afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

噎せる。

書ける文章と書きたい文章は本当に違う。


この本をしばらく読んでいた。

 

獄中記

獄中記

 

 
思想や社会に対する姿勢はまったく違うんだけども、佐藤の文章は好きである。
俺は上手いと思う。
思うんだけども、これを真似することが出来ないんだな。

自分で書こう、となるとこういう程々に潤色された文章というのが書けない。
もっとぬるっとした、装飾過多でもっちゃりとした、後味のしつこい文章になる。

ブログがなんか書き散らした感じになるのは、これを無意識に避けているからだと思う。
下書きに残っている「ちょっと真面目に」書いた文章を読むとそう思う。
自分で書いてて大袈裟だと感じる文章をずっと書き続けるのはしんどい。

ちょうどいい塩梅の心情の吐露というのがとてもとても難しい。

拘留日記にも拘らず、そうした派手な感情の激発とかはない。
けど抑えた筆致だけど、理不尽をどうにかして消化しようとする苦闘の跡が見える。
消化した、そういうモノだと観念している、という風に、何度も言及しているところが、実際のところの拘留のしんどさを感じられる。
こういう強がりっぽい(本人の中ではガチの感想なんだろうけども)言及の一方で、独房の環境のきつさ、想像よりも好待遇だったことへの安心感、雑居房への恐怖感などがところどころに挿入されていて、こっちのがより心情に近いんだろうなぁ、という雰囲気も見えたり。

バランスがいいんだよね。

元になった拘留日記の中から取捨選択して、推敲を重ねたうえでの出版なんだから当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど、それでもやはり「本当にそういう風に考えていました」という体裁を整えるのは、たいしたセンスだと思う。

もっと独房での勉強のつれづれのボリュームを膨らまして、禁欲的なオレサマ、を演出しても良かっただろうし
裁判の絡みもあって書けなかった裏話をぼんぼん書いて、落合信彦山本一郎的なオレサマ、を演出しても良かった。*1

それをしないで、監獄メシや監獄内での思索について書いてるのがいい。
以前から薄い新書や対談本はチラチラ読んではいたけど、やっぱあらためて読者が読みたいものを提供するのが上手い作家だな、と思う。*2


内容についてはいろいろと思うところはなくもない。
本当に著者の主張するとおりのシナリオに沿った外交だったのか、検察の見立ての方がより正しかったのか、まだ半信半疑。
著者は外交文書の機密解除になる頃には正否が分かるだろう、と楽観的だが、昨今の騒動を見るとまあこの事件関連の文書もいつの間にか紛失、あるいは改竄してるに決まってるよね、という冷めた気分も湧いてくる。
この辺は、出版から10年以上たって、著者が危惧してる国家機能の劣化がますます進行したことを「知っている」から生じた感想で、当時それを見抜けなかった著者を責めるのは酷だと思うけど、答え合わせが出来そうにないのは残念。


とはいえ、そうした正否はさておいて「それでも自分の仕事に恥じるところはない」っていうのを抑えて言えるのはいいよな、と思います。

俺が無駄に飾ったりくどい文章を書くのは、自分の意見を主張する時。
それは読み返すととてもくさい文章になる。
分かってるのでなるべく書かないようにしているんだけれども、それでもときどき書いてしまう。
そのきたない装飾に対する同属嫌悪が、この増田には湧いてしまう。

 

 

anond.hatelabo.jp

 


内容はどうでもいいんだけど、この自己憐憫というか、感情過多な感じの文章が本当に厭。
まるで自分のひり出した文章みたい。
自分でも書くときには確実にこういう、文章に酔った「ぬるっとした」気持ちの悪い文章になるのですごく厭。

 

特にこの辺のくだり、自分でもやったことあるので「ウエッ」ってなる。

きっと同じことを考えている人間はいっぱいいるはずだ。たった一人でこの思いを抱えて、暗闇のなかでうずくまっている友よ、朋輩よ。

 

感情を伝えようとするあまり、気持ち悪さが前面に滲み出る文章。

それを克服したうえで、きちんと主張と感情とが伝わる文章を書くにはどうすればよいのか。
稽古が必要だと思うが、どう稽古したものかさっぱり見当がつかない。
四股踏んで鉄砲でも打つべきか。

 

考えるのがしんどい。

表面に出てくる「ちょうどいい塩梅」をサラッとかける人はとても少なくて、推敲して呻吟した挙句にちょうどいい文章が書けるのだということはアタマでは分かっていても、それでも、叩き台として最初に書く文章の精度を上げる方法はないものか。


最初に書く文章が上記増田と大差ない、あるいは上記増田以下の醜いなにものかになってしまう現状では、書いた後に見直して洗練するという作業がいっぱいつらい。


それを避けるために、書き直しのきかない一発勝負、という形をブログには課しているけれども、それでは物足りない感触も少しある。
書き直しが利かないからなるべく抑えよう、という意識が働くけど、それで書けずに腹の底に沈んでるモノも割と溜まってくる。

 

その腹の底に溜まったものをきちんと吐き出すには、チャンと文章を書くということと向き合わなくちゃいけないのだが、そこまでするほどでもないよな(≒めんどくせえ)、という気分もある。
溜まったもんを出す時に、ちゃんと出せないから色々と不具合をきたすようになるんだけど、それでもちゃんと吐き出すという訓練には尻込みする。

 

そんな宙ぶらりんの状態でも、今回読んだ本のように、感情と主張が抑制されてるけどしっかりと伝わってくる文章に触れると、やはり揺れる。


こういう風に書けるようになりたいものだと思う。

やはり、くっさい文章でも自分で書きだしたものである以上、きちんと向き合って改善するという手続きは、感情の整理には不可避なのだろう。

 

いい本だと思うけど、そんな自分の中の問題と向き合うことを刺激されもして、なかなか微妙な気分にさせられる本でした。

*1:まあまったくそういうオレサマ感、がないと言えばウソになる。が、一応そういう素振りについての自覚があるかのように装った筆致になっているのでギリギリ気にならなかった。思わせぶりなことをしつこく書いてるな、という読みも出来なくはない。

*2:対談本はその傾向が(悪い意味で)顕著な感じがする。対談している相手の主張にかなり迎合して、中身の薄い話になってるような雰囲気がいっぱい。単著では言ってる事の成否はともかく、主張がそこそこ見える気がするんだけど、対談本だとその辺がふやける感じ。