誰が見ているのかわからないから振舞いに気をつけろ、なんて
堅苦しく息苦しい。
多少わかるが、
どこの誰とも知らない人間と容易くつながるおかげで世の中がグングン便利になってきたわけで
繋がることで多くの利益を被っておきながら、不利益はごめん被る、ってのはやっぱ振舞いとしてみっともないと思う。
ポリコレの息苦しさ
って言いだす連中、
「俺のちょっとしたやんちゃで傷ついた連中がいるのは分かった」
「しかし批判されて傷ついた俺の心のダメージの方がでかいはず」
って思ってんじゃないだろうか。
そじゃない。
そじゃないんだ。
嫌がられたら止めろ、嫌だって言われたらゴメンナサイしろ、って話で。
当たり前の話だろ。
「オレはこのネタを続けたいし、それについて批判は受け付けない」
って今まで楽して笑いのとれる安易な方向に流れまくってました、って表明でしかないよね。
どうしても柱になるネタなら、現今の状況下においてそれを貫き通すにはどうすればよいか、芸として洗練させていくしかないだろ。
ポリコレに反発してる人たちの多くが端折って言うと
「今まで殴り放題だった案山子がいきなり反論してきてムカつく」
の域から微塵も出てないのがツラあじ。
殴り放題だったのがおかしいんだよ、って話なんだけどな。
繋がってないから相手が発する声が届かなかっただけで。
繋がって相手の声も聞こえるような時代になってなお「アーアー聞こえなーい」
ってやるのは大人の振舞い方としてはかなり苦しいもんがある。
とはいえ、ポリコレ過激派の主張する
「全地球統一のポリティカルコレクトネス」みたいなのもどうかと思うけどね。
前から繋がってきた人同士の軋轢 と
お互い伝聞でしか知らなかった人間同士が直接つながりはじめて発生した問題
ってのを一緒くたにして解決しようとするやつ。
某国では情報が全く入らなかったので
「日本人はハラキリゲイシャでチョンマゲで着物と下駄で生きてる」
「サムライ(日本人)の前を通りかかったら切り殺される」
「料理屋のサムライ(日本人)は勘定間違ったら腹を切って自殺するのがお詫びの印」
なんてのをただそのまま鵜呑みにしてたら、
ポリコレ過激派(さいきんの愛国士のアシストもあってもいい)が上陸して
「某国は日本に対する偏見が著しい」
ってことで、「正しい日本」を押し付けて、今まで「嘘ファンタジー日本」を信じてた人を取り締まりまくるの。
過激に「相手のことを考えろ」「考えてこなかったお前らはそれだけでギルティ」ってのはこんな感じ。
某国民だったらそれは唖然とするし反発も沸くと思う。
この辺はただ知らなかっただけなんだから
「これからは止めてね」「うんわかった」で済むはずなのに
「お前の罪を数えろ」「ふざけんなボケ」みたいなすれちがいになるのはやや切ない。
けどま。
おとなになると自分の無知や間違いを認めるのって、なかなかの大人(ターレン)でもないかぎり難しいもんね。多少物腰を柔らかくしたところで、ポリコレ周りのガヤついた感じが落ち着くことはないのかもしれない。
無知や間違いの城壁の中で細々やる分には問題ないのかも。外に漏れなければ。
これが「厭なら見るな」に繋がるんだろうけど、いっぱい衆目に晒されることで生計を立ててるテレビとかの人たちがそれ言うのはそこそこチャレンジャブルな話だなぁ、とか思う次第。
しかしリアルな落としどころとしてはその辺しかないのかな。