「ミニマリスト」って言う響きはなんとなく胡散臭く感じてしまうお年頃。
とはいえこのスペックの高/低ってどうやって決めんの?
って増田、もしユルユルな環境だったら「それでオッケーやで」ってなってるよね。
んでスパルタンな環境だったら増田の自己申告のスペックを遥かに突出した恵まれた条件を備えていたとしても、「オメーは低スペック」ってころころされるってことよね?
そうね・・・俊英の集まる超進学校にギリ入れた、県下模試ではバンバントップ獲ってたマンが「この環境では低スペックなので貴様は死ね」って言われるようなもん?
じっさいそんなところあるのか知らんけど。
地元でそこそこのところに通ってればずっと「高スペックな賢い子」で通ってたわけで進路ミスっただけで即死ってすごいよね。どんだけ余裕ないの。
喩えがおかしくなったが、環境でブレブレな高低の基準に振り回されるって理不尽だと思わない?
話がそれた、元に戻る。
増田本人は気の毒だと思うけど、
「低スペックなら潰してOK牧場」っていう環境そのものが問題なんであって、何でその価値基準を自分のモノサシとして内面化するの? っつー疑問が湧く。
上でも書いたけど、環境次第で「オメーは低スペックか高スペックか」ってぜんぜん変わるよ。そんなあやふやな基準で
「俺は生きてる価値がない」とか
「俺は他所モンよりも優れている以上特権享受して然るべき」とか
判断するのって怖くないか?
そう考えていたのだが、ブコメも割と「低スペックは死ねばいい」式の発想を肯定しててヒエッてなる。
「低スペック死ね」ではなくて「俺も低スペックだし、死んだほうがいいよな。わかりみ」って同調がキッツい。
増田もはてなーもなんでそんな自分に厳しいの。
そんだけ世の中に余裕がないってことなんかもしれないけども。
「あちこち色々欠けてるけど生きてりゃまあそれでいいや、別に」くらいのミニマルな基準で肯定しきれないもんかね。
吾なんかは自分にとことん甘いのでこの基準を踏襲している。
だからオマエも俺のことは多めに見ろよな、という雰囲気をなるべく醸成したいと考えている。
自分にやさしく、他人に甘く。もっとダラダラしてもいいんじゃないの、と思う。
これも左右とはまた別の形の国民二分思考だよなと感じる。
そも本当の意味で「国民」を立ち上げようとしたことがあんのかこの国、という疑問はまああるけど、下っ端も(下っ端ほど)彼と我とを分かちたいっていう欲望にドス黒く覆われてるような雰囲気は拙いって思うです。
しかしなぁ。
強制赴任は人権蹂躙だ! って憤って立ち上がるいわゆる「低スペック」と呼ばれる人がいる一方で、自分たちが子供をもうけるのは社会の損失だよねって、自らを「低スペック」と任じる人もいる。
思想信条の自由は保障されてるわけだけども、我は前者のように憤る反応のほうが好みかな。
低スペックだから死んでもOK,ないがしろにされてもOK,って賛意が広がると、それを先回りして読む目端の利く支配層エリートさんが「低スペックの定義」を動かして、昨日までは「通常ビト」だった人をそのカテゴリに入れて首チョンパ、国の予算圧縮・経費節減でニコニコ! ってなディストピアが見える気がするので勘弁。
増田も、現状、素で肯定できるようなヌルい生じゃないだろうけど、死ぬのは寒くてしんどいからちょっと考え直したほうがいいと思います。
メシ食ってクソして寝るだけの生でも、吾は肯定したい。