って思った。
前のエントリと合わせてもちょっとうやむやにしてるところあるよなぁ、って。
シロクマ氏の想定してる「生きにくい人」像と
ブクマカたちが想像したであろう「生きにくい人」像がズレてる。
これ何でかって思ったらたぶん、
「旧弊で利益を享受してきたけど、現状に合わせられない人」と
「とにかく根源的にコミュが苦手な人」とをごっちゃにしてるからだ。
ブクマカたちにはシロクマ氏の言説が前者を擁護する言葉にめっちゃくちゃ見えてる(と思う)。
そのことに気づいてるのか気付いてないのか知らんけどシロクマ氏は
「根源的にコミュが苦手な人」にとって生き良い世界なのかどうか、と語ってる(風に見える)。
俺はこういうふうに二つに分けて読んだ、というのを前提としてですね。
まず疑問なんすけど
「そもそも根源的にコミュが苦手だった人、今までの時代で救われてたの?」
っていうのがすごい疑問。
シロクマ氏が例示してる「昔は良かった風味」の粗暴感も、それで救われてるのは「現状に合わせられない人たち」であって、その粗暴さへの許容、おおらかさで「コミュが苦手な人」が救われてきた社会、だったとは思えないんだけど・・・どうなんでしょ?
いやまあ、今の言葉狩りっつーか
「社会にとって俺の方が価値がある!!」
とか他者の失点を声高にあげつらって寄ってたかってぶん殴ることで、資源の簒奪を図る風味になりがちなのがいいのか悪いのか、って言われるとそれは分からんですよ?
つか、そもそも限られたパイの奪い合いなんだから粗暴だった頃も、なんだか繊細になってるらしい今も、ROEが違うだけで戦争しあってることには変わりないよねって思うの。
粗暴だった頃はロールモデルがあってそれに沿ってれば強者側だったのが
今はそれぞれ自分のお気持ちに沿って不当な侵害を糾弾できる奴が強者になるってだけで。
戦争のルールが変わっただけだよね。
生きにくくなりそうだ、という表明は分かりつつ
より生きにくくなる人が増えるのではないか、というのはちょっと根拠が薄いかなって感じた次第。
んで、話はまったく変わるんだけど。
どっちの形の戦争であれ気持ち悪いんだけどさ。
その戦術として徒党を組まなきゃいけないのは分かる。
多数派を握って抵抗する勢力を圧倒して資源を奪うことが道理なのも分かる。
分かるんだけども、こういう時に出汁にされる方としては溜まったもんじゃないんじゃないのかなぁ?
って。
アジテーターや運動家や弁の立つ人にはつくづく思うのだけど、誰かの代弁者になることに抵抗感が薄すぎないか。
弁の立たない「表明の下手くそな弱者」を代弁できるのは俺だと自負しすぎてないか。
何よりもそこに気持ち悪さを感じる。
世間の動員の容易そうな(同情を集めやすい属性の)キャラクターを引っ張ってきて
「ごらん彼(彼女)は可哀想だろう」
「あんな可哀想な彼(彼女)にひどい仕打ちをする社会にモノ申す」
みたいな形にしか見えない。*1
一方で自分の言葉で喋ろうとして立ち上がった「実際に弱い人」には
「お前の言い方が気にくわない」
「可愛げがない」って表現の下手くそさ、そのほかの欠格であげつらって殴るのも世間なんだけども。*2
人の世はなぜこんなにもブザマなのか。
どう転んでもおおむね救いがないのが世の中ではあるけど、出来ることなら
自分の言いたいことは自分で言うようにして、
他人の言うこともイラッと来てもとりあえず黙って聞く胆力とか身につけたいよねって思う次第。
声を上げるまで待ってたら救われない人ってのもまず間違いなく居るとは思うけど、その代理を買って出て全てを代弁できる自負、声を奪うほどの覚悟は、俺にはないかな。
皆もっと自分の言葉で自分の快不快を表明してもいいと思うんだけどね。
んでお互いに「うるせーバカ」って言い合えるようになるといい。*3
いつものように纏まってないけど、今救われてない人は昔から救われてなかったし、これからも救われないんじゃないのかなあ? ってのが現状の俺の気分。
シロクマ氏もブクマカたちも、言葉使って殴り合えるだけでたぶん、いや間違いなく恵まれてると思いますよ。
*1:粗暴な時代だってそうだ。ロールモデルがかっちりしてる分、そこに違和感を覚える弱者が居たとしても
「その違和感はおかしい」と人格矯正して
「これで彼(彼女)は本心から自分がなりたかった形になれたんだよ」
とかやってただろ。
*2:だからこそ声を上げる弱者には上手いこと表現し、感情を励起できる煽動家・運動家が不可欠となるんだけど。ホモサピ死ねばいいのに。
*3:ネッツの黎明期とかぜんぜん知らんですけどね、そういう自由があったんじゃないの? オーディエンスによりウケる言説の競争とかじゃなくて、互いに「俺の思うところ」を表明しあってたんでは。古参かつネットで名の知れてる人が時々語る「閉塞感」て、この「誰かに見られて、それに合わせた語りが染みついちゃった自分」に対してのものもあるんじゃねえのかな、ってぼんやり思ってる。