長かった。
どんだけ読むのがしんどいんだ。
もう学術系の本なんてよまねぇ。
面白かったけどね。
まー本文の肩に(1)(2)(増田、2002)とかそういうのがバンバン出て頭がクラクラする。
昔は大丈夫だったが、もうだめだね。
加齢とともにそういうのに対応する集中力がゼロになってる。
一月かかった。
補遺と注はほとんど飛ばし読みしてこれだから、集中力の持続時間がすごい衰えてるんだと思う。
内容もまだ完全に理解できたというわけじゃないんで、もういっぺん再読する必要があるような気もするけど、その気力が湧くかな・・・
とりあえず、学術的には、巷間広まってる在特会の構成要員の分析とかその動機の分析がだいぶずれてると言うのを検証した本です。
サンプル数が30人規模というのが何とも頼りないですが、在特会周りを研究対象とするとなるとこの辺が限界なのかな、と思ったり。
そう考えるとこれってけっこうな労作だったんだね、というのは本書でも認めてる。
※なお結論については認めていない模様。
この問題って、格差社会といわれるようになった世情もあって急浮上した感があるように見えるし、安田本も在特会に惹かれる人々を「しんどそうな人々」という括りでまとめてしまって、そこに動員される人々の政治的背景を無視しているけれども、そうじゃないよ、「元々そういう性向の人」がネッツという動員ツールを用いて在特会はその陣容を拡大していったんだよ、という話。
そも入り口段階でまったくのノンポリが引っかかるわけではないのでよくいる市井の
「なんとなく不安」「なんとなく不満」
の捌け口としてヘイトスピーチやら在日特権問題やらを見たら思い切り間違うよ、って。
んで。
時流・世情によって勃興した不安の解消装置として「在日」という共通の敵を吊し上げるという運動が浮上したのでなければ、では今の在特会運動はなんなの、というところにひとつの解を出してる(著者もサンプルデータが少なすぎて最終的な解たりえないことは言及してるが)わけなんだけども、底流にあるのは何のことはない、戦後処理の問題でした。
こりゃ右も左も「在特会の底流は何か」なんて本気で分析するわけがないよな、と納得。
在特会を生み出したものが露見すれば、在特会よりさらに厄介な戦後処理問題というガンと正面から向き合わなくちゃいけなくなるからね。
そんな胆力のある人間はあまりいないぞ。
戦後処理の破綻と矛盾の当然の帰結として結実した在特会
よりも
底辺イキリオタクが右に被れてなんか派手にはしゃいでるのが在特会
ってことにしておいたほうが、社会の調和にはマッチするよな、と思った次第。
それで目を逸らし続ける事が出来るのかい? という疑問はたぶん当然に湧くけれども・・・なに大丈夫。
「人類が立てうるもっとも確度の高い推計」といわれる人口動態推計に基いて今日の少子化・高齢化危機がはるか昔に予見されていたにも拘らず、目を逸らし続けてはや40年。それでも何とかやってこれたのだ、きっと戦後処理問題も大丈夫!!
そんな現実逃避をしたくなるときにおススメです。
けどこの本、
在特会フォーカスよりもむしろ※特にP.184~ の
二者関係(日本政府、自治体-在日コリアン)のもたらす捩じれのほうを主題に置いたほうがいいんじゃないかって思った。この視点をベースにしたら色々と認識のズレを説明できるような気がする。
三者関係モデルと二者関係間の相互の影響の問題についてはエピローグの与那国ネタでちょっと触れられてるだけだが、これから重大な意味を持ってくるのは、二者関係に優越して展開する三者関係が社会に何をもたらすか、のほうではないか。
こっちで書いたほうがいいと思ったぞ。