この件に関しては完全に、強烈に偏見から来る忌避感を持っている。
しかしその偏見は、故なしとはしない。
かつてマスメディアが何をしたか、それを踏まえたうえで、これは間違った考えだといいたい。
「実名報道をするのは真実であることを保証するため」メディアが実名報道にこだわる理由 - Togetter
要は責任回避しつつ横並びで特落ちしたくないだけ。そんなに「意義」があるのなら自己責任で実名報道をすればいい、マスコミ各社が。松本サリン事件でも「警察発表流しただけ」と逃げ回ってた連中にはできねーだろ?
2019/08/21 20:00
かつて松本サリン事件というのがあった。
冤罪事件だ。
容疑者として警察の内部リークを鵜呑みにしてメディアスクラムで冤罪被害者を囲い込み、警察発表を受けて各社揃って実名報道に踏み切った。
その後、冤罪が告発され、被害者の無実が証明された。
メディアは野中広務(当時の国家公安委員長)が被害者に謝罪してようやく、横並びで謝罪・訂正記事を掲載するか放送するかしている。
・・・これのどこに主体性があるのか。
主体的に取材し、その結果として何らかの「実際の被害者」を掴み、それを「警察発表」と照らし合わせるためにこそ「実名報道は必要」なのだ、と言いたいのだろう。
では聞くが。
松本サリン事件において、マスメディア各社は
・真実の犯人を独自取材したのか。
・照らし合わせたうえで警察発表のそれに疑義を示したか。
・警察発表のそれに反するor補強する独自取材が出来たか。
・警察リークの信憑性について、自分でたしかめたか。
警察発表の信憑性をチェックするのが俺たちの仕事だ
その意気やよし。
で、実際にその仕事をしているのか。
俺はそこに強烈な疑問を持つ。
今回の件も、原理原則として反論しにくい建前を立てた上で、じっさいには
警察発表という錦の御旗を得たうえで、被害者・あるいはその遺族への「信憑性の確認」という名目で突撃取材を敢行し、紙面を埋める・撮れ高を確保する*1ことこそが最大の目的ではないのか?
そう疑っている。
かつて松本サリン事件で冤罪被害者を吊し上げ、仰々しく報じたように、売らんかなでセンセーショナルに報じたいという本音を隠しては居ないか。
もっとも、おなじく大きな冤罪事件として挙げられる足利事件では、一部民放が冤罪被害者とは異なる、有力な犯人の目撃情報を(冤罪被害者が逮捕される前に)報じており、それを梃子に、だいぶ後になったけれども警察の捜査の妥当性を問う一連の報道を展開するなど、マスメディアの権力監視機能が働いた事件というのがないとは言わない。
ただ。
こと今回の事件に関しては、そういうチェック機能という意図よりもセンセーショナルに報じたいという姿勢の方が底に透けて見えるような気がする。
被害者の実名を報じることによって
「よし、警察発表と自分たちの取材結果は間違ってない、これは確からしい」
ってチェックする必要とか意義とかを認めるにせよ。
いみじくも上記まとめに記されているとおり、
「現場は実名報道の意義を理解しているのか」
ってのにはどうしても不信が拭えない。
現場では視聴率の取れる画、煽情的で売れる紙面、それを構成するための要素として「実名」が求められ、認識されているのではないか?
匿名のまま報じるよりも、実名で報じたほうが悲劇性が増すから、実名の方がいい。
そう考えては居ないか?
どうしても、そう勘繰ってしまう。
原理原則として正しかろうが、それを口にする人(が属するポジション)に対する信がないので、俺は胡散臭いな、この裏にドス黒いホンネが渦巻いてんじゃねえの?って思いました。
原理原則の正しさはギリギリ認めざるをえないけれども、それを嵩にきて人をぶん殴ることを「正義をなす上では不可避の損害」とみなす振舞いには、やっぱ嫌悪感の方がずっと大きいですね。
どれほど原理原則が正しかろうが、容疑者も被害者も遺族も、好き放題に突撃していいもんじゃないだろ。
これまでその好き放題で踏み躙ってきた実績があればなおさら。
俺達が居なければより巨大な力によって蹂躙されていた、という言い訳は通用しない。
問われているのはメディアのじっさいの振舞いである。俺はそう思う。
※追記※
良い記事。
自分の判断の責任を警察に丸投げしている、という指摘には納得しかない。
一方で、自身の責任で「報じない」という方針を採用した報道機関があることにちょっと救いを覚える。
*1:これについてはメディアばかりを叩くのもフェアじゃないだろう、そういう「画」を求めてる視聴者がわんさか居るのが実情だし