afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

書かなきゃいけないこと

ってないよな、と。

ブログを継続して書くようになってから思ったんですが、普通に暮らしてると、頭の中ってすごくどうでもいい雑念がどんどん湧いてくる。

今まで気付かなかっただけで、毎日単調にルーチンを繰り返してるようで、実にいろいろと考えてる。すごくどうでもいいことを。

吾にとってブログは日記みたいな感じになってるから、「今日は何を考えてたか」というのを振り返ってみるんだけど、仕事してる最中でも、もちろん休んでる最中でも、けっこう一つの事に集中せずにいろいろ気移りしてるな、ということを実感。

手や口は動いててもアタマの中ではまったく別のことを考えてる、というのは今までも何度か意識した事はあるけど、気付いてみると意識するどころの話じゃないです。

ほぼ四六時中体とアタマが分離して動いてるくらいの頻度で、目の前に集中できてない。吾ながらよく生きてるな・・・慣れってすごい。

 

簡単に一日の喜怒哀楽の感情の起伏だけ追ってみても、一つの感情が持続する事ってあんまないんですよ。次の感情の波ですぐに消えてしまう。思考も一緒で、何か考えてても、すぐにちょっとした拍子で断ち切られて、興味がまったく別にずれる。

一事が万事この調子で、一日の中で一つの事に集中していられる時間って振り返ってみるとえらい少ないね、そんな断片的な思考の中から、ちょろっとチョイスしてブログ書いてみるっていうのはお手軽ではあるけど、必然性には乏しいな、と感じました。

そんななかでけっこうまとまった時間集中できるのが読書だ、と気付いただけでも吾の中ではブログやってる価値があるな、と思う次第。

 

初期の思惑からは大きくずれてきたけど持続しているのは、思考の整理ができるというのが大きいです。ちょっとした時間を割いて、今日は何を考えていたか、というふうに振り返る習慣ができたのはけっこう気分がいいです。

 

ブログやってなければ 振り返ってみて「今日は書くほどのことがないよな」と気付くこともなかったわけだし。

逆にやってなかった頃は書き留めておいて思考をスッキリさせておいたほうが良かったことも、そのままスルーしてたんだと思うと、もったいないなと今では思う。

 

 

つねに書くべきことのある毎日を送っているわけでもないけれども、

「書くことないかな」という形で一日の終わりに自分の思考を遡れるようになった葉大きな利益だと思います。

それにただキーボードを叩いて文章を書き連ねるだけでも、アタマがほんの少しだけスッキリするような感覚がある。この感覚は実際に始めるまでは分からなかったけど、なかなか心地よいので、だんだん駄文が長くなってる気がする。

以前「推敲して削るのがもったいない」って書いたことがあったけど、それ以上に「ただ書くのが面白い」っていう面はあるな、と最近は思い始めました。

 

今日書いてるこれだって、「中身はない」のに以前より文章はだいぶ長くなってしまってるし。

今思うと文章の練習を始めるのはちょっと早かったのかもしれない。

あれは文章を書くのが好きな人・どうしても書かざるを得ない人向けのテキストだったんではなかろうか?

ようやく書くことにも馴れてきたし(内容はともかく)、駄文を書き連ねるだけじゃ飽き足らなくなってから、またテキスト洗練の練習にチャレンジしてみたいです。