afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリ

ネガチブタンク・ブロー

朝が涼しい、というか長袖じゃないとちょっと肌寒いくらいになって心地よいこのごろ、ブログではやや後ろ向きなことや消極的なことを続けて書いてしまっているな、とちょっと後悔。

それなりに気をつけているつもりなんだけれども、どうしても愚痴っぽくなってしまうね。こういう風に形に残るものは積みあがっていくと、リアルな行動も規定してしまいそうなので、もう少しだけ前向きな感じになりたいところ。

橋が転がるだけでも大笑いしてしまうような可憐な年頃のおっさんなのに、このブログからはプリプリ怒っているおっさんしか思い浮かばない、それではダメだと思ったのです。

 

しかし心身のバランスとはどうやってとったもんなんでしょうね。

一昨日のローカル地名ネタは、発散しておかないとそっちの方がストレスたまってリアルに悪影響があったような気もするし。とはいえ読み返すとけっこう言葉が尖ってますし、気分を害された方もいらっしゃるだろうなと思うとほんのちょびっとだけ心が痛みます。WEBは基本的に書かれた言葉でしか伝えられないわけですから、言葉の選び方にはもう少し慎重になっておいたほうが良かったな、と思いました。

かといって、吐き出すことなく抱えていて消化できたか、というとそれもかなり怪しくて、一昨日の記事の最後のほうに書いたような、ローカルネタでのカウンターで相手を揶揄するような形の反撃を試みてたんじゃないかな、と容易に想像がつきます。以前やった事があるので。

勢力が拮抗してるというか、圧倒的多数派でないかぎりは場の空気って容易に転化するんですよね。昨日は弄りのリーダーだったからといって、今日はそうとは限らない、ちょっとしたミスを足がかりに転がしてやればたやすく集団内で「コイツは弄ってOK」キャラに転落してしまうというヌルいけどスリリングな関係性。

まるで子供のようですが、じっさいそういう関係性で動いてる大人社会も実在しているのが切ないところです。

そんなヌルくて非生産的なサイクルの繰り返しを、自分のターンでストップするためにも、一昨日みたいに吐き出しておくのは有効だと思います。

理不尽も厄介も、腹に呑んでグッと堪える、そんな健さんみたいな大人だったら良かったんだけど、あいにく吾はそこまで大人ではなかった。どうすればあんな大人になれるんでしょうね。

 

健さん

健さん

 

 まあ吐き出す事で次の厭なターンが始まるのは回避できたわけだから、ほんの少しだけリアルが過ごしやすくなったという明るい側面もあると思うことにします。

運悪く読んだ人には申し訳ないけれど、大丈夫。

吾も誰かの愚痴を受け止める読み手になるから。

ダイレクトに読んだ人の愚痴を聞くことはかなわなくても、お互いに誰かの愚痴を受け止めるサイクルを繰り返してるうちに、いずれ間接的に愚痴をこぼしたり受け止めたりの循環が回るんじゃないかなって思ってます。

この際に受け止める側があんまり厭な気分になるような尖った言葉を使わずに、読み手を失わないような節度を持って愚痴を吐けるようになりたい、と思った次第。誰だか分からないけど、受け止めてくれる人を傷つけるのは本末転倒だし。

 

けっきょく愚痴っぽくなっちゃいましたね。

きっと昨日が月曜日だったから、まだテンションが上がらないのです。

明日から前向きに頑張る。そのうち本気出す。

トンデモ史観

ちょっと思いついちゃったんで書きます。

脳内自分はちゃんと「それはない」って突っ込んでるんですけど、それでも引っかかって帰り道フラフラしてたので、これは吐き出しておかないと中毒起こすと思ったんです。深刻なツッコミにはとても耐えない紙の城のようなものなので時機をみて認識を更新することもないんじゃないかな、と思いつつ、未来に続く事のない、今日浮かんだどうでもいいこと、を残していくのも一興であろうという風に開き直ってはじめます。

 

予防線の張り方はこれくらいでよろしいでしょうか?

では始めます。

 

華夷秩序ってあるじゃないですか。

(てか、このPC「かい」が変換できない。飼い主に似てバカなのかな?)

中華帝国があって、そのまわりの有象無象にちょっと世の光(文明)を分けてやんよ、っていう、かつて大陸の諸王朝が採用してた世界システム。

 

日本の意識ってそこからまだ脱してないんじゃないかなと。

そうじゃないや。

江戸期にぐらいに、日本は日本で俺が中心のミニ華夷秩序擬制してたんだけど、それをポイッと捨てて先祖帰りしてるのが今なんじゃないかな、と。

・・・書いてみると陳腐だな。よくある認識の気がしてきました。

 

 

江戸期にミニ華夷秩序

  • 中華の王朝はでかい
  • けど王朝更新のたびに血統が乱れてる
  • いまや漢民族とかいう大雑把なくくりですら正統といえない(清帝国)状態
  • 翻って日本は天皇家の皇統がずっと続いてる
  • 中華のよりも優れてるんじゃね?
  • つまり俺たちは中華とは別の世界の中心ゲット

 

みたいな意識があったんだけど。その意識が明治期とかに揺さぶられたけど、大陸があの有様だったおかげで、日本型の華夷秩序の意識は形を変えながらも、ギリギリ温存されて、そのままWW2の敗戦まで突っ走ったのではないかしらと思ったんです。

 

で。

WW2でボロ負けしたおかげで江戸期から続いてた「日本もなんだかんだで世界の中心やったやで」って意識が潰されて、ここで従うべき帝国としてアメリカを設定した華夷秩序のリニューアルがあったんじゃないのかな、と思いついたわけです。

ここまでならうろ覚えながら「どっかで読んだ話のちゃんぽんかも」って思うんだけど、この後

「むしろ江戸~昭和期の日本型意華夷秩序って認識の方が歴史的には例外では?」

「大帝国の形成する秩序序列のナンバー2みたいなポジションが性にあってるのかも」

と思ったわけです。

この辺もやはり、日米関係をジャイアンとスネオに喩える話で見覚えがあるんだけど、なんというか、もっともっと深い部分で、日本のメンタルって

子分の中の一番気質というか、事大な感じ

が底流にあるんじゃないのかな、ってそういう風に思いついてしまったのです。

 

完全に言いがかりな感じもするんだけど、アメリカにあそこまでボロ負けしてそれでも今はその敗戦自体なかった感じで一体感ミッチリになってて、そこにたいして違和感がないってのは、現実の利益ばかりで説明がつかない気がしたので

「もともと子分体質だから、アメリカみたいな強い親分にめっちゃ弱いんだよ」

みたいな民族の気質みたいな事を思いついてしまいました。まさかなぁ。

 

対米関係ではいろいろモヤモヤするものはあるんだけど、民族の気質という話で片付けちゃいけないことだよね。吾ながらちょっと安直すぎたと思う。にも拘らず否定してもアタマから離れないのでここに書きとめておく。

こういうトンデモに引っ掛かりを捨てられないまま年を食うと、リタイアしたときに自分勝手な歴史観自費出版したりしちゃうのかなぁ、って思いました。

メンドクサイことを分かりやすく自分に説得力のある形で無理やり理解してしまうのはアカンと思った次第。

引っ掛かるだけならいいけど、そもそも根拠薄弱だぞ、ってのは忘れないようにしておかないと飲み込まれてしまいそうです。

 

けど押さえ込むのも難しいと思ったのでここに書きとめて、「まあそういう風に感じたこともある」というのは覚えておく事にしました。ちょっとスッキリ。

その漢字をそう読むの?

本気と書いて「がち」ってやつとかな。

流石と書いて「さすが」とか。

女郎花と書いて「おみなえし」とかな。

 

まあこの辺はいいんだ。良くないけど。素で間違えたときに大変こっ恥ずかしいけれども、ギリギリからかわれても許容範囲だなって思う。

 

ここからは完全愚痴になります。すげえイラッとしたので。

読後あまりよろしい気分にはなれないと思います。

 

 

あれだな、ブログってマジョリティの暴力にぶん殴られてその場ではヘラヘラしてないといけないときにたまったヘイトを吐き出すのにも最適ですよ。

ほんとに。

 

さて本題。

ローカル虫たちのローカル難読地名を読み間違う人を「弄ってOK牧場」ってメンタリティ、あれなんなんですかね?

虫って言っちゃったけど、だって読み間違えたときの反応が判で押したように一緒なんだもん。ひっくり返したコメツキバッタの復活よりも個性がないレベルで。

 

上記に挙げた分はまだ恥ずかしいね、って思えるのは

それがそういう風に読むもんだっていう全国的な了解が得られそうだから。

 

あのさ。

「三次」これなんて読む?

って聞かれてどう読むか、っていうのはけっこう地方ごとのばらつきあるよね?

「御調」これもな。

広島なら

「三次」は「みよし」

「御調」は「みつぎ」

になる。

「えっウチじゃそんな風に読まないよ」って人がでてくるのは当然だよね。

超ローカルになるけど、ウチの田舎の地名

「満足山」

だって、読み方は地域それぞれだろう。

なのになんで自分たちのローカル読みが絶対正義みたいに思えるの?

「へー、ウチとは読み方違うね」くらいでスルーできないの?

まあ大多数はそういう感じなんだけどさ、そういうクラスタじゃないところ(虫のような人がマジョリティなくラスタ)で失敗したときの「弄り」(厭な言葉だ。死ねばいいのに)は激しすぎるよね?

 

ルーツが違うのに同じ漢字を見て同じように読むって、漢字の表音ルールがものすごいグダグダになってる日本では凄まじく困難な技じゃないかね?

中国がルーツの人は

「日本語は漢字の読み方にルールないからクソ」(意訳)

みたいな混乱を覚えてるみたいですし?

 

 たしかこれで読んだ。

 

あ、またちょっと飛躍しますわ。

話がすごい大きくなる。

なるけど思ったんで書いとく。

 

こういう自分たちの周りでしか通用しないローカル地名が「弄り」に使えると思ってるヤンキーとかやんちゃメンタルって、

「日本すごい」ってメンタルとすごい親和性が高いんじゃないかって思った。

自分ルールというか、自分の視野に入ってるものを無条件に至上として、それ以外はDISってOKっていう発想がさ

他所の事情をキッチリ調査して正しく比較したわけでもないのに

「日本すごい、それに比べてよそは云々」

みたいなことやってるのとぴったり合わさる気がした。

うん勝手な思い込み。けど吾には一寸しっくりきた。自分で自分を褒める気持ち悪さって、枠の外の傍観者を設定して

「あいつらにはわかんないか」「この良さが分かるのは俺たちだけだよな」

みたいなヌルいインナーサークル形成してる点ではあんまかわんねーや。たぶん。

 

別に他所のことそんなに知ってるわけじゃないのにね。

ローカル地名弄りやってるマジョリティ、自分がツーキョーとか行ってマイノリティになって定番の「浅草寺」であっさり引っかかって弄られたとしたらめっちゃ発狂するんじゃねーかな。

下品だと思わないのかな。やってる奴。

ただのお笑いだろ、っていうアホもいっぱいいっぱいいるけど、主客転倒したときに自分も笑えないようならそれは普通「笑い」芸じゃないからね?

逆に

「は? おまえ「せんそうじ」も読めないの? 常識じゃん?」 

「マジで? アタマ大丈夫?」

「日本人? ねぇホントに日本人?? あはは」

みたいな「弄り」されてもヘラヘラ笑ってられるんならたいしたもんだと思いますよ。

筋金入りのお笑い好きッスね、と。

 

 

吾はそういう下品な笑いにはついていけないけどな。

空気読んで笑ってやるけど、それはオマエが面白いのでもなくネタが面白いのでもなく、ただひたすらマジョリティに同調しないとしんどくめんどくさいというその空気に対する抵抗が出来ないというだけの話だからな。

ほぼ私信。

ブックマークに気付いてはいたのですが、どのように返答すればいいのか悩んで今までかかりました。

仰ることはまさしくその通りであると思います。

ただ、もう少しだけ読者を信頼してもらえたらな、という思いはあります。

アンテナは低いですが、引っかかるべきものは引っかかるし、いずれたどり着いてたんじゃないかなぁ、と。

あまり自信を持っていえないのは、今のはてながどういうカラクリでブログをピックアップして表玄関に並べているのかよく分からないので、ひょっとしたら埋もれていたのかも、という危惧も少しあるからです。

しかしそれでも、出来ればそちらのブログに自力でたどり着くまで待っていてほしかった。

記事読むかぎりは、あえて顰蹙を買うような真似をしなくても上がってきたと思うんですよね。

はてなの仕様でブクマが有利っていうのはなかなかの誘惑だし、それを利用したからといって、本来ケチつけるところではないと思います。

ただそれでも、「もったいない」と思ったんですよ。

待っていればいずれ味方になってくれたかもしれない未来の読者も敵に回していそうで。

営業手法が他のあれこれ評判の悪い人たちと同じであれば、「こいつは見なくていい」ってレッテル貼られちゃってそれで投了、ってなるのはもったいなさすぎる。

過去の記事漁ってるとよく名前が挙がってくる(悪い意味で)著名ブロガーの人も、今現在も続けてる人の最近の記事は

「そこまで酷評するほどクソい記事でもなくない?」

って後からきた吾なんかは思うんですが、いったん「クソ営業する人」ってレッテルを貼ったブロガーの皆さんはもう絶対読者には復帰することはありえないでしょう。どころかときどきブクマで「互助会乙」とか書かれちゃう始末。

 

これがもったいない。

 

最初から多くの人に注目されたい=厳しい評価される舞台に立つ=いきなりハードモードで始めることを自分で選択してる

ブログを書き続けるモチベーションの再確認について - この夜が明けるまであと百万の祈り

 

よそ様のブログの記事からだけど、まさにハードモードなんですよ。

いったんハードル上げちゃうと、どれほど努力して質を上げていったとしても、そこを見てもらえることもないだろうし、もし努力して獲得したPVや読者数に見合う質の記事を上げたとしても「(PV数からすれば)これくらいは当たり前だろ」みたいになってしまう。

最悪なのは、記事単体の出来のよさで表に出たとしても、過去の営業をあげつらって「どうせ上げ底してるんだろ」みたいなことを吹聴されるパターン。

手応えとしてすごく空しいと思う。これでは続ける気力も萎えてしまうんじゃないかと。

ブクマ営業は読者も溜めるけどヘイトも同じくらい溜めると思います。

はてなが、キチンとこつこつ書いて、いい記事UPしたら評価してくれるのかどうか、そこな正直不安でいっぱいになるかもしれませんが、地道に続けるほうが良いと思いますよ。

 

・・・ただ純粋にPVを大量に稼ぎたい、という意図が透け透けのブログだったらこんなに悩まないんですけどね。PVから離れた記事の内容はむしろ好みなだけになおさら引っかかってもったいないと思ってしまった次第。

 

 

 

はてなは早くスパム除けした新着エントリ記事表示を復活させてください。

死活問題だと思います。割と。

素人ながら、新着エントリ記事の表示がないと更新してもその瞬間すらも表に表示されないんだし、そりゃ営業して自分の記事を表に出そうとする人増えてもしょうがないでしょ、ほぼ八割がた技術まわりの問題だろって思ってますよ。

ブクマ営業の通用しないエントリ記事の表示があれば、誰も彼もが互助会活動するわけないでしょ、って。

更新した記事が一瞬でも表に表示されてそれで反応があればいいや、くらいの人でも今みたいな新着無表示なポリシーを貫かれると、じゃあ他のやり方で表示されよう、ってなるのはごくごく自然の流れでしょ。

本来PVガツガツマンじゃなさそうな人まで、ブクマ営業に入れ込む側に追いやってんじゃねーのかって疑ってますよ。

 

あと、ほぼ私信みたいな内容ですけど、ブログ始めてまもない方、「読まずにブクマを絨毯爆撃」は割とクリティカルに跳ね返ってくるので、純粋にPV稼ぎだけを目的としない人はホントにやめたほうがいいです。

一時期ブクマ絨毯爆撃をやってただけで今でもブクマで「お前が言うな」みたいに批判されてるブロガーさんを見て他人事ながらちょっと同情しました。因果応報かもしれんけど、年単位の過去になってる事で今でも恨まれるほどのメリットがブクマ営業にあるのか本当に疑問。

ヘイトとストレス溜めるだけになると思うので、お勧めしません。

 

新着表示はないけど、ただダラダラ書いててもそのうち誰か寄ってくるので(ウチもそうやった)気長に頑張りましょう。

ひょっとしたらはてなも改善するかもしれないししないかもしれないし。

利他が足りない=利他リン

自己啓発はアメリカの新興宗教みたいなもんだ、みたいな話をどこかで聞いた覚えがある。

どこで聞いたかは覚えていない。この一点をとっても、出来の悪い人間のアタマはどうしようもないものだ。

 

引用原典がどこにあったか忘れた、もしくは、そもそも覚えてない

 

それじゃ真偽の検証不能じゃねーか、と。

けど「まあ偉い人が言ってたんなら」or「なんかもっともらしいね」というモヤモヤした感覚でなんとなく納得してしまっている事が多いのが度し難いよね、程度の低い人間。

まあそんな感じの「程度の低い、質の悪い人間のいい加減さ」に苛立ちを表明してらっしゃるブログをいくつか読んだんで多少はその辺を改善しなくてはならないという意識を持ちつつ、けどめんどくさいからこのまま書いちゃえ、という勢いで書く。

 

ん。

「めんどくさい」も便利ワードだから使わないほうがいい、もっと具体的に、って言うのも読んだな。もちろんどこで読んだかは忘れた。

もし「おめー俺のブログパクってんじゃねーよ」、ってお心当たりのある方はコメント欄にクレームお願いします。

で、何がめんどくさいのかを説明すると

  • 原典ぐぐるのメンドい。一字一句そのままのソースが見つかるまで探すのがダルい。
  • そもそも導入のさわりでしかねーんだからそんな手間かけたくない。

※さわりってのもホントは「序盤」とかって意味じゃないらしいですね。気が向いたら訂正します。

  • って言うかこれくらい読み流せ。ただのつかみだ。

 

ということで全てこちらの不精に起因するものです。まことあい済みませぬ。

 

思った以上に字数を費やしましたが、別に重要な問題ではありません。むしろここからが本題です。

昨夜も書いたけど自己啓発が異常に利他をプッシュするあの謎の風潮・・・

まだ20冊くらいしか読んでないけど、あれひょっとしたらアメリカンな西洋の人たちの気質に起因してるんじゃねーのかな、って。

口酸っぱくして毎度毎度「人のことも考えろ」みたいに言っておかないとダメなくらいに自己中な人が多すぎるんじゃねーのか? って。

 

完全に勝手な解釈ですよ? 特に理論付けとかあるわけじゃなくて、直感と偏見。

もっともこの偏見の根っこは「文章書く参考になるかな」って思ってちょっと読んでたこれに書いてあった話がベースになってる。

 

 他の文章作法本と毛色が違ったので好奇心から借りて読んだ。漱石みたいな文書けたらかっこいいじゃん、という下心より。けど「作家になる人向け」と書いてるのでやっぱりあまり参考にはならなかった。あと「こころ」disられすぎ。

 

例によって孫引きになるけど、この本に書かれたネタで、蓮見重彦反日本語論」では

「西洋」的な制度、文物、思考の根底を支配する排除=選別の力学

p.238

 というのがあって、イギリス留学中の夏目漱石

「西洋の原理」(上記の力学)そのものの野蛮さに直面し、骨の髄までそれに苦しめられた

p.238

 のだそうな。

この後の考察もいろいろあって、その暴力的な原理の生々しさ、しつこさが自己の内部にもあるという葛藤が夏目漱石の文学のベースになってるやで~、みたいな解説に繋がってるけどそれよりもむしろ、「排除=選別の力学」って話のほうが、ひっかかった。

 

夏目漱石が神経衰弱を患うレベルで苦しめられた生活の端々にどんどん漏れ溢れてくる西洋の原理(排除=選別の力学)って、今も西洋ではバリバリの現役ってことじゃん?

(本書中で、西洋近代社会では「代表」というちょっとオブラートに包んでるけど排除=選別って暴力そのものの野蛮さはぜんぜん隠れてないよね、って指摘がある)

ならそういうバリバリにお互いにお互いをぶん殴りあうような生活の中にどっぷり浸かりこんでるアメリカンな皆なら、定期的にリマインドしておかないと、そもそも心中に利他の精神というのが生まれる事がないんじゃねーのか・・・までは言わなくてもひょっとすると薄いんじゃないのか? って偏見が湧いてきた。

 

実際にアメリカ人に聞いたわけじゃないし。

「自然な状態での利他の精神、国民で比べたらどっちが強い?」

みたいな研究結果にあたったわけでもないので多分大いに間違ってるんだろうなと思うんだけど、漱石が心やられるレベルで悩まされた日常の端々にとにかく現れてくる「排除=選別」を血肉として生きてる人たちが、ヌルくてエモい感じがする吾たちのメンタルとが違うのは、ごく自然な事だとおもう。

それに具体的に「これが利他の発露だよ」って紹介されてる事例でも、「エッそれが?」みたいな些細なものから「それどういう風に利他に繋がるんだ?」という文化・風習の違いからピンとこないものまであるし。

 

書きながらちょっと分かってきたけど、アメリカンな自己啓発本が提唱してる利他って、当たり前だけど「日本人向け」ではない。

それにもかかわらず翻訳本(吾は英語が読めない)では「利他ってサイコー!!」ってなるから、なんか納得がいかないんだよ。

そのまま翻訳してるだけなんだからケチつけるところじゃないのかもしれないが、日本人的なメンタルにとって利他の効果ってどれくらいあるのか、その辺キチンと検証してから紹介したらどうなの、っていう引っ掛かりがあるんだ。

日本人が執筆した自己啓発もいくらか読んだけど、どうも

「n匹めのドジョウ狙ってるやろ」

って感じのが多い。吾の本を選ぶ眼力が拙いのはとりあえず棚に上げて断言する。

もっとアメリカンな本みたく心理学者とか臨床心理士? とかそういう人を動員してこんな実験したデータがあるんだよ、みたいなさぁ、そういうのが欲しいんだ。

 

今は

「これ(利他の効果)ってデータで実証されてるみたいだけどアメリカンの話だし?」

「薬もローカルな人種に合わせて臨床試験するんだろ?」

「じゃメンタルも日本にあわせてローカルな実証データないと信じられないよな」

「じゃけん利他の精神は非アメリカンな吾には関係ない話と思いましょうねー」

って感じで深く利他について考えるのを逃げてる段階。

 

・・・あらためて書き出すとロクデモナイなこれ。

けど自助努力ではどうにもなりそうにないので

 

「日本でも利他の精神に基いて動くといいことがあるんだよ」

 

みたいな実証データつきでプラシーボ効果のありそうな自己啓発本あったら教えてください。

書くことの意味。

あんまないと思ってたけど、やっぱあるわ。

駄文も積もれば山となる。

ブログ再開する前は、毎日似たようなことで引っかかってイラついたり、怒ったり、まー情緒が安定しませんでした。おんなじところでおんなじように引っかかってるの。学習能力ないな、と自分でも思うがしかし、毎日沸いてくるクッソどうでもいい思考をいちいち記録しておくのも手間だし、意味が分からない。そう考えていた。

だから再開前にちょっと続けてたときは、ない知恵を絞ってなんとかネタとして他人に受容してもらえるようなものを書こうと頑張って、当然のように無理だったので中断した。

けど開き直って日々思ってることを書き始めて分かったことがある。

日記でもよかったんだろうが、こうして書いておくと、記憶に残るおかげで「だいたいこのパターンではこう動けばよい」ってのが見えてくる。

予測がつく。

些細なことだけども、同じような場面・トラブルに出くわしたときに前回とまったく同じようなリアクションを採って前回とまったく同じような気分の変化、というところからは抜け出せた。

螺旋階段ぐるっと回って、同じところに立ってるんだけど前回よりちょっと視点が高くなってるような感じ。高さ的にはシークレットブーツを履いた程度のほんの少しの差だけども、ちょびっとだけ視野が広がった気がする。自己満足ですけどね。

それでも以前とは違いが出てきている、というのは感じるのでなかなか面白い。

どういうところで引っかかってるんだろうな、けっきょく、吾は何が気に入らないんだろうな、という自分の気の持ちようについても少し注意を向けるようになってる。

条件反射で感情を刺激されてたのが、感情が沸き起こる前に一拍措けるようになったのはこうして書き始めてからの効果かな?

 

ただ雑文を重ねるだけでもこういう効果を実感してる。

ふだん注意力散漫なのに短気なタイプの人はブログ書き始めてみるといいかもしれない。

ネタとしても浅いし、何より人から見たらツマラナイだろうけど。

 

気負いすぎてブログを書くと続かなくなるんじゃないですかね。

てか「誰が読むのか」まったくハッキリしないところから既に「これは誰に向けて書いている」ってカッチリ意識して書けるもんなのかな?

まったく真っ白な状態からブログをはじめたときに

「ただなんとなく」とかそういうふわっとした動機ではなく

「これはある読者のために利他的に書いてるものである!!」って言える人、いったいどれほど居るのやら。

 

つまらない、とか浅い、とかは人に言われてから気にすればよろしい(と思うことにした)。

まずは自己の利益を最優先でやってみるのがよろしい(と思うことにした)。

 

・・・ちょっと自己啓発の本読みすぎてアタマが沸いてるかも。

どれもこれも「利他こそオマエを成長させるやで」ってね。

 

うっさいわボケ。

 

他人のこと気にしてる余裕があるか、吾は吾でいっぱいいっぱいじゃ!!

てか吾のこともままならんからなんか参考にならんかなと読んどるんじゃ! 

これじゃ参考にならんぞ!!

 

吾は吾のためにこれからも書き続け・・・るかな?

重きをおくところ

なんとなく分かった。

いや、分かってはないかもしれないが、今のところ「とりあえずそういうものだ」という事にして処理しておく。

 

ブログは

「ただ書きたい人」

から

「書いた記事を読ませたい人」

まで、濃淡がすごく広がってる。ごくごく当たり前の事だね。今さらだね。

 

吾の場合は、どちらかと言われたら「ただ書きたい」のほうだと思う。

がこれにしたって日記とせず、こうしてWeb上に公開している以上は何らかの反応や見返りがあることを期待しているのは疑いない。

完全に「読ませたい」という意図がないということはありえない。

とはいえ、その反応や見返りを、具体的な形で「どういうものが欲しいのか?」というところまではまだ認識できていないから、執着が薄いんだろうと思う。

そこそこ続けてきた最近は、最初の頃の意識に戻って、「テキスト打ちのリハビリ」なので、文章添削というか、こうしたら読みやすくなるよ、みたいな反応がもらえたらありがたいな、という欲は湧いてきたと思う。

ただまだ積極的に誰かに晒して「この文どうよ?」みたいな形で読者を誘引するモチベーションは沸いてこないなぁ、というね。まだ沸いてこない、というほうが正しいか。

というより客引きをするときの文言を考えるのが億劫。

なるべく自己のイメージを損なわない形で「読んでね」って自己のブログに誘導するのが難しいと思う。

こういうときに内容に自信を持って「どういうことを書いています」といえる特化したトピックのあるブログなら強いんだろうけど、日々雑多な思ったところを書いてるだけだからね。営業かけるには扱ってる商品がショボすぎる。

 

しかし。

ただ書いているだけのブログだったのが、少しずつ続ける事で(ぼんやりとだけど)どういう風に読まれたい、という欲求にまでジワジワ上がってきたわけだから、ここから「是非読んでください、いや読め!!」というくらいにまで盛り上がる可能性も捨てきれない。

 

そうなったときに、どうするか。

・・・となると各種営業を図る事になるんだろうなぁ、と。

 

いやその前に。

吾のブログってどういう風に人が来てるんだろう?

はてなの新着エントリ表示はだいぶ使い勝手が悪く改変されていたようで、たぶん何も考えずにブログを書いてる吾なんかのはgoogle検索の2p以降ほどの存在感もなかったはず。

今は(意図はさておき)スターつけてくれた人のところに読者登録したあと、返礼として読者登録されてる方がいるので、そこ(購読ブログの新着記事)から来てるんだろうなぁ、と想像。

アクセス解析ちょっと眺めても、はてなからが圧倒的に多いので間違いないと思う。

ではそういう読者がいなかったころは誰が読んでたんだろう?

毎日0~1くらいだった頃。

あの頃の記録残しておけば良かった。

 

さておき、いつか「読者を増やしたいぞ」というモチベーションがググッとあがったときに、どういう営業をすればいいのか。その前提として、現在吾のブログにはどんな経路で人が来ているのか、を考えると・・・読者登録されてる方が圧倒的なのを踏まえて

 

まず読者獲得したい!! → じゃけん読者登録増やすテクを磨きましょうね

 

ってなるのはごく自然な流れなんだろうなと思った次第。

もっと他にもたくさん流入経路あるのかも知れんけどさ。読者獲得のための露出を増やす方法、というのがどうも好みにあわないのが気になる。

いずれこのハードルを越えて「読ませたい」という欲求が炸裂する日が来るのかな?

まだ手探り中だけど、ゼッタイその日が来ないとも言い切れないので、将来の自分に向けて書き留めておく。

 

このブログ書いてる今現在の自分は、露出の仕方にかなり好き嫌いがありますよ、と。