afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

よろしい。彼らのゲームにのろうじゃないの。

※このブログは導入に気を遣わないブログです。

 

plagmaticjam.hatenablog.com

この記事面白かった。

 

b.hatena.ne.jp

興味深かったのはブコメ欄。

色々受け取り方あるなあ、って思ってて目に留まったのが

 

「ドイツやイタリーみたく戦前全否定でOK牧場ってのがいいのかよ?」

 

ってブコメ

そういやなんで連中はナチやファッショのみんなを断罪しちゃったのかな、って

(イタリーはそこまで断罪してないような風味も感じるけど)。

 

 

んで思ったんだけど、これ多分イタリーもドイツも

イデオロギー掲げてボロ負けした以上、連中のルールに乗らないかぎり復活できない

って覚悟したからじゃないかと思うの。

宗旨替えするのが正義ってわけじゃないけどさ、ドイツもイタリーも本土決戦やら内戦やらやってドイツなんかは首都ベルリンにロシア人の

「俺はお前たちブチのめしたぜ」

って記念碑までオッ立てられちゃったわけだから、これはもう心情的に過去のイデオロギーに郷愁があっても捨てないわけには行かなかったんじゃねえかな、と。

 

んで、過去の失敗を全部なすりつけて

「俺はお前たちの仲間だぜ!」

って英米のルールに乗っかったから、対等っぽい雰囲気になれたんじゃないかな、と。

 

この辺の妄想は、以前読んだ「戦後入門」の影響が大きいと思う。

過去と切断して連中と同じルールに立つことで、連中の不法を告発するポジションを得る、みたいな便益があったんじゃなかろうか、とそういう風に思うのだ。

 

元記事の「アメリカン信奉がすぎるんじゃね?」っていうのも案外、

英米が帝国をぶっ倒したイデオロギー

・表向きは断罪した事にしてるけど、実はそうでもない旧来の帝国らしさ

の二つが並存してるのが原因じゃないかな、とも思う。

 

まとまってないけど、なんと言うか

英米が戦後押し付けてきた「イデオロギー」と「アメリカ」という国は一体のものではないんだけど、戦前からの体制やルールが温存されたままの日本では、世界観が二つ並んでるおかげで、アメリカという国とイデオロギーを同一のものとしてみてしまう傾向がいっそう強かったんじゃないかな、と思った。

 

ドイツやイタリーみたく、戦前をポイッと捨てて

英米の「おまえらのイデオロギー」にのって世界観を一致させて

そっから世界を眺めてみたら、アメリカンやらブリトンといった国、民族の「言ってる事とやってることの乖離」に対して非常に敏感になったし、同じルールに乗ってゲームしてる分

「テメーら、テメーが設定したルールくらいキッチリ守れやボケ」

戦勝国だろうがなんだろうがテメーが吐いた唾のまんとけよ」

って主張しやすかったんじゃないかなぁ、とそのように思うの。

 

日本は戦前を否定しない分、

「おまえら英米のやってる事も、英米イデオロギーからみて、だいぶクソですよ」

って言いたくても

「じゃあおまえらが戦前やったことについてもケツ拭いとけや、今からでも」

って巨大なブーメランが跳ね返ってくるので、なかなか言い出せない側面もあるんじゃないかしら、ってかそれが殆どじゃないのかしら、って。

ドイツやイタリーなら

「それは戦前のヤンチャバカがやった事ですので」

って面の皮の厚いことを言えるだろうが。

 

 

けどなあ。

本邦で戦前の否定ってやろうとしても無理だよね、ってのも思う。

「戦後入門」ではいかにも出来そうなこと書いてたけどさ、表層的には、要は形として海外のあれやこれやから認めてもらうためにはどうしたって

天皇の戦争責任」

回避不能ですよ? そこに関する論考がえらい薄かったけど、さんざんっぱら天皇の名の下にアレコレ喧伝して暴れまわった挙げ句に

「イヤそうじゃないんすよ、天皇は実権なかったんすよ」

って言っても海外に通用するわけないだろ。

 

この馬鹿でかい問題を抱えてる以上、日本は戦前と切断できないだろうし、そうなるとアメリカと同じルールに乗ってアメリカを相対化して

「オメーは自分の吐いた唾を呑むクソどもだ」

って正面切って言えることもないだろうし、まあダラダラ従米的な形が続くしかないのかな、と想像力の乏しい輩としては思う次第。

ラコタ裁判しかり、アメリカがその都度、「自分で自分の掲げた思想を踏みにじる事に躊躇のない国」であることは割とハッキリしてるんだけども。

 

東条ちゃんあたりがムッソやアドルフみたいなポッと出感のある、判り易い権力の簒奪者のようなもの、だったら、もっと戦前/戦後は切りやすかったんだろうな。