資本主義のお国で生きてる以上、ゼニがその成員の「フルスペック感」を規定する物差しになってるのは否定しようがないよねって思うの。
個人主義社会の少子化対策は、母親が儲かるようにすべきだが、できないので日本の衰退待ったなし - シロクマの屑籠
戸籍の改廃もイヤ、選択的夫婦別姓もイヤ。女性が経済主体として自立する事をとことん嫌ってるくせに「子産め育てろ」とは片腹大激痛。根っこから目を背けて小手先ごまかしで逃げ切れるほど簡単な問題じゃない。
2017/11/06 10:07
どこの国でもそうだっただろうけどさ。
女性が働いて得られる賃金ってずっと低くて、それもあって雇用機会均等法とかできたわけでしょ?
資本主義体制なので「銭こそすべて」っていうのがリアルなんだし、その成員ならゼニ欲しがっても当たり前だわな。
銭isアイデンティティ。
話の主語を膨らましておっきくして
「子育てって素晴らしいよ」
「ママンはえらいよ」
って言われても、実態として銭の面で不自由を感じるように仕組みが仕上がってるなら
「そのポジション要らないっス」
ってなるのも割と当たり前かなぁ、って思うんよな。
そのどんだけ上っ面を取り繕おうと否応なしに突き付けられるリアルな
ゼニなしの虐げられ感 を何とか少しでも是正しようよ・・・っていうのが先に立たない限り、女性のほうから「子供産んでやるか」って気分になるわけないじゃん、って。
母子の福祉を狙って支給されるゼニも、いったん戸主に向かって支給されるわけじゃない。その時点で、母子にゼニコントロールの自律感ないよね。
実態として財布は妻が握ってるぞい、っていうかもしれんけど、支給のあて先は戸主名であるわけで。母子狙いだけど母子に充てた金じゃねーぞ、って言われてる。
仕事してても結婚して姓が変わったら、商売やってる相手に
「名前変わったんすよ、へへ」
ってまた説明して回らなくちゃならなかったりというめんどくささ。
大した手間じゃないじゃん、と思うかもしれんけど、名前が変わる≒担当が変わるくらいのインパクトになるケースもあるからね。
なぜか担当してる中の人は変わらんのに、名前変わっただけでめんどくさい手続きがどんどん積もるという理不尽。
吾が事として考えてみよう。
・・・殴りたい。割とマジで。
あまつさえ
「誰に養ってもらってると思ってるんだ」
とか言われたら本気で刺すかもしれない。妻ポジだったら。
子供産む幸せそりゃあるだろうと思うよ。けど、この「銭こそすべて」な資本主義体制・個人主義の時代に生きる一人の人間に対して
「子産みクエストをこなしてる間はまあ、いっぱしの経済主体と見做さねえから」
って突きつけられたらどうよ。
そんなら吾は子産み子育てお断りである。
「夫は外で稼ぎ、妻は内で支える」って観念は昔は通用したと思うけど、
ゼニがすべての価値を規定する極端な資本主義の時代にあっては、直接にゼニを得ていない妻の側のストレス・不能感は半端ないんじゃないか。
この不能感を緩和しないとどうにもならんと思うので、妻も何らかの形で稼いでるぞ、っていうリアルな銭を直接渡すくらいのことをできる制度設計をしない限り、問題は全く解決しないよな、って感じた次第。
雑な印象だけども、
子供dis・高齢者disなんかも、その対象が今この瞬間のみを切り取った時の評価が
「中途半端にしか稼げない主体」or「お荷物な主体」
であるから盛り上がってる面があるんじゃないかな。
女性disや一頃流行った「キモくて金のないおっさん」disも、おおむねその流れ。
稼げる主体、フルスペックの経済主体として振る舞える人間ならば、ゼニこそすべてのこの世界の価値観においては、欠格したほかの主体に対して、どれほど横暴に振る舞ってもOK牧場。
そんな雰囲気が横溢してるからこそ、そういうマッチョガイからdisられる存在へと転落したくないがために子育てステージに移行することを拒否してる面もあるんではないかな、と思いました。
たぶんもっと複雑な理由があるんだろうけどね。
けど出産や育児に専念することでゼニを稼ぎ・使うフルスペックな主体から一時的にせよ離脱することへの抵抗はけっこう大きいんじゃないかな、って感じている。
その後の復帰に向けたフォローも全く不十分なので、躊躇するのもしょうがないよな、というのが吾の感想です。