オーケイ主語デカ。
今時分のあまりの主語のでかさに恐れ戦いてる。
俺は今何を口走ったのだ。
これね。
そういう風になるんだ、っていうすごい新鮮な驚き。
ここがいっぱい驚いた。
この前段。
どうみても格好良くない声優がイケメンだと持て囃されたり、どうみても可愛くないサブカル系のアイドルが可愛すぎると騒がれたり。
無視すればいいと思う。もしくは手斧でも投げあったらどうでしょうか。
無視すればいいと思う。お前の感性は絶対ではないって殴りかかってみたらどうでしょうか。
1つも共感出来ない「こんな嫌なやつにあった私可哀想でしょ?悪いのは全部相手!私は迷惑かけてない!」なんていう投稿に信じられないくらいの反響がついたり。
共感ベースで動くとろくなことがないので界隈まるごと無視するのがシアワセだと思います。
んで、最初に戻るんだけど。
好きなものみんな似たりよったりじゃないんですよ。昔だって。
てか確実にその「みんな」から外れてる奴もいるわけ。
で、俺なんかは「みんな」から外れる側になることがとてもとても多かったので、今のほうがずっと生きやすいよな、と思ってしまう。
愚痴になるが、俺が読売巨人軍を嫌いになった最初の最初のキッカケは
「好きなものみんな似たりよったり」
というか「みんな見てるもんが一緒」のせいでもある。
昔の田舎は本当に酷いぞ。
巨人戦しか中継してないんだ。そしてダラダラ延長する。
父親が優先権持ってるだろ(これはまあ、しゃーない)。
野球にあんま興味ない子どもにはつまんねーんだ。
で、すぐ隣が祖父の家だったので祖父の家に逃げる。
祖父の家でも巨人戦見てる。ガッカリ。
延長続きで後番組の開始がズルズル遅れてそのうち母親に怒られて寝かしつけられる。こんなことがしょっちゅうあった。
たぶん増田の言ってるのとニュアンス少し違うと思うけど、みんなが好きなものだけど自分がたいして好きくないモノを、えんえん見せつけられて逃げ場がない、ってのもそれはそれでけっこうキツイもんがあったよ。
巨人が負けると父が見るの止めて、チャンネル権が子どもに下りてくるので、子どもだったその当時は強かった広島とかヤクルトとか好きになるという、逆恨みにも程がある副作用もあった。*1
てかですね。
不思議なんだけど、増田は自分のセンスとマジョリティのセンスが過去においてバッティングする可能性があるとは想像しないの?
もし過去にタイムスリッパしても
増田の好きなもの≠みんなが好きなもの
ではなかった可能性はいっぱいあるのよ?
そも提供される娯楽の総量がたかが知れているし、人気であればあるほど目に付く機会が増えて、自然と好きになる、というサイクルもおおいにありえるけど、上記のろくでもないキッカケでアンチ巨人になった俺みたいな例もあるからね?
そん時に逃げ場がないのってきつくないかな?
俺はけっこうきつかった。
そう思って読み返してみて、ちょっとすとんと落ちたかな、というのがこれ。
増田の子供の頃にはもう発信できるのが当たり前だから、その巧拙が評価軸になるようになってたんだな、と。
巧拙問わずただ発信できるだけでも大革命! ってのが俺の感覚。
ここはズレが生じてもしょうがないか。
ただ、ここはどうかと思う。
今までの常識はもう通じない。少しのボタンの掛け違いで相手に少しでも傷つけてしまったら、全世界に向けて私がまるで悪の根源のように描写されて。それになぐさめのことばがいっぱいついて。
武器の濫用だね。
けどそれに対する増田の感覚もモヤッとする。
今はマイノリティーを大切にする時代だから。ただ自分の感性に基づいて生きているだけなのに、ちょっとでも傷つけてしまったらマジョリティーの奴にこんなこと言われた可哀相なマイノリティーっていうストーリーにされちゃうもんな。
いやいや。
傷つけ傷つけられた俺とお前
まずはその二人の問題だろ、って。
そこでなんでいきなり
「マジョリティだから奴はこういう」
「マイノリティだから奴は少数である武器を使う」
みたいに世界と直結してんだ。
それが新世代のコミュニケーションの作法か!?
って思ったけど、こういう「誰が」「誰を」って部分を思いっきり曖昧にして属性だけを切り出して問題を誇張し膨らまして相手ぶん殴るって奴、あらゆる世代の大人がやってますねサーセン。
その上で思うんだけど、増田はマジョリティー側の価値観が圧倒的に優勢だった過去を良かったって思うよりも、すぐに個別具体的なトラブルを膨らまそう膨らまそうとする流れにこそ抗った方がいいんじゃないかな、って。
増田はちゃんと「私は」って発話してるけど、増田がしんどいと思ってる環境では「集団に紛れ込んだ、あるいは集団を背景とした何者か」が攻撃しかけてきてるよね。
この点では増田は(異端気取り、って書いたけど)偉いと思う。
増田は自分で「俺はこう思う」って言えることを大事にして欲しい。
言葉にするのがいかに上手かろうが、その言葉を自ら引き受けられない個人は、マジョリティだろうが、マイノリティだろうが、いずれ潰れる。
それだけは今も昔も変わんないと思うよ。
世の中の趨勢ってのはガラッと変わるから。
あるときはマジョリティとされる集団に属した優位を存分に享受していた人間は、その価値観が変化して、マイノリティに落ちたら集団の転落にともなって今度はまるごと殴られる側になる。
どんな集団に属しているにせよ、「俺は」どう思うか。それを常に自覚していれば、集団や属性の栄枯盛衰に翻弄されるのは、ちょびっとは抑えられると思います。