自分用しおり、ちうか雑感。
エリック・クラプトンの人種差別発言
日本人の自然増はもはやどうしようもないのにxenophobia拗らせててすごく狭くて可愛らしい。排斥による衰弱死と移民受け入れによる圧死、どちらを選ぶか呻吟した挙句の台詞でもなさそうな軽さも微笑ましい。>小沢健二
2019/12/03 04:27
これ。
そういや相方*1もなんかやらかしてたよな、って思いだしてググってみた。
そのものズバリが引っかかった。すごいぞはてなブログ。
まあそこそこ酷いっちゃ酷いんだけど、たった四半世紀前にこれが「イケてる」感じに音楽雑誌に載ってたわけですよ。今もそうかもしんないけど。
和光だから、とかじゃなくて、こういう過去に「やっちまったこと」を無邪気に
あるいはひょっとしたら誇らしげに語ることが許される空間があって、それが公衆に向けてガッツリ開かれていたのが四半世紀前。
すごいよな、と。
今の感覚で当時の空気を語るのは無理があるとは思うけども、それでも
「世の中相当変わったんだな」としみじみ思います。
で翻って。
冒頭の可愛らしいオザケンの認識
僕はUS以外の非先進国で、計約3年自炊生活していた。今の僕に最大の影響があるのはその時間。地上77億人のうち約67億人の非先進国な暮らしからの世界観、常に思う。日本の清い水道水、安全な町。移住自由だったら、日本圧死しますよ。政府万歳とか言ってるんじゃなくて客観的な事実として、圧死笑。
— Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) 2019年11月24日
にしても、界隈でやる分にはいまだに鮮度を保っているのかなって。
公衆の面前*2でこういうことがジョークになり得る、みたいなメンタリティの人を見ると危ういなぁ、と思うようになった「こっち側」がだいぶ変わったんだろうなと。
で、こっちがそういう風に変わって、割と世間の雰囲気も大っぴらな海外DISとかそれをもって笑いのネタにするにはあまりにセンシチブ、という感覚は共有されつつある中で、ずっと変わらずに居られるという環境というのはどんなものなのかしらん、とちょびっと気になりました。
世の中全体の潮流として見た時にいいのか悪いのか分からんけど。
オザケンのtweetやコーネリアスのinterviewにポジティブな感情が湧かなくなった自分は、嫌いじゃないかなぁと受容してます。
こういうのを「カッコいい」と思えるような自分に成長する路線はどこかにあったんだろうか。
ちょっと思いつかないです。