afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

それは立て直すべきものか。

まずそこまで戻って考えてみる必要があるんじゃないかな、って。

www.nikkei.com

 

いやまあ問題ではある。

けどこの問題というのは「どこから見た時に問題か」というのをハッキリさせておかなくちゃいけないと思う。

将来世代、いわゆる働けなくなった高齢層を支えるには人口が必要だ、というのがまあタテマエだろう、と。

 

んで。

30代のカップルの産む人数は人口再生産に成功している先進国とそん色ないレベルであると。

キモは20代のカップル成立数がやたらと下がっていることだと。

何でなんだろうな、って思ったんだけど、直感的に思ったのが

小泉・竹中内閣(とそれを序盤においては熱狂的に支持した大人たち)の影響かな、と。

これは完全に思い付きであって、傍証とか微塵もない印象論に過ぎないのだけどそういうのができるのがブログの良いところ。挙証責任? 知るかよここは俺の日記帳。

 

自己責任・努力不足・自業自得、ってフレーズで政府の公共からの撤退縮小路線を政府が明示して、それを大人たちも「いいぞもっとやれ!」ってめちゃくちゃフィーバーしたじゃん?

あれってさ表面的な『政府の撤退』ばかりじゃんくて、もっと広い意味の公共の底を放棄したっていうのもあるんじゃないかな・・・と、今になって思うんすよ。

 

要は「世の中って支え合いだから」っていう建前を、本邦においていちばん影響力のあるパワーが「イヤそんな甘っちょろいことないんすよ」って本音ぶっちゃけて、国民の皆様方も「そうだそうだ」ってなったのね。

そんな大人ちゃんの振舞いを見てた当時の若い子たちにさ、適齢期になったからといって

「世の中を支え合うために、キミは結婚しなくちゃいけないんだよ」

って導くのはまあ・・・無理筋。

 

で。

大人どもがこの無理筋のふわっとした圧力が使えなくなったことが、婚姻率の低迷に繋がってるんじゃないかなって思うの。

実は社会に生きる自分たちが想像していた以上に、自己決定権を与えられた状況で

「結婚しよう」

って方向に動く人間というのが少なかった・・・そういうオチなんじゃないかしらと。

 

良い悪いはここでは措きます。

政府(およびそれを指示した国民)は

「自己責任・努力不足・自業自得」

という形でお互いを切り捨てたともいえるけど、一方でその分自己決定の範囲がおもいきり広がったというのも否定できない。

その自由こそがあれほどの支持を広げた側面もあるんじゃないかな、って思うし。

んで、その自由な意思を尊重する空気(切断の方便にめちゃくちゃ多用されるようになったのはご愛敬、ここでは棚上げ)が完全に優位に立った社会のなかで育ってきた若い世代にとっては、

「結婚・出産」を強要される圧力もそうとう軽減されたのではないかと。

 

 

こういう風に思ってるから、子供が増えない大変だぁ、という論調には正直、あんまりノれません。

今までは社会の圧によって「結婚・出産」を余儀なくされていた消極的な婚姻数が取っ払われた結果として、ひょっとしたらむしろ、自己決定の帰結としてある今の方が健全という可能性もあるんじゃないのか? とすら。

 

business.nikkei.com

 

こういう悪意と偏見に満ちた分析記事も出ちゃうくらいだしね。

異性を求めつつ、異性の欠陥ばかりをあげつらう分断の昂進もまた、「今」らしいっちゃらしいけどさ。

そりゃ、圧がないと想像以上に婚姻とかカップルにならない人って多いんだなぁ、と感慨深いものはあるけど、それが≒悪い、っていうのが自明であるかのように語る、さらにそれが「悪」と仮定したうえで当事者双方ではなく、片側の有責性に偏りを見出すようなこの記事にはすごい違和感がある。

 

自分が他人に「結婚しろ」と強要するだけの資格を有しているのか、どうか。

自分が他人に「子供を産め」と強要できるだけの何かを為しているのか、どうか。

 

そこまで立ち戻って考えないと、どんな論も成り立たないと思う。

そして、そういう後進になにかを強要する、という「大人の資格」は

小泉竹中の甘言に乗り、「自己責任・努力不足・自業自得」という形で、有権者がともに社会を背負うという責務を投げ捨てた時に喪っていたんじゃないか。

 

 

 

当初あの甘言に乗って小泉竹中を支持したおっさんとして、つくづく思います。

とりあえずさ。

若い連中に

「社会の観点からこれこれしなければならない(云々)」

というには、後ろ暗いものを抱えすぎてると思うよ、俺自身は。

だから、若い連中に「ああしろこうしろ」というような論調には、どうしてものれないのです。

 

 

しかし日経ビジネスにかぎらず、マスメディアとは不思議なものです。

生活保護バッシングの際に

「生保を受給したいと希望する人の適格性(可愛げ、と言い換えても良い)」

を事細かにあげつらっていたのに、

自身が後進に対して「結婚しろ子産め」と強要する際には

「社会を維持しろと強要できる己の適格性」

については不問に付すようで。

 

この辺の「他人を裁量する」適格性が、気分次第で自由自在に操作できるというのは、いくら見ても、やっぱり慣れませんね。