afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

大変だなぁ。

かんぜんに他人事。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

リストラは大変だなぁ、って思う。

こういうの見せられたら若い子が

「いちばんカネの要る時に切られるとかクソやん」となるのも

「オッケー有能なら問題ないやん」となるのも分かる。

 

別に企業のせいとかではなく、社会のメッセージなんだよな。

なんかめちゃくちゃ都合よく忘れてる大人が異常に多いんだけど

 

「自己責任・努力不足・自業自得」を旗印にして

痛みを伴う改革」なんて言ってた誰かを圧倒的に支持したのは大人たちだからね。

 

もろちん、被害者ってツラしてる氷河期も例に洩れず。

有権者の8割が支持、ってのが1年近く続いたんだからな、基本方針として民衆が選択したとしか言いようがない。

その選択は間違いだったねぇ、と慨嘆するのはいいし、

当時からわずか2割側にいたスジガネの人はいいけど、

今になって「アレは間違いやったんや間違いを選択した責任者でてこい」では

天に唾する行為でなんだかみっともないと思ってしまう。

俺も勝ちに乗っかれるかも、と最初の投票は小泉竹中に入れたクズ野郎なので、2割からはドンだけ叩かれても文句は言えない。

が、「奴らが悪いんだ」にはちょっと同意できんのよ。奴ら(小泉竹中に代表される連中)がやりたい放題やれるような「数の暴力」におもいっきし加担してたのが俺だから。

だから「アレは間違いやったんやなぁ、俺って愚かやったなぁ」ってのはなるけど、それ以上踏み込むのはちょっと躊躇いがある。

まあそれでも、自分の性格的にもっと貧苦にあえぐようになったら責任転嫁し始めると思うけどね。

 

しかし、それはさておき。

まあいずれこうなる、というのはみんな分かってましたよね?

既得権益をブチ転がして新たな市場創造、という当時の大筋でいったら、こういう展開もそりゃあるだろうな、ってなりますよね?

たまたま、勝ち組、負け組と騒いでいた当時は「勝ち組」側だったので、負けてボロクソになるようなポジには自分たちは落ちねーだろ、って思ってただけですよね?

それが悪いとはいわないけど、けどやっぱり自分の見通しが甘かった、ってのも否定できないんでは、と。

終身雇用とかとは無縁な「負け組」側としては思うわけです。

ちょっと酷薄だけども。

 

とはいえこういうのもあって。

www.financepensionrealestate.work

 

企業さんもいろいろ背負ってたんだなぁ、ってのは同情ポイント。

囲い込みもあるんだろうけど、将来報酬を移動できないカラクリになってるので

ますます人がしがみつく、というなんともダメな循環。

かといって人の移動に合わせて将来報酬(年功で上がるおちんぎん、と将来の年金)を横断できるようにするのは企業さんだけでは無理っしょ、というのも分かる。

 

たぶん「変えなきゃ」ってのは間違いなくあったんだけど、そのときの変え方が中途半端だったんだろうなあ、と今は思う。

もうちょっと国も経済界も、ついでに労働者も元気だったころに大胆な改革が出来てればね。

自由に動かせるお金も今よりは少しはあったので、解雇した後の再就職訓練とかももっと手厚く出来たんじゃないかな。それで鍛え直す側もまだまだ若かっただろうから、効果も多少は出たんでは。

企業ごとに立てていた将来報酬をどうやって国に回収するかはすげえ難問の気もするけど、今から何とかしよう、と思うよりはまだ手立てがあった気がする。

言っても詮無い後知恵だけど、小泉の頃に職務記述書の必須化とかやってればまた違う光景になってたんじゃないのかな、と妄想する。

少なくとも移動はしやすくなるし、成果主義とやらの評価の納得感も上がって働きやすさは向上してたんじゃないかな、とか。

当時の社会に、いちいち労使双方ツノ突き合わせて「何をやらせているか」「何をやらせるか」を分解していってそれぞれ値付けし直すクソめんどくささを受け入れる度量があった・・・とは思わんけどさ。

 

昔のことを思い返してグズグズするのは悪い習慣。

これっきりにして、今やれることをしたいですね。

→で、今やれることは自分を養う、で精一杯という最初に戻る。

 

ヘタな考え休むに似たり、やで自分。