいや」
「恫喝とか途中で仕事投げるとかろくでもないことがなければいい」
「じっさいそういうことないし、付き合いのある間だけ大人しいだけでも十分」
って思ってしまう。
「アイツはいつかやらかす」
っていう先入観は過去に酷い目にあった人たちからすれば当然の感情で、警戒を緩めないのも当たり前だと思います。ヤンチャ上がりがそこにケチつけるのはお門違い。
でもって自分から「昔ヤンチャしてたぜ」って言っちゃう人に対して警戒するのも分かるんだけど、特に実害を被った経緯があるのでなければもっとおおらかになってもいいんじゃないかなぁ、って感じました。
というか、アレですよ。
「アイツはいつかやらかす」っていう先入観が呪いになっちゃうような気がする。
「どうせお前はいつかちんぴらなヤンチャに戻っちゃうんだろう?」
って構えで接すると、向こうも
「ああそうさ俺はちんぴらさ」
って居直りかねないと思うんです。そもそも元はヤンチャだったのだから、まじめな奴がそっち側に行くよりもハードルは低いし、わざわざその背中を押してやることはないだろうと。背中を押してちんぴらヤンチャ道へ復帰された結果、実害を被ることになるのは自分なんだし、自分で自分の首〆るようなもんです。
元ヤンチャと深く付き合うことになる・・・というのだったらまた別でしょうが、ほとんどの人間関係なんてその場その場でしょう。
今現在を上手く乗り越えられるのであれば、あえて刺激せずに上っ面で付き合っておけばいいじゃないの・・・などと考えるのはちょっと薄情ですかね?
けど出会う人いちいち来歴とか過去を知って
「こいつはこう動くかもしれない」
「過去がこうだったんだから裏切るかもしれない」
みたいに考えるのはストレス負荷高すぎないかな・・・?
ああもう。
元ヤンチャの人が「元ヤンチャだったんだぜ」みたいに告白してこなければ、こういう負荷もないのに。
・・・けど元ヤンチャの人が更正しました、みたいな話を好き好んで読んじゃったのは自分だよなぁ、とモヤモヤする。
けっきょく自分自身が知らず知らずのうちにこういうドラマを選好してるってことなのかもしれない。
まじめな人がまじめに頑張ってる・・・そんなストーリーだと平坦で面白くないと感じていて、邪から正へと復帰した奴がまた邪へ戻る、その起伏のある話を消費したいだけ、ってのがあんがい自分では意識していない本音なのかも。
つらつら考えてるうちに思いがけず自分のダークサイドを覗き込んでしまった気分。
こういうダメな嗜好を押さえ込むためにも、元ヤンチャが更正していることを好意的に受け止めるように意識していきたいですね。