afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

道徳感情

ジャズってこれくらいしか知らない。 好き。


Horace Silver Trio - The St. Vitus Dance

 

いろんな人の巨匠と中学生、打楽器セッション騒動の見解を眺めててもやもやしてたけど、自分の頭の中をいっぺん整理する。書いてすっきりしたい。

手を上げたのはまずいと思うんだけど、擁護も非難もちょっと盛り上がりすぎな感じがする。

人間だし間違いもあるよね(双方ともに)。

今後、手を挙げるような事態にならないようにしたいですね。

で終わればいいんだろうけど、巨匠と中学生だから力の非対称性もあって、どっちかに肩入れしたくなっちゃうのかしらん。

両方の言い分、もとい気分は分からなくもないけど、無理に自分たちに引き寄せて考えるようなことはしないほうがいい・・・と思った。

それよりは「これ巨匠の方が楽器持ってたらまた違った展開になったのでは」みたいなことを妄想してしまった。

一人悦に入っている中学生に被せて自慢の腕前で演奏するの。

オーディエンスの関心一気にそっちにいくよね。どうがんばっても。

珍奇な子供が珍奇な事をしよる、と生あったかい目が注がれているにせよ、中学生はきっと皆の注目を集めてヘブン状態だったんではないかと思うが、そこに巨匠のトランペットが響き渡って一気に孤独のズンドコに叩き落されたら、目が醒めたんじゃないかなって。

・・・オーディエンスのいない演者ほど惨めなものもないから、こんな展開のほうが中学生には酷かもしれない。いっそミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク(GUNG-HO-GUNS)のように音に音をぶつけて無音の優しい世界を提供できたらよかったのに。

 

止めなきゃ拙いという事情は分かるけれども、もうちょっとスマートに出来れば良かったね、と思いました。

 

暴行か躾か、みたいな話はあまりに立ち入った事になるのでクビ突っ込まないほうがいいんだろうが、それでも断言する形で巨匠を断罪したり、中学生を断罪したりする論調には違和感がすごい。

 

巨匠はえらいよ、躾だよ派

への違和感は躾と称してぶん殴ってるときのオッサンオバサンって明らかに思考停止してるのが多いよな、みたいな吾の経験則からくると思う。

殴る蹴るによる馴致の効果の高さに慣れきって、それ以前のアレコレな煩悶をすっ飛ばしてる感じ。

そんなことはない? 巨匠と中学生の関係性についてそんなにテメーは詳しいのかよ? っていう。

巨匠が恒常的に暴行による馴致を執行していたとしても「それも躾だ」と言いかねない感じがね。連中の「暴行/躾」の境界は動くゴールポストみたいになってるという経験則。

 

巨匠は暴力振るうクズだよ派

への違和感は、オメーは人生ただの一度も子供や格下に手を上げたことがないのかよ、っていう反発から来ると自己認識。

同じ状況にぶち込まれたときにオマエさんは巨匠よりもスマートに暴走する中学生を抑止できたのかよ、っていう。

「できたよ」? オメーさ、ほんとに巨匠と中学生が揉めたシーンについて本当に詳しいわけ? 事態に直面した巨匠の判断が絶対的に誤っていたといいきれるその自信はどこから湧いてくるの? っていう。

 

 

暴行か躾か、は個別具体的にしか判断できない代物だと思うんで、全く情報が不足している中でどうこうと言うのを結論付けてもきっとムダ。

「暴行は悪だぞ」っていうのが原則として曲げられないというのには同意するけど。

せいぜいが自分が「教育における暴行を用いた馴致に親和的か否か」の好みの表明にしかならないんじゃないですかね?

 

吾自身の好みをいうと

たぶん暴行はダメだと思うけど、では吾がやらかさないという保証はないので断罪は控える

です。

 

皆も鋭い言葉遣いをちょっと抑えて、ジャズでも聴いて落ち着きましょう。

鋭すぎる言葉もきっと暴力ですよ。