ライフスタイル売るようになったらいろいろ詰んでるんじゃないかなって思う。
主にこれの影響。
※古いけどいい本だよ。あちこち話題が飛ぶけど。
んで、これを読んだ。
言ってることはだいたい分かるような気がする。
呪いってか圧力というか空気というか、そういうもやっとしたものは感じなくもないんですよ。
だから「やりたくないです」ってのはわかる。
「そもそもやれんのか」ってポジションからこういうことを言うのはダメかもしれないけど。
ただなぁ。
やりたくない・・・ってただ撤退するのではなくて、その呪いへの対抗言説をどうしても立ち上げなきゃいけないのかな、っていう違和感がどうしても拭えないのよね。
呪いへの対抗もまた呪いになっちゃいがち。
結婚・妊娠・出産を緩やかにふんわり強制してくる社会はクソ、までは分かる。
じゃけん対抗モデルケースを立ち上げましょうねー、ってなった途端、振る舞いがそのクソみたいな社会にめっちゃ似てくるように見える。
特にその辺が滲み出るのがマネタイズ化というか、とりあえずビジネスモデルとして確立しちゃおうぜ、って振る舞い。
断捨離もそうだったでしょ?
ミニマリストもそうだったでしょ?
いつの間にかそのライフスタイルからゼニを産むカラクリを作り上げてる。
断捨離本・ミニマリスト本、なかなか盛況で一角占めてますし。
ただノウハウを公開してるだけなんだよ、って言いつつ
「これが正しい断捨離」
「これが正しいミニマリズム」
みたいな正統派のライフコースめちゃくちゃ提示してますよね?
・・・結婚・出産・妊娠コースとそれどう違うのかな?
そういう決められたライフコースに乗れなかった・乗り気になれない人たちにとっては、また別のライフコースに過ぎないわけで、一変形として提示しますよ、ではあるけど「結婚・妊娠・出産」の典型的コースと、「合理的な理屈に則った人生設計」という点では同種であると思う。
結局のところ、自らのライフスタイルもまた読者に対して提示される段階で、すでに布教活動の側面があるわけだから、対抗している人生設計を「宗教」と言い募るのはどうかと思うのです。
従来型ライフプランをめちゃくちゃ推す人の「社会の再生産」を嵩にきた啓蒙もキライだけど、対抗馬として出されるライフプランの「なんだって自分で決める」みたいな啓蒙もキライ。
どっちも言葉がでかすぎるんだよ。
なんでそうまでして賛同者を得たいのか。
従来型はちょっと旗色が悪くなってきたから(統計的にも皆婚は崩壊してるみたいだし)、ヒステリックになるのもわかるんだけど、今こそ逆転のとき、みたいにハッスルするのもどうかと思うんですよ。
両者並び立つことは無理なんですかね。
自由恋愛市場においてはあらかじめ負けることを定められた大量のモブが参入する事で競争価値が上がる、みたいな構造があって、それ故必死で新規参入を煽る、市場から後退している人々を努力不足と罵りなじる、という風な分析は割とよく見るけど、
結婚・妊娠・出産のライフコースも、そういう勝ち取ったトロフィーに対して外部からの賞賛が得られないと価値が減じるといった構造でもあるんですか?
そうじゃなければ、お互い別のコースってことで衝突しなくてもいいのでは。
もし外部の賞賛(勝ち組を引き立てるオーディエンスな負け側)ナシには維持できないような雑なシアワセの構図なら、むしろそんな社会再生産しなくていいんじゃないですかね、って思うので、衝突する必要性をあまり感じられないのです。
というか、今現在まだまだ主流の立場を「宗教」とレッテル貼るのは、異端の生存戦略としては下策な気がする。主流派がマイノリティへと落ち込む寸前まで、石の下でヒンヤリじめじめ、それこそダラダラ生きていればいいんじゃないかなぁ、と思います。
面白いことやってる奴が居るぞ、違う生き方してる奴が居るぞ、って石引っぺがして白日の下に晒す奴も居るだろうけど・・・てか現に白日の下に晒されてるのでいろいろ話題になってるんだろうけど、すごく危ういと思う。
一人やごく少数の集団でやってるうちは、そういう生き方もあるんだね、っていう提示になるかもしれないけど、それがちょっとしたムーブメントになって社会化した時点で、それはお仕着せの「結婚・妊娠・出産」のそれと近似の、別の圧をもって個人に迫ってくる気がするんですよね。
そのようになれば良い・・・と思って発信しているのなら言うことはないですが、そうでないのであれば、あまり尖った目立ち方はしないほうがいいし、そういう目立たせ方をしようとする奴は警戒したほうがいい、と思います。
pha氏は薄々その辺気付いているような気がしなくもないけど、ちょっと変わった生き方をしてる人が、ある閾値を越えてやたらと張り切って発信しはじめるのはちょっと食傷気味なのでそろそろ遠慮していただきたく、という個人の勝手な欲望を書き留めておきます。
地味な発信でもそれを必要とする人には届く、そんな優しいインターネッツが吾の理想です。