俺専用メモ。
断絶ってどっから来るんだろうな。
外からくる奴。
内からくる奴。
たぶん違うけど。
ふたりだけの介入困難な世界、内から壊れた時にはどうやって立て直せばよいのか。
近ければ近いほど「かくあるべし」という理念を投影してしまいがちの気がするがさて。外から和解を強制される、というのは存外救いが大きいのかもしれない。
内発的に和解に応じるということは、相手を屈服させるというのを採らないのなら、相手の言い分に一定の譲歩をする形になる。
自らの過ちを認めるということだ。
相互にその「過ちを認め合う」ということが、自律した個人間で、強制力なしで可能だろうか?
人間はそこまで正しい動物か?
自立している、自己決定で生きているという自負が、
「誤った決定をしたオマエの(おれの)有責性」
を問い質したくなる衝動に転化するのでは?
そうだったとして、その衝動を抑制するのは、何に拠るべきか。
ミスったときに謝れない、というのが普通だと考えるべきか?
それを認めさせる、不満を持ちながらも折り合いをつけさせるにはやはり強制力を持った外部が必要で、 自立(を擬制)した個人が、自立(を擬制)した個人に屈服するかのような結果は回避出来るのならそれにこしたことはない?
お互いに和解した、というつもりになってても「対立した」という事実は消えない。それをどの程度引きずるかはこれはもう人それぞれだけども、相互に対等という立場での和解なら
「おれの方がオマエよりも多めに譲ってやった」
という感覚はどうしても残るのでは。
本当に五分と五分か、センターマンの世界。
自分の「謝れない度 」もかなり高いことをちょっと思い知る。
外側から強制されているのなら、「しゃあない」とアタマを下げたふりにかこつけて自己の過ちを認められる面も大きい、と。
一対一で、自分の過ちを認めてしまうことが何か敗けた気がする心持ちになってすごいモヤモヤして間違ってるのを内心で分かってても腰を折ることが出来ずにいる。
器が小さいのを思い知るのはしんどいが、いったん退いてしまうとなげやりになるのも経験上、確実に訪れる結末。
この辺もっとうまく処理できんものかな。いつまで経っても性格は治りそうにない。