afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

ポジションを露わにすると即座に撃たれる。

おそらくそれは狭量のなせる業。

 

 

「政治家はもっと庶民感覚を」みたいな事言ったら叩かれた - ヨッピーのブログ

カジュアルに語る前に、政治を語ることにどうしてこんなにも世間(自分含む)は不寛容なのだろうかというのも考えてみたい。ギスギスする元になるのは何でなのかと。

2017/10/16 21:14

 

 

 

自分に向かって飛んでくるクソい反応だけじゃないんだよね。

吾もまた、他者の語る政治的な何かしらに対しては噛み付きたくなるという欲求が湧く。

吾の場合は狭量すぎる人間性の問題にしておけばいいけど、これまでの経験上、リアルでもネットでも政治がNGなのは、まさにこのギスギスした空気を誘引するのに最適な素材だからに他ならない。

 

人は何故、他人の政治的な主張、より大きく言えば自己の権利を主張するような振る舞いに対して不快感を抱き、攻撃的になれるのか

 

語り口が気にいらないとか、そもそも主張が気に入らないとか、自分の傾向に合わないとか、そういう風にまぶしてるけどよくよく掘ってみると吾の場合は

 

「単に自己主張してるオマエが気にいらねえ」

 

っていうのが垣間見える。

その視座で他の人の振る舞いを見てると、他の人もまたやっぱり似たようなもの。

とにかく「何か自分について(自分の欲求について)」語る人についてイラついてる。

 

そういう見方もあるよね、とかせいぜいぶつかり合う主張だったとしても

「なるほどお前の言い分もそれはそれでありなんだろうよ」

ぐらいの態度で収めるのが穏便なはずなんだけども、上記ブコメの少なくない奴がそこを踏み越えてぶっ叩きにかかってる雰囲気が見える。

んで「そうなってもしょうがないよな」って思ってる吾が居る。

上記ブロガーがやたら発進力が高いから、その分叩かれてもしょうがないとか、事実誤認だから訂正するまでぶっ叩くとか、まあ理由はいくらでも後付できるんだ。

 

要は「何か主張される事」が気に入らないんだろ、って。

 

こういう根っこがあるとさ、

どんだけ建設的であろうとしてもそれは無理だよねって思うの。

吾が身ならば多少は省みて抑制しようと変えるべく頑張ることもできるかもしれないけども、構えからして既に対立的なものが内包されてる以上、これを普段のリアル社会からは遠ざけておこうとなるのもむべなるかな、と。

 

吾もだけどさ、ネッツになるとホントに人に対する寛容度が下がるよなと思う。

最後まで人の話を聞けと。

簡単に敵/味方の判定をするなと。

最後まで聞いた上でどう受け止めるか分からんときにはとりあえず留保しておけと。

短絡して白黒つけて薄っぺらな敵/味方認定してひとまずの安心を得たい気持ちがあまりにも強すぎる。

リアルだと沈黙とスルーによって対処するであろうことも、よって集ってフルボッコ

自分で言うのもなんだが、これは何事かを語る上で大変害のある態度だと思う。

お互いに。

 

語る上での大前提として

 

奴には奴の言い分がある(吾とは違うけど)

 

くらいの大らかさがないまま、政治についてアレコレ軽く語りやすくなる社会というのはあまり明るい社会とも思えないんよな・・・。

そしてネッツって、自分と違ったらとりあえず叩く、という作法、わりとまかり通ってますよね?

これで政治について語るのだけハードル下げるのは危ない気がする。

 

なんだか「政治に相応しい人間は限られてるから、制限選挙に戻せ」みたいな論調になってしまってアレだけども、語る上での作法を弁えた人たちの間でなら、もっと活発になってもいいけど、ネッツはそういう空間ではないよなぁ、と思いました。

 

 

※あと余談だけど赤絨毯とか庶民感覚のところはそれなりに分からない事もないけど

吾はどうせなら秘書をもっとたくさん雇えるような環境整備をしたらいいんじゃないかなって思った。

政治家一人じゃどんだけ優秀でも有権者との回路が限られるし。秘書が多数居れば、そこから引っ張り上げられる庶民の要望の回路もそれだけ増えるんじゃないか。そうして庶民の抱える欲求や要望を正しく掬い上げることができるのなら、政治家本人が庶民感覚に欠けるとこがあってもそれでいいんじゃないかなって。

それに、政治家さんの立法能力を高めるためにも、出世レースで負けた官僚さんたちを政策秘書として大量雇用して官庁に伍して立法が出来るんだぞ、っていう実務能力を鍛える・・・ってのもアリではないか。

能力に問題はないけどたまたま時機を失してしまった、そんな官僚が天下るよりかは有効にその力を活用できるんじゃないかなぁ、と思った。