たまに子供っぽいことを思いつく。
ここのブログ(毎回イキオイがあって好き)読んでて不意に思い浮かんだ。
死ぬ前に辞世の句を詠めればカッコいい。
※なお、私は俳諧はまったく解しない人間である。
願わくは花の下にて春死なむ~、はいいよなって思うけど別に辞世ではないらしい。*1
句を解する心を持ってないので、「これ月の下の方がよくねえか」ってだいぶ長いこと思っていた。
寒い2月(※実際は3月の末でありそこまで寒くはない)、咲いてる花が椿くらいしか思い浮かばなかったので、花の下で死ぬのは無理っぽいからまんまるのバカでかい月の光をなにものにも邪魔されずに浴びながら死ぬ、っていうのなら、寒いけどけっこういいよな、みたいなことを想像していた。
月に吠える狼みたいなイメェジ。たった一人山の頂で拳を突き上げて
「我が人生に一遍の悔いなし」と、誰にも看取られずに大往生みたいなの。
そのイメージが固まっていたものだから、満開の桜の下で穏やかに死ぬ~、みたいなイメージ図を知った時には本当に驚いたものだ。
その驚きがあったからこそ覚えてたんだと思うけど、それはさておき。
西行さんでも死ぬ間際に詠んだわけではなく、前もって詠んでいたわけだから、凡人がカッコよく辞世をキメたいと望むのなら、今から準備しても早すぎることはない・・・てかむしろ遅いくらいだと思うのだ。
てか、辞世の句って偉い人けっこう残してるけど、ガチのマジで臨終寸前に
「我思いついた也!」って詠んだ人ホントに居るんだろうか?
だいたい「こんなもんやな」って会心の一作を内心に抱えたままにしておいて、いよいよ、という時に「筆をもて」と家来に命じていかにもいま思いついたぜ、って感じでささっと仕上げて往生する、というセルフプロデュースしてたんじゃないかと勝手に疑っている。
じっさいはどうあれ、辞世をきちんと残して死ねるというのはカッコいいな、と思う。
けど一方で、豊玉先生なんかもいいよな、とも感じていて。
辞世の句(と言われているもの)が複数あるのがいい。
状況が状況(ボロ負けて撤退戦を展開中)だけに「これはヤバい」と思ったタイミングで何度か残したからこうなってるんだと思う。
捻りのない素朴な感じがいかにも切迫した状況で詠んだのだな、と窺わせつつも、ほんのちょびっとだけ、豊玉先生だしこれはガチで頑張って作った(前もって用意してた辞世の句)じゃないのか、という疑いが拭えないのもいい。*2
豊玉先生のような波乱万丈で幾つも辞世を残す、という人生は勘弁したい。
けど、カッコイイ辞世は残したい。
まあ想像する近さで死があるとは思わんけど、一方でいつ死ぬか分からんのも人間なのだから、なるべく印象深いセルフプロデュースできるよう、カッコイイ辞世を残すにはどう生きればよいか、いつもアタマの片隅で妄想しておきたいと思った次第。
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ナイスガッツ豊玉先生。