「誰か」に対して書くことは特に。
自分に対して書くことだってそうあるものではない。
後から見たときに備忘のために記しておいたものはそこそこ役には立つものの、それが確実に、「じぶんが当時考えていたこと」をまるっと再現できるようなものでもないことはすでに何度も思い知らされている。
ただまあ、
「その時、お前はそう感じていたんだよ」
という内心の解説を他人にやられるよりは、自分で書き残しておいた方がまだマシである。
イラッとせずに済む。
しかし、どう書いたところで「これって嘘だよな」となるのが書く前から分かり切っている心の中というのも割とある。
そういう手持ちの言葉で表しきれない感情は書き切れないし、書こうという気持ちも湧かない。
いや、書く気力は湧きはするが、そのことをストレートに取り上げてみようという気持ちが起こらない、というべきか。
今がそれ。
いま打ち込んでいるテキストとは全く無関係の、それこそ現に今まさに本邦を覆っている騒動ともおそらくは無関係のことで頭が占められている。
けどそれについてアレコレを書くのは躊躇われる。書いたとたんたぶんウソになるからだ。
自分自身だからこそ、確信を持って言える。
それでも、今日なんで書いたのか、ということだけは思い出せるようにしておきたい。
この日、このエントリで触れなかった大事なことがあったことを、数年後の自分が読み返した時に思い出せるか、どうか。
これは自分の物覚えの悪さ、忘れっぽさに対する挑戦でもある。
完全に自分用しおり。
メモっておかなきゃ忘れちゃう程度の衝撃なのだとしたら、そこまでの話。
正味のところ、これ読むまでは書くことすら思いつかなかったんだけども。
ただこうして10分程度の時間をかけてテキストを打った、ブログを更新した、というそのことだけで、今日という日をギリギリ締められなくもないかな、という気がする。
サンキュー黄金頭さん。
ホントにびっくりした。
今こうしてテキスト打って何となく落ち着いた気がする。
たぶん気のせいだけど。とりあえず何かしているということでちょっと衝撃を紛らわしてるところはあるわな。
けどこういうことすら思いつかなかったんだからまあ、そんだけ驚いたってことだ。
10年後、あるとして20年後。
このエントリを読んで「あのことか」と分かるかな? 自分。
分かってほしいけどね。
けど人間、とくに俺の記憶なんて雑でいいかげんなもの。
あまり期待しないでおく。
こんなもんだからこそ、書くべきことを書く習慣、書ける力をつけておくべきなんだろうが、後悔役立たず。