afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

是非も善悪も正誤も措く。

それが吾のアウトプット。

 

windymelt.hatenablog.com

 

この記事読んで書く理由をあらためて考えてみた。

テキスト撃ちのリハビリのはずだったのだが、読みやすさや正しさについての向上はほっぽりだしている。

自覚してるところではブコメツイッターの過激な表現に対する違和感メモとして書いてる。

もろちん「自分が言ってる過激なこと」については棚に上げるよ。

アタマのなかのぐちゃぐちゃしたのを整理するにはいったん素のままで出しておかないとなんかスッキリしないからね。

ただ人の過激な主張や表現についてはさ、自分のなかでどんどんハードルが下がってる気がするの。

100字とかそこらで人に刺さるのはどうしたって雑な鈍器のような言葉なので、おおむねそれに同意しつつも「その通り!!」って乗っかっちゃうのは拙いよなぁ、っていう怖さがある。

 

自分の感覚と、ちゃんと重なってるわけではない。

 

だからま、拙いながらも「どの辺に感覚のズレがあるのか」をハッキリさせるために書く。

懸絶しすぎてるとそも興味がわかなかったり、理解不能だったりするので書かないけど、微妙に興味ありげ~ドストライクくらいの範囲についてはどの辺に同意して、どのへんにNGなのか、ってのを書き留めておきたい。

 

書いておかないと忘れるんだよね。

そして熟成されてぼんやりとした同意が完全な賛意になったり、ちょっと引っかかってただけなのが全否定になったりする。

人にとっても流されやすいから。

ただでさえ激しいセリフが次から次へと湧いてくる吾のTLやはてぶ、感化されてしまいかねない。

そういうのはイヤだな、って思うので受け身で今日も書いてます。

 

発信力は絶無だけど、ブログ書くのって「自分が今どう思っているか」を確認するにはちょうどいいんだよね。

制限がないからダラダラ書ける。読む側は迷惑だろうが。

これも価値あるアウトプットなのかな?

そんなことはないだろうと思いつつも、吾にとってはたしかに価値があるから価値あるのかな、とも思う。

 

普通の新聞とかも煽り調の見出しがガンガン増えて

どこのやまもといちろうやイケダハヤトかなって感じになってきてるので

バッドフィーリングを感じたら、ちょっと書いてスッキリしておいた方がいいよねって吾は考えています。

偏ってるけど。

真ん中じゃないしフラフラ揺れるしそもそも正義じゃないよね吾、ってのは意識してないとすぐ忘れちゃうのでこの作業は必要だな、と思うこの頃です。