afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

夜歩く

少し涼しいので散歩した。

風のぬるさはあまり変わらないのだけど、夜の距離感の取れなさが好きである。

川沿いの道は歩いてる時に目標になるのが街灯ぐらいしかないので、どれくらい歩いたのかが気にならない。

昼間だと目立つ建物にどんどん近づいていくので1kmも歩けば「今日は歩いたな」と感じられるのだけど、川べりには高い建物もあまりなくて薄暗い。

そのせいで街灯の数を数えて歩く感じになるのだが、歩いてるうちに雑念が増えてきてそっちに気を取られているうちにどこまで数えたか忘れて、長いこと歩いてしまうのがいい。

今日はちゃんと数えて歩くぞ、と思っていても稀にすれ違う人の散歩用の夜光ライトや懐中電灯に気を取られて頭から数が飛んでしまうこともある。

数えるのを忘れると距離感が薄れる。

そのせいで日中よりも長く歩くことが多い。

時間でカウントしてたら、もうちょっと日中と同じくらいの距離に出来るのかもしれないが、夜は長く歩いてもあまり疲労が溜まらないので、今のままでいいかなと思っている。

自分がどれくらい歩いたのか、これからどれくらい歩くのか。

そういうのがハッキリしない状態でただ足を前に出すだけの方が、疲れは溜まらないみたい。

集中しているわけじゃないんだけど、ただあるいてるだけで思った以上に時間が経ってることもあって、そうなると今度は帰りの距離を考えてげんなりすることもある。

行きも帰りもアタマ空っぽにしてただ歩けるときはちょっと気分がいい。

意識しないでも「今日はこの辺にしておこう」って引き返すと、ちょうどいい按配の疲れ具合になることはあまりないけれど、それだけに少し嬉しい。

体調と相談して歩いているわけではないが、散歩する時にいい具合に切り上げられる時はだいたい調子がいいと思う。

早く切り上げすぎたかな、とかちょっと歩きすぎた、という時にはどっか心身の不調があることが多い。

街灯がポツポツあるだけの川沿いの道をただ歩く、というのは傍目から見たらきっと不気味だけど、体調を整えたりチェックしたりするのにとても都合がいいのです。

 

暗いから周りが見えなくて、歩くことにだけ集中できるのがいいのかな?

よく分からないけど、昼間にする散歩よりはずっと気が紛れます。

散歩して穏やかになる緑の多い風景を眺めるのが癒しになるって言うけど、真っ暗な川面をボーっと眺めたり、ザーザーいう川の音を聞いたりして歩くだけの方がよほど心落ち着くぞ。

けっこう気持ちいいと思うのだが、あまりすれ違う人もいないということは珍しい感覚なんでしょうかね?

むっとする

年が年なので、少し早起きになってる。

とはいえNHKの「ごーじーごじー♪」には間に合わず、

おおむね「ろくじろくじろっくじー♪」の時間帯なんだけども、それでも先週までは起き抜けに窓を開けると涼しかった。

ところが今日ときたら。

窓開けたとたん、ムワッとする湿気たっぷりのぬるいそよかぜが。

夕凪みたいな感じ(あそこまで酷くないけど)。

 

いつもなら顔洗ってヒゲ剃った後にあれこれ用事を済ませるのですが、

起きたとたんぬるい風に当たって何もする気がなくなった。

ヒゲ剃った後は寝転がって出勤までダラダラテレビ見てました。

転がりながら顎をさすってると、結構剃り残しのザラザラ感がある。

暇なんで転がって鏡見ながら、一本ずつ抜いてたんですが

「白髪増えたなぁ」ってのと

「なんか萎んだな、皮がすごい引っ張られる」ってしみじみ感じた。

かつてはヒゲにきれいな真っ白な奴が混じってたら「レアな奴に当たった」と少し嬉しかったのだが、今ではそんな驚きありゃしない。

最初の頃は「白髪ってほんとに白いんだな」って自分のモノながらしげしげと眺めてたけど、今は他の奴と一緒にまとめてポイ。

 

こうやって加齢に馴れていくんですね。

萎んでるのはたぶん暑さのせいで、夏場はいつも体重が落ちてしまいます。

それにしても今年はちょっと早すぎる気がする。まだ7月。梅雨も明けていないのに。これも加齢の影響なのかしらん?

萎んで顎まわりの肉が落ちると剃り残しが増えてしまうのが悩みの種で、今日も出勤前の貴重な時間を、無駄にすべてヒゲ抜きに充てたにも拘らず、出勤前に顎下触ってもいくつか硬い手ごたえが残る。

ヒゲは永久脱毛したほうがいいのかな、などと思いました。

けどひょっとしたら伸ばそうという気になるやもしれず。

今はまだ衰えのない頭頂部がどんどん後退してしまったら、下のほうで髪を増やそうという気持ちにならないともいいきれない。

ろくでもない心変わりには自信があるし。

なるべく根っこは温存しつつ、不要なときにはすっきりとしていられるいい方法がないものかしらん?

夏バテ対策

暑くなって湿度も上がってきて、食欲が目に見えてグングン落ちてるので、少しでもたくさん食べようと思った。

どうでもいいけど「夏ばて」or「夏バテ」もまた妙なところで漢字とかなひらいてるな。

けど「夏うた」ほどの違和感がない。

この説明のつかない違和感の有無は我ながら不思議。

おそらく

「夏ばて」のほうは「夏+ばてる」で「ばてる」に対応する漢字がないから受け容れてるのに対し、

「夏うた」は「夏+うた」で「うた」なら「歌or唄」でいいじゃないの! って感じてしまうのが理由かな、とおもうけど、それでもまだなんだかスッキリしないので他にも理由があるかもしれない。

 

閑話休題

たくさん食べようと自炊したのはいいのですが、自炊の機会自体あまりありません。

なので普段料理している人が聞いたら「バカじゃねえの?」って思うようなことかもしれませんが、今日一番驚いたことなので書いておきます。

 

茄子って、ものすごい強いシソの匂いがする。

 

市販の麻婆茄子の素で、麻婆茄子作ったんですけど

 

 

 

生の茄子を調理したのはこれが生まれて初めてでした。

それで箱裏に書いてあるとおりに、ナスを縞目に剥いたらシソのいい匂いが。

えっ!? ってなりました。

生の茄子自体はBBQなどで目にする機会もありますし、そんな珍しいものでもない。

カットされた状態で並べられてることも普通。

けどこんな匂いを嗅いだことはついぞ覚えがない・・・なんだこれ。

皮を剥いたからこんなに強い匂いがするのかしら?

そういえばヘタを切った時はここまですごい強い匂いはしなかったな。

BBQとかのナスが匂わないのも、輪切りにはなってても皮はまるごと残ったままだからか?

茄子そのものもそんなに好んで食べるものでもなかったですが、茄子=シソの匂い などというのはアタマの中でまったく繋がっていなかったので衝撃でした。よく考えると色が色だし、別に大騒ぎするほどのことでもないんでしょうが。

 

いやホントにこれこそどうでもいい話ですが真面目に驚きました。

料理してみるとまったくシソの匂いはすっ飛んでいつもの茄子になってたわけですが、世の中にはシソの葉を加えるなどせずとも茄子のもつシソの香りを活かした料理もあるようで・・・いつものことながら世界は驚きに満ちているものです。

 

それはさておき

匂いが気に入って調子に乗って茄子全部剥いて料理した結果、ちょっと量が多すぎてお腹が痛い。夏バテ前に腹痛でやられそうな気配が漂ってまいりました。

学習しよう。もっともっと。