文章がなんかねちっこい。
ちょっと感情のせすぎやろ、って感じでもっとスッキリ書けばいいのに、ってイライラがあちこち募る。
恐らく半分程度に圧縮できたのではないか。
「GPSは無意味、何故なら道路の両側はずっと空白が続くから」
のネタ、ちょっと何度も繰り返しすぎ。
近平の話も、その気配がなくもない。
とはいえ、出だしの切り口は面白かったです。
徳川斉昭が、井伊直弼から牛肉貰えなかったのでそれが遺恨になったんや、ってのは知らなんだ。
お前んとこの名物の牛贈れよ、いつものように。楽しみにしてるぜ!
↓
わりい、殿様(直弼)が殺生禁令出したんで無理。
↓
そこをなんとか! 地元のじゃなくていいから、どっかから調達して牛くれよ!!
↓
だから殿様がダメだっつってんだろ、殺生まるまる禁止なんだよ!
といった遣り取りが続く。どんだけ牛食いたいんだ斉昭。
あと慶喜な。
ブタがいっぱいほしいので、島津よ、俺に贈れ!!
とかさあ・・・紹介されてる督促の書状とか、それにグチ溢す薩摩のとか見てると、「うわあ」ってなる。
小松帯刀が
「俺が持ってる豚肉、いっぺん献上したらしつこく要求された」
「もう三回贈ったんだが、あっという間に平らげてまた督促してくる」
「手持ちねーよ、スッカラカンだよ! 頼む国元、追加送って!!」
「豚一マジ強欲」
って書状を薩摩に送ってるそうな。どんだけ豚食いたいんだ慶喜。
斉昭も慶喜も、殿様の分際でこれかよ、と。
武士は食わねど高楊枝ってなんなん。なんなんなん。
これは幕府滅んでよかったのかもしれん。
しかし実に恐ろしきは人間の食欲だな、と。貪欲にも程がある。満たされないとルサンチマン蓄積してプッツンとかもろくでもない。*1
その導入部はまあさておいて、中盤以降はけっこうダラッとしてます。
伊勢湾台風でボロッボロになった山梨に種豚を贈呈して、日米友好、みたいに演出してたけど、それ実は濃厚飼料(配合飼料)を日本に買わせるための方便でしかなかったんだよね、とか。
昔はそれしか売れなかったけど、加工技術と保存技術の発展によって「豚そのもの」を送ることが出来るようになったんでいっちょ日本市場開放させてやろうぜ、とか。
そうなったら別に固有種とかない・・・というか、日本の食用豚のほぼ全てが、アメリカから贈られた種豚の血統であり、国内固有種でブランド化で何とか逃げ切りを図る牛のような真似ができないし、もう死ぬしかないんじゃないですかね、豚畜産は、とか。
興味深いんだけど、もっとスッキリ書けるっしょ、というストレスも大。
近平(中共)の食糧政策の大転換の流れもね。
これはこれで大変興味深い。
無理矢理自給率をあげるということの困難。
そもそも無理してた頃の無茶すぎる施肥(化学肥料ドッカンドッカン撒く)+急すぎる工業の発展で環境保護が追い付かない、のダブルコンボで農地が汚染されまくりという今そこにある危機。
じゃあどうする? → どうもこうもねえよ、ここで農業やらせねえよ!
ってどんどん耕作放棄(強制放棄)させられる汚染農地。
もう以前のように国内で自給自足は無理。→近平の大量大豆買付けに代表される、カネに物を言わせた食糧調達へシフト。
この辺のダイナミックな流れというか、良くも悪くもスケールの大きすぎる大陸風味も面白いです。著者が拘束されたエピソードはもっと詰めたほうが緊迫感あったと思うけど。
全体に面白いのにもったいない、そんな感じの漂う本です。
しかし、世界(米国)と日本の意識の差については、著者の意見におおむね同意。
米国は世界に売り込むために国がまとまってるんだよね。
いっぽう受けて立つ本邦は「6次産業化」と篤農家に頑張りなよ諸君、と丸投げ。
ブランド化などというと聞こえがいいけど、それも県単位で国内群雄割拠。
外に「日本国として」売り出していこうという気配は全くない。
日本国内の市場で比較優位をとって延命を図り、あわよくば海外へ・・・みたいなのが多すぎる。*2
こりゃあ敗けて当然っすよね、と思った次第。
文章がくどいしねちっこいので読み難いけど、興味のある方、
特にTPPに絡んで攻勢を強めるアメリカンの豚肉業界のことに興味がある方、などにはお奨めです。
くどいと言ったけど、食肉生産「工業」としての米国畜産業のルポ部分は、かなり白眉かもしれません。