みたいなところあるよなあ、としみじみ思う。
吾の中で。
外側の視点に敏感すぎるのか
自分に対する期待が高すぎるのか、その辺はよくわからないけど
生きづらさを感じるとき、自分と似通った人たちへの視線の鋭さは割と怖い。
人間は自分をモノサシにしてしか測れないので
「自分と比べて楽してる」
「自分は奴に比べればまあマシか」
みたいなマウンティングをちっさなちっさな差異の中でやる。
吾もやる。
んで我に返ってゾッとする。下衆すぎるだろ、と。
この自分の下衆とどう付き合っていけばいいのか、まだ分からん。
ちっさな差異を無視して「だいたい同じだな」と共感できるようになれば良いのだが、いかんせんそうした寛容の心に乏しい。
書いてると欝々としてくるね。
自分の苦しみや怒りを、他人が思ったように理解してくれないからと言って
「お前にはわからない」といって切り捨てるのを繰り返していくうちにどんどん生き心地が悪くなっているんじゃないか。
俺を丸ごと受容しろ、さもなければ敵である、みたいな圧力を
生きづらさを感じるときの自分
それは自己責任だろ、みたいに他人を突き放すマウンティングしてる時の自分
ベクトルは真逆だけども、両方の気分の時に共通して感じる。
生きづらさモードにいるとき、マウンティングモードにいるとき、どっちもやたらと攻撃的になってるというか、他人に対してめちゃくちゃ閉じてる感じがある。
吾の中ではこの閉じて排除する感じ≒下衆なんだと思う。
こういう気分になるときはあまりよろしい精神状態じゃないんやな。
手前で気づくこともあるけど、暴走することもある。
もうちょっと、常日頃心に余裕を持っていたいとおもう。他人よりもまず、吾のために
やさしくなりたい。
ただその方法がわからない。困ったもんだ。