afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

帰省中はやることがない。

もとい、なくなったというべきか。

ちょうど狙いすましたようにやってきた台風を見越して帰省を諦めた層が多い。

後ろ倒しは何とかなるから・・・と思い切って帰省したのは少数派だった模様。

さらにアグレッシブな1泊しかできないけど台風の合間に無理矢理、の人も居たがもう帰っちゃったしな。

 

断続的に強くなったり弱くなったりする風と雨を眺めながらぼんやりしている。

天気の良いうちにあちこち出掛けたけど、どこもかしこも思い出よりずっと小さいんだよな。

えっ、こんなに小さかったのか?

って困惑が凄い。

見上げるようなデカさだった梁も、「よくこれで支え切れるな」って不安になるくらい細っこい奴だったりする。

ちょくちょく覚えてる記憶と違うのは、そこにあった筈の建物が無くなってるのも大きい。

空家になって朽ち果ててしまっているのならまだそこに何があったのか分かるけど、きれいに解体して更地にするのがほとんどなので、ほぼ集落まるごと人がいなくなって更地にしたようなところに出くわすとスルーしてしまう。

後戻りしてようやく、かつてここに集落があった、って気付くレベル。

建物が無くなると見晴らしがよくなるので風景が変わってしまって過去の記憶は当てにならない過ぎる。

朽ちるにしても、処分するにしても、一気にまるごと潰すということはしないらしい。

集落の集会所は建物は健在だったが、ブランコなんか、支柱の根っこがサビ朽ちて倒れたのか、倒れてケガする前に処分したのか、隅の方に追いやられていた。

踏板も小さい。鎖と鎖の間に体が収まっていたことが信じられんくらいに狭い。

需要ももう、少ないのだろう。あえて再建せずに処分することになったあたりに過疎化を感じる。集会所の方まだしばらく、人はいるから使われるか。

 

 

人が作ったものが小さくなったり狭くなったりしている一方で、植物の方は記憶よりずっとデカくなってた。

学校の行事などでいくつか植樹したのがデカくなっている。

こちらの想像をはるかに超えて。

集落の球戯場(ゲートボールとか、グラウンドゴルフに使う広場)を新しくするのに合わせて小学生の頃に植樹した細っこい榕の樹が、隣の小屋の屋根を覆いつくすほどにデカくなってた。

植えたすぐのころから、島を出るまでの間は、少しずつでかくなってるとは思っていたが、道沿いに眺めれば、手前の小屋と榕の樹に邪魔されずに球戯場全体が見渡せるくらいの大きさだったのが、いまや道沿いからは榕の枝しか見えねぇ。

なんてデカさに成長したのか。

変な意味で自然の力に圧倒される。

 

特にやることがないので、自分用に備忘録。

実家に飾ってる祖父や祖母と写っている昔々の家族写真がだいぶ色褪せてるので、これも復活させるように手配したい。

一方で「これはこのままでもいいんじゃないか」と思わなくもない。

色鮮やかに復活しても、それはそれで何か違うという感覚が湧いてくるかもしれない。

色が抜けてても懐かしいものは懐かしいし。

しばらく決定は保留しておく。

ネガはないから、復活できませんよ、ってオチかもしれないけどね。