ちょっとディストピア風味に。
先日の記事で
日本は純然たるフルスペック独立国、という顕教と
首都上空の管制権もままならない純然たる従属国、という密教の二重構造
というネタと、そういう構造が今崩れかけているんだぞい、という本の感想を書いた。
本の著者は
「こういう顕教-密教な展開は不自然だし解消しなければならない」というスタンスにあるみたいなのだけどどうもそこが引っかかっていて、
戦前、というか開国のその時から
皇統は機関であり、実際の支配は官僚機構その他による、って密教の二重構造があったわけで
この「本音とタテマエ」みたいな思考様式に一五〇年慣れ親しみズップリ浸かってるので、これからもそれで進むんじゃないのかなぁ、っていうのが吾の感想。
で、
純な独立国 ってタテマエ と 実は従属国 って本音 をこれからどうアップデートすればいいのか、ってのをちょっと考えてて、
これはもう究極まで推し進めるしかないんじゃないのかな、という風に妄想。
すなわち、
建前としての独立国 明治以来の皇統に従った保守思想を推し進めた内国政策
と
本音としての従属国 敗戦以来の米軍支配・米軍との一体化をさらに推進する外交政策
を並行して進めるの。
一見、矛盾してるけどこれまでも(ややマイルドながら)こういうフィクションを受容してきたわけで、これを受け入れる素地は国民にはあると思う。
ぱっと思いついたところ、
米国と日本の国益の衝突というリアルな問題を「なかったこと」にしてしまえば、
米国と日本の国益は徹頭徹尾重なる、一心同体である、というフィクションを構築してしまえば
米国から独立した存在として、戦前の思想に近い日本を肯定しつつ、
国際環境で米国への追随を愚直なまでに進めることも「国益の追求」として受け入れられるんではないかしらん、と。
暴論だけど、案外うまくいきそうな気がするんですよね。吾の脳内では。
日本が戦前回帰的な指向を見せたとしても、米国にとってもそれは好都合だと思う。
日本の暴発を抑えるための米軍の機能強化、という大義名分がいっぱい通りやすくなるし。
日本の国際的な存在感とかパワーが相対的に劣化しているおかげで、戦前回帰した日本が侵略志向になるぞい、という脅しや警戒感もだいぶ薄れると思うし。
これがグイグイ上げ潮の時だったら米国もやや警戒したかもしれないけどね。
今の日本なら、上がり目のない長期低落傾向の国なら、多少右傾化したところで、それが即国際環境にとって悪影響、というほどのこともない、と判断されるんじゃないだろうか?
だから、国内的には多少なりと過激な感じであったとしても、米国の国益とバッティングしないかぎりは土着の政権の独立性は担保されるんではないかな、と。
そんなわけで、妄想だけどこれからの日米関係って
昔の中南米の独裁政権とアメリカがめっちゃ仲良しだった感じの関係に落ち着いていくのではないかしら、と思っている。
これまでよりも露骨に従属的なスタイルで行くけれども、国内的にはそれを指摘することが憚られるような緩くて柔らかい抑圧的な雰囲気が出来上がっていく感じ。
いい悪いはひとまず措くとして、「米国に対して対等な関係を要求する」という破天荒な挑戦を試みるよりは、こっちのコースの方が老いゆく国家としてはありえる未来じゃないかな、と秘かに自信があったりする。
問題はもしも万が一、億が一、覇権交代が起こったらどうなるか、ってことだけどね。
もう一世紀近く米国のみを見て外交を築き上げてきた国家には手に余る問題だろうし、起こらないと思って思考停止しておく。