afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

DISるための例示

自戒も込めて書くけど、褒めるにせよ、ケチをつけるにせよ、主語がでかくなりがちなのはどうしたものか。
意識していても、自分が接触した事例をもってすぐにそのクラスタ特有の行動様式のように思ってしまう。
今朝なんかも歩道を並列で走ってる○徳高校の生徒らしき部活に向かう子供たちに進路ふさがれてたんだけども
こういう時に短絡的に
「○徳高校ってこんなやつばっかだよな」とかさらに広がって「工房ってクソ」ってなったりする。
いやいや、そんな一般化できるもんじゃないからね、って少し落ち着けばすぐにわかるのだ。
にもかかわらず、心がちょっと不機嫌とかだったりすると、それがそのまま行動に移ったり、バカデカい主語で非難したりするのね。
おっさんが吠える「最近の高校生はなっちょらん、自転車のルールも知らんバカばかりだ」みたいな。

落ち着け。
お前は全ての高校生の通勤通学習慣をきちんと調べてものを言っているのかと。

自分にそう言い聞かせたい。
なんでこういう短絡が起こるんだろうか。

自分の心理を鑑みるに、その場で
「どけよ馬鹿ども何考えてんだ」
くらいのことを言う嫌味なおっさんになって蹴散らさずに、じっと我慢したストレスを発散してるだけなんだ。
そのストレスをそのまま出すとなんか共感ももらえなさそうなので、ちょっと主語を大きめにして
みんなも分かる分かる、言いたくなる程度のエピソードに仕立て上げて、そして社会に公表するみたいなところがある。
「どうです、皆さんもそう思いませんか?」
みたいなちょっと社会派気取った問題提起みたいな飾りまぶしたててブログ書くの。

ロクなものではない。
カッコ悪い。


そうした次第であるから、不満やストレスを感じたときに、その対象を拡大するのではなく、対象そのものをDISるくらいのほうがまだ
「ちっさいおっさんだなぁ」
と思われるかもしれないが、吾の美意識上まだマシなんじゃないかな、って。
一番いいのは愚痴らないことだけどね。
まあ次善の策として、無関係というか、あんまり関係のないところに着弾するような不始末はしないほうがいいよな、と思った次第。
ここ(ブログ)は吾の日記帳ではあるけど、そうである以上、素直にならないといけない。
話膨らますのダメ、絶対。

褒める時もそうだ。
むやみに広げるとなんだかあれだ、
「それ相手褒めるふりして自分褒めてるよね」
ってくらいに対象が広がっちゃいがちなので、その辺も常に自覚しておきたい。

というかアレよな。
ネッツ上で不特定多数の同意や共感を得られないと不満→じゃけんエピソード盛り盛りしましょうね、というのもおかしな話ではある。
きっと周りに話を聞いてくれる人がいないんだろうな、などと自分に跳ね返ってくる感想で〆る。