afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

掛け声だけは大きくて。

だけど中身は乏しくて。

 

戦場の悲惨、兵士の過酷な生活、はまあよく聞く。よく読む。

ウンザリするほど。

ただその悲惨と過酷はなにも日本に限ったことではなく、戦場・戦争という状況にぶち込まれた人間の上に等しく降りかかるもんなんだろうと思う。

 

それよりもずっとキッツイなって思ったのは、WW1後の帝国の防衛体制、戦争準備の実態が、あまりにも浅墓であったこと。

※よりおっきな視点で見たときの「戦争準備のビックリ破綻具合」はこれがお奨めです。古い本だけど。

 

なんかね、掛け声は「高度国防国家」とか言ってるんすよ。軍の中の人たち。

でまあ国民の精神・資源・その他もろもろの総動員に向けて機運作りは満州事変からこっち、10年近くかけて頑張ってきたわけですよ。貧乏国家の資源の乏しいなりに。

 

そして日中戦争で破綻してるの。

 

にも拘らず、その破綻を認めようとしないまま突進していくって言うのが「なんか、なんかなぁ・・・」って。既に破綻した計画に拘泥して、一切の見直しをせずに突っ走った結果があの大破局だったんだってのが、細かいところでこれでもかと例示されてて本当にしんどい。

 

初っ端から

「兵隊を診る歯医者が足りない→戦力低下」

とかホントにしょっぱい理由での戦争遂行能力の劣化が語られてますからね。

がっくりですよ。

日本がWW1という国家総動員の「総力戦」の経験をしていないというを措くにしても、「これでは戦争に勝てない」ってなってもまったく、微塵も、小揺るぎもしない

「オレたちは、このままでいい」

って初期方針の貫徹の強い意志にアタマがくらくらします。

よくねーよ。

前線ボロボロじゃねーか、って言う。

 

国民皆兵とは名ばかりで

「出来のよい粒ぞろい(甲種合格)ばっか選抜して編成」

した兵団を基礎にして作戦組み立ててたら、戦争がはじまって師団の大量増設してみたら、「兵員の質がクソいので戦争にならない」ってなったり。

戦力代消耗で徴兵基準の滅茶苦茶な緩和、丙種合格(正直ギリギリアウトっていうか、兵隊としてもろアウト)も甲種並みに扱う、ってまでの根こそぎ動員、装備も竹の水筒にスフの頭陀袋みたいな背負袋になって、もはや「皇軍の面影ナシ、病人か老人の群れ」になったり。

まぁ・・・酷い。

 

平時から真面目に「戦力プールの底上げ」をまったく等閑に付したまま、上っ面取り繕ってたら序盤の序盤でボロが出たという情けなさ。

対米戦に突入する以前にすでに兵員の体格劣化は著しいもんがあったとか、ホントに「ハリボテ軍隊」だったんだなぁ、と寒々しい思いがします。

 

満州事変当時の兵隊の体重は65~66kg

(歩兵第28連隊 初年兵65.67kg 2年兵66.2kg)

戦前の兵隊の平均体重が60kg程度

対米戦末期には54kg程度

(1943年徴兵検査、20歳壮丁の平均身長161.3cm 平均体重53.2kg)

 

対米戦前からの約5年だけ見てもこれ。

満州事変からの10年単位で見たら、10kg近い平均体格の劣化。

 

凄まじいですね。これで

満洲事変時と同様の、機動力と攻撃力を発揮してね兵隊さん」

って命じて恥じることのなかった日本軍首脳マジどうかしてる。

 

こんなに兵隊の体格が劣化してるのに、日本軍はなんら有効な対策は採りません。

「兵隊の能率的な負荷の限界は体重の35~40%」

という陸軍軍医団からの具体的な数値が示されてるにも拘らず、兵隊の装備の量は、体格の良かった満州事変の頃と変わらない・・・むしろ機械力の手配が停滞したので、前線の兵が自己負担しなければならない弾薬・糧食の負担が重くなって、体重の半分を超える装備がほぼ常態化する始末。

1944年の1月の公式の指針として、兵士の個々の負担量は

小銃手 35kg 擲弾筒手 36kg 軽機関銃手 42kg

を大きく超えないことを原則とする・・・だってさ。

建前上は「山岳地で行動する場合」って言ってるけど戦前の山岳部隊に与えてた規模の自動車の手配も出来なくなってる状態でこれは・・・ほぼ「全陸軍歩兵の標準」みたいなもんですよね。

 

さて。

ここでちょっと確認してみましょう。

陸軍軍医団は、科学的に

「兵隊の能率的な負荷の限界は体重の35~40%と明示しております。

徴兵検査の統計は、同時期の日本人壮丁、徴兵適確者の平均体重を

「平均身長161.3cm 平均体重53.2kgと、報告しております。

そして、軍中央の指針は、

小銃手 35kg 擲弾筒手 36kg 軽機関銃手 42kg を負担せよ、だそうです。

 

・・・気のせいでしょうか?

吾のアタマの悪さでしょうか?

軍の打ち出した指針は軍医の示した限界をいともたやすく軽々と超過しているように見受けられます。

・・・まあこの科学の示す限界と、軍の理想を埋めるために用いられたのが精神力でありヒロポンだったわけですが。

なんというか・・・ホントすごいですよね。

「こういうものの考え方があるんだ」というか

「戦争という極限状況はこういうトンチキを真顔で語って許してしまう空気なんだ」というか。

 

これ言ってるの、そこらへんの精神バカの小者じゃないですからね?

戦前日本のパワフルすぎる巨大組織の俊英中の俊英、大日本帝国軍のエリート軍官僚たちですからね? 数字に強い極めてキレる頭の持ち主であるはずの人たちが、この結論に至って「モウマンタイ」って言ってたんですからね。本当に想像を絶する現実です。

 

軍隊生活の悲惨よりも、この戦争指導部の拙劣さ、物量において負けているのなら、その並外れて優れた頭で知恵を絞って局面を打開するはずの人たちが、ただただ漫然と「戦前の方針」を踏襲するだけというシュールさが強烈に印象に残りました。

 

彼らのアタマは、いったい何のためにあったんだろう?

彼らは、戦争指導において本当にベストを尽くしたんだろうか?

 

兵士の無惨よりもむしろ、戦争指導への疑問が沸々と湧きあがる読後感。

健脚無比、徒歩行軍によるしかない帝国軍の乗り物=軍靴の品質を疎かにしたまま東京で伸び伸び「次はどこに攻め込もうか」などと夢想を巡らしていた戦争指導に当たった高級将校や軍官僚と、酷暑と湿気に呻吟する兵隊との乖離がつくづく印象的な一冊でした。