afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

魂の駆動体

パイワケット・バルケッタ

 

それはさておき。

 

ゴミみたいな人間のまま堂々と生きていく。 - 自由ネコ

魂の叫びですな。

2017/09/08 18:40

 

いい話です。とても。

ありのままの自分を受け入れるって大事。

その上で少しでも世の中をよくしたいと思えるのはえらい!

「勝ち組の向こう側」にまで想像力の射程を広げる事ができるようになると、ちょびっと、人によってはかなり生き易くなると思う。

 

競争的にマウンティングな毎日を送るのもそれはそれでいい。

そっちの方が楽しいって人も間違いなくいるので、そこを否定することは出来ない。

ただマウンティングのゴールポストをフル稼働させるのは真面目にやめて欲しい。

ゲームに参加してる人だって疲弊するし、参加していない人も巻き込む。

 

勝ち組。

これ、具体的に定義できる人どれだけいるんだろうね。

自己の定義する「勝ち組」と他人の定義する「勝ち組」どのくらい重なり合いますか?

いや、そもそも自己の中の「勝ち組」の定義、確立してます?

って。

そのときそのときでマウンティング上有利そうな側につくことがすなわち「勝ち組」って感じで何とかやり過ごしてるんじゃないかな。

 

よくいえば臨機応変。悪くいえば無節操ね。

 

マウンティングし続けるためには常にどこにゴールポストがあるのかを注視し続けなければならないんだからしんどい。昨日までの「勝ち組」が、今日には全員でフルボッコしていい「負け組」に転換してることだってままある。なのでゲームから降りたら最後、二度と「勝ち組」に戻れないプレッシャー。

リアルに勝ち組になれないのに、ゲームに参加してる(させられてる)プレーヤーは、多数派・・・声の大きい奴ががどっち側につくのか、それをキョロキョロと、或いはさりげなく見張って、その尻馬に乗っかるだけ。これで消耗しないほうがどうかしてる。

 

マウンティングゲームに慣れきってると「勝ち組」(およびそのフォロワーポジ)から外れたときの不安感はたいそうでかいんだろう。

いまやそうしたモブたちの恐怖感だけが、マウンティングゲームを駆動してるような節もある。ひょっとしたら、勝ち組や人生の勝利者たちも恐怖を感じながら参加してるかも。ゴールポストは気まぐれに動きまくる以上、ルールを読み間違えたらいつ転落してもおかしくないからね。

 

そう考えると、このゲームを超えて、勝ち組の向こう側を想像できるってのはけしてゴミみたいな人間じゃないと思う。動きまくるゴールポストに振り回されて生きるよりも、そこから外れても、自分のゴールポストに向かっていけるならそっちの方がマシじゃない? 

ゴミだろうがモブだろうが、人間は全員「自分の人生の主人公」なのだ。

勝ち馬の尻馬を追っかけるゲームから降りたところで、主役から降りられるわけではないし、主役から外されることもない。

主役を逃れる事ができないんだから、引き受けるしかない。

動き回るゴールポスト、世の中の空気次第で自在に変わる外部評価に振り回されて、それに合わせたり合わせられずに疲弊したりを繰り返すよりも、ゲームはずれても自分のゴール目指すほうが生産的だと吾は考える。

 

 自分のゴールポストなんてどこにあるのかわかんねえ、そもそもゴールはなんなんだろ? ってなるけどね。

けどその暗中模索っぷりも含めて自分で引き受けなきゃいけないし、そのモヤモヤや迷いは誰かのものではなく、まちがいなく自分のものだと思うと、それは一つの財産ではないかな。

動き回るゴールポストは、誰かの視線を追いかけていればなんとなくそれがどこにあるのか見当がつくけど、自分のゴールが見えてないときは、自力で見つけ出すしかないからね。

これはこれでしんどい道だから、こういう道を選んだ人間がゴミみたいな~、ってことはないと吾は思うのです。

 

なかなか取り留めのない文章になった。

あちこちに思考が飛んでしまって上手くまとめきれないんですよね。

「今のマウンティングな風潮は空気読むのが最強みたいな感じでイヤ」

「別にマウンティングするならするでルールは先にハッキリさせておけ」

「空気読み合戦みたいなところから降りるのはえらい」

「自分の一貫性を優先したらマウンティングから降りざるを得ないんでは?」

みたいなのが連想で浮かぶけどキチンと繋げ切れない。

 

ただ、「勝ち組の尻馬追っかけるだけでいいの?」ってのは吾の中でもけっこう引っかかってた話なので、これからもアレコレ書き散らすかもしれません。