afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

赦そう、しかし、忘れまい。

この手の話になるとホントに分裂してるというか、自分でも意味が分からない話になるのでなるべく避けたいのだが、気になっちまったもんはしょうがないので書いとく。

 

「原爆Tシャツ」のBTS(防弾少年団)を『ミュージックステーション』で観たくない、という僕は「ネトウヨ」なのだろうか? - いつか電池がきれるまで

妥当な結末だが、コレ米産のバンドか歌手がやってたらどうなってたんだろう、ってのが気になる。戦争犯罪の当事国であり宗主国である米国の連中がやったとしたら、もやっとすることになってたんじゃないかなと。

2018/11/09 17:08

 

吾の中で原爆というのはもろちんダメなものではあるんだけど、人類に対する犯罪である以前に、アメリカンの本邦の住人(日本人)に対する戦争犯罪だよね、という意識がどうしても強くある。

それはおそらく、はるか昔の終戦特番の影響が強い。

米軍(たしか米海軍だったと思う)の司令官が、戦後初めて長崎の原爆慰霊碑に献花した時に、原爆に焼かれ、生き残ったお爺ちゃんが、米軍の去った後に献花された花輪をめちゃくちゃに踏み砕いてたのね。

 

まあ褒められた行為じゃないと思う。

けど、人間の当たり前の感情としてそうだよな、というインパクトはあった。

そりゃ戦争負けたよ?

米軍のおかげで敗戦後の経済的繁栄はあっただろうさ。

けどそれで今花を置いてった連中の仲間に、じっさいに焼かれた記憶がチャラになるかよ、と。

そういう意味で深く納得したのを覚えている。

番組の意図としてはそうじゃなかったのかもしれない。

お互いの恩讐をのりこえて友好・固い同盟! って演出したかったのかもしれないが、吾の印象に残ったのは神妙そうなフリ(吾にはフリに見えた)をする米軍司令官と、踏み砕かれてぐちゃぐちゃになってもまだ歯を食いしばって花輪を踏み続けるおじいちゃんのコントラストが烈しすぎて、そっちの方が印象に残ってる。

 

まだこいつ(米国)ら許されてねーし、許しちゃいけねーんだ、と。

 

こういう刻み付けられた印象があるんで、どうしても吾の米軍に対する見方はだいぶ辛い。偏見だと思う。何度かそういう色眼鏡ダメだろ、って思って反省はするんだけど、この手の話題になると、どうしても真っ先に米軍に対する反発が浮かんでくる。

困ったもんである。

 

そういった次第で、冒頭の話題からやや外れたブコメとなった。

韓国のアイドルがやらかしたんだし筋違いだよなー、と思いつつも、これアメリカンがやってたらどうなったのかなー、ってのは引っかかった。

アメリカンも「核のおかげで戦争被害者減らしたんだよ」っていうストーリーを信仰してて、ああこいつらほんとクソだな、って思うんだけど、連中が原爆シャツを着てたら、これほどの反発が起こっただろうかと。

 

原爆記念日オバマがやってきて「俺たちは悪くないよ、人類の罪だね」みたいなクソ演説をしてそれで、わっしょいわっしょい、って持ち上げてたの思い出してさ。

拘り過ぎだと分かってるし、立場上素直に謝れるわけがないのは分かってるけど、アレを全面的に受け入れちゃう土壌になってる今の本邦のメンタリティなら、今回の韓国アイドルのチョンボも、アメリカンがやったのならスルーしてたんじゃないだろうか? そんな風に思いました。

 

韓国アイドルのやってることもおおいにクソだけど、それをクソと指弾できるだけまだマシじゃないかなあ、とふんわり思う。

偏見ですね。

どうにかしないといけないと思うんだけど、けどやっぱりおじいちゃんの表情が脳裏に残ってて、ことあるたびに蘇ってくるんでどうしようもない。

せいぜい妥協して

 

やったことはしゃーないし、今のアメリカンがやったことじゃないから赦そう。

けど、オマエラはアレを神話として受容している以上、もう一度核を使う連中だということは忘れまい。

 

くらいの不信感に凝り固まった受忍にとどまると思う。

 

ひどい暗い話だ。100%自分の都合でしかないから誰にぶつけるもんでもないんだけどさ。子供にはあんまり、敗戦特集番組とか見せるもんじゃないのかも。けっこう引きずってます。

Frankie Goes To Hollywood.

今週のお題「リラックス」

 


Frankie Goes To Hollywood Relax (1984)

出オチやな。

書くことないけど、書かないと書き方を忘れそうなので無理矢理。

 

思考の整理として書き出すことの意義、はじわじわ感じてたところだけど、最近は整理するほどの考えも浮かんでこないのよね。ただ生きてる感。

日常の時々、節目節目には考えたり感じたりしなくもないんだけども、それが胸のうちや頭の中に留まっていないというか、引っかからないでそのままどっかに消える。

自覚はしてないが、極端にリラックスしているのかもしれない。

あるいはただぼーっとしすぎなだけなのかもしれない。

いかんNHKのクソガキに叱られてしまう・・・まあいいか。

叱って来たらぶん殴ればいい。中身はオッサンやし。

てかクイズ番組健康番組の常やけども、エライ断言する勢いで「コレが答えや!!!」って出した後に番組のラストあたりでちびっちゃい文字で前回放送の訂正とか注釈を入れるのやめーや。

ネッツでもキャプチャ貼られてた信号のやつはめっちゃアウトやんけ。

・・・話がそれた。

逸れたままでもいいんだけど、書き方を忘れている、という話に戻します。

 

書きたいことがないというのは、一方で特に普段の生活で心がくさくさするようなことがないということでもあり、そんなに悪い話ではないのです。

 

こういう波のない生活好き。仕事とか忙しい生活キライ。

 

けど一方で波がなさ過ぎても刺激が弱すぎてつまらないのも事実。

サンフレッチェが崖から落っこちるように調子落として優勝絶望的とか

広島東洋が得点差以上の実力差を見せ付けられて日本シリーズ惜敗とか、その辺もあまり熱を入れて追っているわけではないので書くほどのことでもない。

書くほどのことでもないのに、なぜか情報は入ってくる環境なのでいつの間にか追ってたけど、しかし今年はいろいろ劇的だった。

過去形になってしまってるけどもうフロンターレで決まりだろうし・・・なんであんないきなり止まるの。

 

また話が逸れました。

書くことないのになんで書くの、でしたね。

もともとどうでもいい雑記を書いてるところなので、他所のしっかりしてるブログよりも書き出すハードルは低いはずなんだけども、それでも何か手が止まってしまってるわけで。

いくら何もない一日でも何かしらあるはず。で、それを書かないのは何でか。

今はもっぱらこの手を止めている「何か」ってなんなんだろうか、というのを考えてます。

書くことの優先順位がググッと下がっているのも大きいと思うんだけども、その割に暇を持て余している時間というのも長いんだよね。ほんとうにボーっとしている時間がある。

意識の上ではそのボーっとした時間よりはよほどブログ書いてた方がまだしも有意義だろ、と思うのだけども、それでも手が動かないのは一体なんでなのかな、ということが気になるこの頃。

 

何もないところからスタートする時もめんどくさかったけども、既にダラダラ更新するのが身についてしまってるのに、不意に襲ってくるかったるさの正体ってなんなんだろう?

 

リラックスすれば分かるのかしら(むりやりお題に回収)。

 

 


SOUL'd OUT 『「TooTsie pOp」MV』

 

※さいきんは、これ聴くと細かいことは気にしなくていいや、って気分になれる。意味を求めたりしなくていいのだと思える。たぶんきっとそのうち飽きる。でまたぶり返す。