afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

大河の一擲。

最新巻の刊行ペースがちょっとおかしい。

前の巻が出て一月後に出てる。最近のマンガはこんなもんなのかしら?

  

アルキメデスの大戦(1) (ヤンマガKCスペシャル)
 

 

 

映画見た後、気になってたので盆のあいだに一気に読んだ。

 

afurikamaimai.hatenablog.com

 

ビックリした。

映画めっちゃくちゃ序盤じゃん。それであの形でまとめたのか。

すごい力技やな。

原作既に読んでる人が驚いてたのも納得した次第。

 

 

映画は面白かったけど、原作も面白い。

好みでいうと原作かな?

映画も映画でいいんだけど、漫画の長編ならではの積み重ね感がとても心地よい。

次はどうなる? って期待が止まらない。

 

櫂が大活躍! でも変わらないよ!

 

って見せておいて・・・というふうになってもおかしくなさそうなのが特に良い。

時代の激流に投じる石(櫂の活躍)の大きさがどんどん大きくなってて、そのぶん波紋も大きくなっていって

「これならひょっとしたら?」って時流を堰き止めることはできずとも、曲げることが出来るんでは、という歴史改変の期待がどんどん湧くけど、土壇場でそれを超えて櫂の投じた一石の波紋を押し流す、聳え立つ歴史の流れの強さがいい。

読者である俺は「実際どうなったか」を知ってるので櫂大活躍→大逆転! 太平洋戦争、みたいな架空戦記に流れるのかな、と期待するんだけど、なかなかそう簡単にはそっちには流れないぞ、っていうね。

歴史を変えるか、そのままに止めるか。

どっちに転がるかまだ分からないのがいい。今まで読んだ・見た多くの作品では序盤の衝撃を受けた後「歴史改変」or「歴史維持」の方針が割と早い段階で決まってたんだけど、これはちょっとどうなるか分からない。

櫂の活躍の華々しさも増してるけど、櫂を取り巻く環境の変わらなさ、ライバルの強さも増してる。

櫂が活躍すればするほど史実のそれとは異なる日本軍が形作られていってる(作られそうになっている)のだが、それだけでは変えられないんだろうな、と思わせるくらいに櫂の前に立ちはだかる敵や状況の困難さがどんどん大きくなってる。

それでもあるいは方向を変えられるんではないか? って思わせるのがすごく上手いので、一気に読んでしまった。

途中、いやいやそれは・・・ってなるメルヒェンな大和が登場する面もある。

けどそれをずっと上回るドラマの上手さがある。

どういう形でオチがつくのか、これからが本当に楽しみ。

今のところ、お気に入りのキャラは東条です。

狂気の入った小役人メンタルが上手く描かれてる。好き。

 

 

 ※メルヒェン大和どっかで見たと思ったら。これにそっくりなんだわ。

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ロシヤの次世代駆逐艦だそうな。アルキメデス大和、100年早いんじゃねえのか。

rybachii.blog84.fc2.com

てくてくてくてく。

 もうサービス終わってるんだよな。

さておきこれ。

 

欧州で広がる「フライトは恥」 夜行列車が人気、背景は [世界の歩き方]:朝日新聞デジタル

移動のもたらす膨大なエネルギー消費を鑑みれば「旅をしない」という選択肢はないのか。/そういや、ユーグレナバイオ燃料はどれだけ先延ばしにすれば気が済むのだろう? 元は来年には実用機に供用開始だったが。

2019/08/22 12:09

 

鉄道旅でエコを意識するのはいいと思う。

思うのだが、それくらい意識するならもういっそ徒歩旅も面白いんじゃないのか、って。

これはたぶん堀井憲一郎の「東海道五三次をガチで踏破してみる」という記事を読んだせいだと思う。どの本で読んだのかは忘れた。

大変そうだったが、同じくらい楽しそうだな、と思った。

連続で歩き続けるだけの長期休暇を取れないという事情もあり、細切れに踏破していくのだが、じわじわ歩ける距離が伸びているのが面白い。

調子に乗って距離稼ごうとしてちょくちょく小さいダメージを被ってるのも良い。

で、海外は長期休暇取りやすいみたいだし、セレブな皆なら徒歩で欧州踏破とかも面白そうだな、と。めちゃくちゃ健康志向にもマッチするし。

飛行機より鉄道、というのは目的地までの所要時間の面で妥協できるのが鉄道、ということなのだろうな、と思いつつ

いっそ目的地までの移動そのものを存分に楽しめる徒歩とかいいんじゃね? って。

 

 

まじめな話、「自分の足で歩く」っていうの時間さえあればけっこうな娯楽になると思うの。

移動の間に移り変わる景色とかじっくり見れるし、車窓から眺めてる時には似たような風景の繰り返しにしか見えなかった目的地に着くまでの街の特徴や微妙な差異にも、歩きなら気付いて、新鮮な発見があるかもしれない。

郊外はどこも似たような景色になっちまった、と嘆くことは多いけども、住んでみるとよく似たロードサイド店が進出してて同じような街でも、実はぜんぜん違うというのが分かる。

そういう引っ越して実際に住んでみて分かるような違いにまでは迫れないにせよ、てくてく歩いてみることで車窓から見かけた時ほど「似通った景色の繰り返し」という印象は薄れるんじゃないのかしら?

 

徒歩なら、目的地について休暇を消化するような旅じゃなくて、出掛けてから帰ってくるまで、その行程すべてを楽しめるたびになりそうな気がする。

休暇がめちゃくちゃいっぱい取れるようであれば、一度、九州を徒歩で縦断して帰省をやってみたいと思っている。

もっと余裕があれば東海道五三次、全行程を踏破とかも。

自分の足でどこまで行けるか、限界にも挑戦してみたい。

みんなでわたれば、怖くない。

この件に関しては完全に、強烈に偏見から来る忌避感を持っている。

しかしその偏見は、故なしとはしない。

かつてマスメディアが何をしたか、それを踏まえたうえで、これは間違った考えだといいたい。

 

togetter.com

 

 

「実名報道をするのは真実であることを保証するため」メディアが実名報道にこだわる理由 - Togetter

要は責任回避しつつ横並びで特落ちしたくないだけ。そんなに「意義」があるのなら自己責任で実名報道をすればいい、マスコミ各社が。松本サリン事件でも「警察発表流しただけ」と逃げ回ってた連中にはできねーだろ?

2019/08/21 20:00

 

かつて松本サリン事件というのがあった。

冤罪事件だ。

容疑者として警察の内部リークを鵜呑みにしてメディアスクラムで冤罪被害者を囲い込み、警察発表を受けて各社揃って実名報道に踏み切った。

その後、冤罪が告発され、被害者の無実が証明された。

メディアは野中広務(当時の国家公安委員長)が被害者に謝罪してようやく、横並びで謝罪・訂正記事を掲載するか放送するかしている。

 

・・・これのどこに主体性があるのか。

 

主体的に取材し、その結果として何らかの「実際の被害者」を掴み、それを「警察発表」と照らし合わせるためにこそ「実名報道は必要」なのだ、と言いたいのだろう。

 

では聞くが。

松本サリン事件において、マスメディア各社は

・真実の犯人を独自取材したのか。

・照らし合わせたうえで警察発表のそれに疑義を示したか。

・警察発表のそれに反するor補強する独自取材が出来たか。

・警察リークの信憑性について、自分でたしかめたか。

 

警察発表の信憑性をチェックするのが俺たちの仕事だ

その意気やよし。

で、実際にその仕事をしているのか。

 

俺はそこに強烈な疑問を持つ。

 

今回の件も、原理原則として反論しにくい建前を立てた上で、じっさいには

警察発表という錦の御旗を得たうえで、被害者・あるいはその遺族への「信憑性の確認」という名目で突撃取材を敢行し、紙面を埋める・撮れ高を確保する*1ことこそが最大の目的ではないのか?

 

そう疑っている。

かつて松本サリン事件で冤罪被害者を吊し上げ、仰々しく報じたように、売らんかなでセンセーショナルに報じたいという本音を隠しては居ないか。

 

もっとも、おなじく大きな冤罪事件として挙げられる足利事件では、一部民放が冤罪被害者とは異なる、有力な犯人の目撃情報を(冤罪被害者が逮捕される前に)報じており、それを梃子に、だいぶ後になったけれども警察の捜査の妥当性を問う一連の報道を展開するなど、マスメディアの権力監視機能が働いた事件というのがないとは言わない。

 

ただ。

こと今回の事件に関しては、そういうチェック機能という意図よりもセンセーショナルに報じたいという姿勢の方が底に透けて見えるような気がする。

被害者の実名を報じることによって

「よし、警察発表と自分たちの取材結果は間違ってない、これは確からしい」

ってチェックする必要とか意義とかを認めるにせよ。

いみじくも上記まとめに記されているとおり、

「現場は実名報道の意義を理解しているのか」

ってのにはどうしても不信が拭えない。

現場では視聴率の取れる画、煽情的で売れる紙面、それを構成するための要素として「実名」が求められ、認識されているのではないか?

匿名のまま報じるよりも、実名で報じたほうが悲劇性が増すから、実名の方がいい。

そう考えては居ないか?

どうしても、そう勘繰ってしまう。

 

原理原則として正しかろうが、それを口にする人(が属するポジション)に対する信がないので、俺は胡散臭いな、この裏にドス黒いホンネが渦巻いてんじゃねえの?って思いました。

 

原理原則の正しさはギリギリ認めざるをえないけれども、それを嵩にきて人をぶん殴ることを「正義をなす上では不可避の損害」とみなす振舞いには、やっぱ嫌悪感の方がずっと大きいですね。

どれほど原理原則が正しかろうが、容疑者も被害者も遺族も、好き放題に突撃していいもんじゃないだろ。

これまでその好き放題で踏み躙ってきた実績があればなおさら。

俺達が居なければより巨大な力によって蹂躙されていた、という言い訳は通用しない。 

問われているのはメディアのじっさいの振舞いである。俺はそう思う。

 

松本サリン事件

松本サリン事件

 

 

*1:これについてはメディアばかりを叩くのもフェアじゃないだろう、そういう「画」を求めてる視聴者がわんさか居るのが実情だし