「書くことがない」
とはいうものの、にもかかわらず書きたくなるというのは不思議なもの。
たぶんまだ
「書いて人に見せるほどのものではないもの」
というのと
「書くべきもの」
とには何か大きな差があると自分の中では意識しているんだと思う。
この辺はきっと意識過剰だろうとおもうので、とりあえず他愛のないものでも書いておいたほうが良さそう。
なに、自分の中では「書くほどのことでもない」「書くほどのこと」と分けていても
まず間違いなく人にとってはどうでもいいことの羅列に過ぎないのである。
自分の今までの振る舞いを振り返ってみよう。
「ごめん、聞いてなかった」
「なんだっけ」
何度このせりふを言っただろうか?
お前は今までに食べたパンの数を覚えているのか(@ジョジョの奇妙な冒険)みたいな。
自分が他人の言うことにあまり興味がないのと同じように、
他人もまた自分にはあまり興味がないはずなのである。
にもかかわらず、
他人に聞いて欲しい・見てほしいという気持ちが湧いてくるのはちょっとワガママ。
ブログを始めたのはあくまで自分の備忘録みたいな感覚だったけれども
そもそも「ブログでやる」ということを思いついた時点で見せることを意識していなかったわけではないんだろうな。
まったく自己のためにのみやるのであれば、それこそ日記でもつけておけばいいだけの話。それで済ませなかったのは
「自分だけでやると三日坊主になる」
「外からの視線を意識すれば少しは続くのではないかしらん」
というのが動機だったのだけれども、今では
「書くからにはある程度読ませるものを」
という欲が沸いてきている。
吾はなかなか強欲な人間だね。と書くことによって新たな発見した気がする。
去年書いてた内容はそういう「読んで欲しい」というのを意識した内容が今となっては多いと思う。
しかしこの発見はあまりうれしくないぞ。
今週のお題「私の『夏うた』」
Thunderbirds Are Go (1966) with 2015 Launch Theme+Countdown
厳密に言うと「夏うた」ではないのだろうが。
NHKですごい頻繁に放送時間帯が飛び飛びでやってた新・サンダーバードをまとめて見たのが去年の夏だったと思う。
けっきょく足掛け1年ほどかかって25話? だった。
次はないだろうな・・・あちこち移動しすぎですよ。
番組表作ってるほうも大変でしょうが、追いかけるほうもだれてたんじゃないだろうかしらん? まとめてみられて幸運だったと思う。
で、テーマ曲がカッコいい。とても印象に残ってるので「夏うた」ということにしておきたい。
しかしこの「夏うた」、変なところで漢字とひらがなにひらくんですね。
「なつうた」「夏歌」どっちかに統一すればいいのに、こういう混じったのは苦手です。