それでいて、溝にならない程度には浅く
設定するのがよいと思い至る。
今日までブログが続いたのはそのせいだと思う。
大げさに「書かなければならないこと」を意識することもなく、それでいて「今日もいい一日でしたor悪い一日でした」という短評で済ませるというほどの軽い感じでもない、いい按配なのが日々続けられる負荷だったのではないかと。
・・・ところでこの「あんばい」、深く考えずに使ってしまったけど「塩梅」「按配」どっちに変換するのが正解だったんでしょうね。
変換候補ではどちらも「具合」というような説明がついてたけど、「塩梅」の方は味加減の方が先頭に来てたのでこの場合はふさわしくないかな、と思って「按配」の方を選択したけれども、果たしてホントにあってるのやら?
もしも真面目に構えてブログ書いてたら、この辺もきちんとするんでしょうがそこは「まあいいか」で済ませるのが続けるコツだと今しみじみ実感しています。
気にしすぎてもしょうがない。と自分に言い聞かせる。
心の棚はイナバ物置なのだ。100人乗ろうが大丈夫!
とりあえずめんどくさいことは全部棚に上げちゃおう。
そうした次第で今日も益体もないことを書きます。
今朝、この夏初めてのセミトラップに引っかかりました。
毎年のことなのに慣れませんね。
アスファルトのくすみ具合とセミの体色がちょうどいい感じに混じりあって、ほんのすぐ近くまで存在に気付かなかった。
後もう少しで踏み潰しかねなかったくらいに足元不注意で歩いてたけど、寸前で気付いてよかったなぁ、と思ったところでカサカサバサッって動いてびびる。
ちょっと声も漏れた。
なんで足畳んで「俺はもう死んでるぜ」のポーズしてるのに動くんだよ?!
ひっくり返って羽でもがいてアスファルトの上でもぞもぞ動くとか気持ち悪すぎる。
その後飛び立つのかと思いきや、ばたばたするばかりで一向に浮かび上がる気配なし。
断末魔だったのかな? 最後の魂の叫び。
どっちにせよ心臓に悪いので本当に止めて欲しい。
てか、セミの立場になって考えたとき、あの「死んだフリ」って何か意味があるんだろうか? 人間の中でも特にビビリの吾とかにはメチャクチャ効果でかいけど。天敵に効くのかな?
それでもひっくり返って弱点さらけ出した状態のトラップはあまりに危険じゃなかろうか?
毎年のことに、毎度のように驚いてしまう自分の学習能力のなさにちょっと腹が立ったけど、セミも死にかけのときにトラップしかけるような人生よりも、木にしがみついて息絶えるその時まで鳴き続けて、「わが人生にいっぺんの悔いなし」と言えるくらいに鳴き嗄らせばいいのになぁ、と思いました。
吾は最後まで前のめりで生きよう。
余力を残して転がるセミのような人生はごめんである。