afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

近くて遠い。

遠くて近い。 端的に言うと親学が死にますように。

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辛い親の気持ちもわかるけど、子供に何かあったら、という警戒の網を張る親の気持ちも非難できない気がする。

どういう風にすればいいんだろうね。

「子供がああいうことをするのは、外に原因がある」

みたいに、無理矢理に因果を取り繕うのが拙い気がする。

「人の目を狙ってひっかいてくる幼児がいる」

という注意喚起で済ませればいいのではないか、と思うけど、

子供は大人が制御可能であり、制御出来てなければ大人の怠慢、という意識が強いからこそ、「親が、環境がなっちょらん」みたいになるのかな。

なら「子がもたらすかもしれない加害」と「親の責任を責める風潮」とを分離して、親の有責性を叩く流れをまず止めるほうに力入れたほうがいいんじゃ、と思う。

 

阻害・排除するのはしょうがないと思うんですよ。

ブコメにも書いたけど、そういう排除によって多数派集団安定を獲得していたのがホンのちょっと前。

それが非人道的だ、これからは包摂しよう、ってことになったけど、ぶっちゃけいきなり人の意識も世の中も変われないですよね。

言ってることは正しいと思うけど、子供を持つ親の身になれば途方に暮れるんじゃないか。親の親(子の祖父母)の育児体験(正常から外れた子は集団から排除して育つ)は参照できない。

仲良くしようにも、

加害児をずっと見張り続けるのが親にとって不可能なように、

加害児から被害を被るかもしれない子供を親が見張り続けることもまた、不可能。

それでただ「仲良くしろ」というだけで上手くやれるのか?

無理でしょ。

ならもう距離をとるしかないじゃないの。

 

付き合いにくい人間と付き合うための解法を与えないまま「排除はダメだ」ってのは、子の親から見れば無責任すぎる。

大人だってめんどくさい奴からは逃げるのに、子育てになったら「みんな仲良く。どうすれば仲良くできるかわからんけど」っておかしくないか?

 

その距離をとるときに

「あの子はダメ、何故なら○○だから」

と環境要因なり親の躾なりを理由として排除するのではなく

「あの子はダメ、うちの子を攻撃するから」

なら立派にOKでしょう、と俺は思います。

加害児家族には加害児家族の言い分があるのは、じゅうぶん承知のうえで。

親が悪いわけでもなく、環境が悪いわけでもない。その子も悪くない。

誰が悪いわけでもないが、ただ俺の子にとっては危険な存在である。

 

それで距離をとっても、気に病むことはないと思いますよ。

そこから、何かそうなった根拠づけ、理由付けを求めるのが何よりも拙い。

距離を置くだけなら問題ないと考える。

 

ブコメは狭量な社会に対するいら立ちを表明する人が多かったけど、違和感があったので書いとく。

そりゃ社会の在り方としては間違ってるけどね。

自分の子供に加害する「子供の形をした何か」「人の形をした何か」との付き合い方いなし方をキッチリ教え込まれないまま、

「さあ仲よくしよ」

とお題目だけ唱えるのって正義なんですかね? 

安直に「正常っぽくない人」を「おまえの病因は・・・これだ!」って決めつけて排除するのもクソですけど

付き合い方の処方箋も与えないまま「なんで包摂しないの? 狭量なの?」ってのも

そっちもそっちで間違ってると思いますよ。

 

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人間の「正常」なんてこんだけ脆くふらつくしょうもないものなんだから、いちいち排除しててはキリがないし、窮屈な世の中になるってのも分かるけどね。

けど「正常っぽいところ」から外れた人との付き合い方を啓蒙するには、まだまだ時間がかかると思うのよね。

 

認識できる幅を広げるのって凡人には大変なのよこれが。

いずれ包摂に向かうのは当然として、いまは時間をかける、距離を置く余裕を下さい。