afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

ほぼ一月

ブログを継続できた。

何事も飽きっぽい性格の自分にしては、なかなか頑張ったほうだと思う。

他のあれこれのノルマに比べると、ずっとたやすい話ではあったのだけど夏休みのアサガオ観察からずっと途中で飽きて投げ出すのが続いていた自分にしては上出来か。

ちょっとちがうな。

誰かから強制されずにここまで続けられたという意味ではより価値が大きい気がする。

書いてる中身にそれほどの価値はないかもしれないけど、ブログを書くことで頭が整理されてるのは日々感じる。

これまでは言葉にしないでもやもやしてるうちに、心の底に泥がたまっていくような感じだったのかな?

中途半端に言葉にするよりは、もやもやしたまま抱えておいたほうがいいんじゃないかと思うこともままあるけど、今のところは吐き出す、というかこうしてテキスト打つことでまあいいか、と気分転換できてるのは心の平穏に地味に効いてると思う。

 

効いているといえば、以前はあまり意識してなかったけれども、強い言葉はあまり使わないほうがよいですね。どうも言葉の強さに引っ張られる感じで、気持ちの転がり方が極端な方向へ傾斜していくのがテキスト打ちながら分かる。

てか、一年前にも似たようなことをブログで書いてたけど、あの時は語彙の乏しさで大袈裟になっちゃうのを気にしてたんだな。

大袈裟になった結果、やたらとその大袈裟な言葉や表現に心まで引っ張られるような感覚はさいきん芽生えた感じ。

これまでは気にしてなかったけど、激しすぎる語彙のWEB記事なんかは書いてるライターさんの心境がちょびっと心配になったりすることがあります。

加齢による心境変化の影響も大きいのかもしれないけど、以前ほどDISり芸の記事を楽しめなくなってるのを自覚するようになったのは継続してブログ書きはじめてからだな・・・。

書くことのプロの人が言葉に引っ張られるってことはあんまないだろうけど吾は素人なんで気をつけて生きたい。

来月からの課題は、ちょうどいい按配の言葉を選びながらブログを書くこと、にしたいと思います。

空調がもたらす平穏。

休日はなるべく出歩かないことにしている。

酷暑酷寒の季節は特にそうだ。

しかしこの夏は冷房がいかれていたのでしばらく涼みに外出していた。

安上がりに済ますために冷房の効いたモールとかをぶらぶら。

今ならイケアに集まる中国人の気持ちが分かる。涼しいよね。

民度低いと思うけど、そんなことどうでもよくなるくらい気持ちいいんだからしょうがないじゃん、て。

それでも出かけると何か買うわけで、後からどうでもいいものを買ったなぁと後悔する事も多々ある。

お前は本当に成長しないね。

 

そんな生活ともようやくおさらばして、空調が機能する休日を久々に過ごしている。

すばらしいね。

スイッチ一つで快適すぎる。

人類はこれぜったい温暖化克服できませんよ。

少なくとも吾は無理。

温暖化阻止のためにちょっと設定温度上げようね活動とか、快適さに比べたらどうってことないですよ。

というか冷房は麻薬です。こんなものを人に覚えさせたおまえらが悪い!

・・・責任転嫁も甚だしいと思いますがほんとに久しぶりの冷房は気持ちがいい。自分勝手に温度弄れる空調は至福。

いちおうガツンと冷やしてから推奨設定温度とかの27℃とかにはするんだけど、ちょっと暑いなって思ったらまたガンガン下げちゃう。

上げ下げの頻度が激しいのと、ずっと低めの設定温度なのと、どっちが地球にダメージなんだろう?

電気料金は細かく設定温度いじりすぎるほうがNGみたいなことは聞いた覚えがあるのですが・・・。

 

それはさておき。

7月のこの時期で既に出歩くのがかったるくなってる現状で、東京2020やる頃には東京34℃越えるかも、って学者さんの予想も上がってきたそうで。

・・・やっぱ夏は止めといたほうがいいんじゃないですかね? 動員が鈍るだけじゃ済まないと思いますよ。下手をすると死人が出るんじゃないのかしら。

商売的に夏でないとおいしくないというのも分からないでもないですが、それでも程々にしておいたほうがいいんではないでしょうか。

しかし1964が運動にちょうどいい季節を見込んで設定したのに比べると、アスリートファーストといいつつ、思えば遠くへ来たもんだなぁ、と感じます。

 

クーベルタンの望んだ世界かこれは?

等と空調の効いた部屋でちょっと毒を吐いてみる。

 

吾は心に棚を作るのが得意です。

浅田次郎

 

椿山課長の七日間 (朝日文庫)

椿山課長の七日間 (朝日文庫)

 

 

以前西田敏行でドラマになってたらしいが未見。

全部は読んでないけど、浅田次郎の小説は計算ずくだなぁと思う。

いつも乗せられてしまうほうが悪いといえばそうなのだが、のせ方がうまい。

 

古い本なのでネタバレしても大丈夫だと思うけど

バリバリの現役課長が接待の最中に突然死。

そして死後の世界で審判を下されるのだが不服申し立て+現世に未練あり。

特例で7日間だけ現世に戻るのを許すのでそれで未練を断ち切ってあと冤罪の証拠を持ってきて、と現世へ送り返される・・・という話です。

 

椿山課長だけじゃなくて、テキ屋の親分とか交通事故で跳ねられた子供の黄泉返りも語られて最後は三人の話が一つのオチにまとまるのがキレイ。

やや強引かなと思う展開もあったけど、三人の運命を束ねるクライマックスの盛り上がりはさすがだなぁ、と思ったり。

三者三様のよみがえった後の話が語られたんだけど、三人の中では一番テキ屋の親分の話が良かった。

三人の中では一番ミッションがシンプルだったのも大きいかも。

「残った子分たちが人の道を外さないように諭す」

ってのが分かりやすかったのと、ほかの二人の線に比べて繋がる登場人物の線が大きく脱線するような感じがないので、すんなり話が入ってきたんだと思います。

椿山課長もなかなかしんどい人生を抱えてたようで、おそらく普通の夫婦の死に別れのときよりも多くの人が絡んできたし、雄太の場合も、普通の親子の死に別れと違って両親が倍いるし。

この辺でちょっとこんがらがったというか、するする読める感じじゃなかったので、より武田の親分の話が印象に残ったのかなって思います。

少し残念なのは終盤がやや駆け足な感じがしたこと。

これは7日間(実質3~4日)のタイムリミットであれこれケリをつけなきゃいけないから仕方ないのかな? オチをつけるために終盤でぽんと現れた感じの登場人物も居たので、ここがもうちょっと・・・という感じでした。

キャラとしてはもうちょっと深く掘れば面白い奴だったのだろうか、と言う感じだったんですけどね。

 

群像劇(と言うほどでもないかもしれませんが)、お話の線が複数ある物語だとどうしても登場人物の描かれ方に濃淡が出るのは仕方のないところ。しかしそこで端折られてるような印象があるのが、読んでるうちに自分が好きになった登場人物だったりしたら残念感が大きくなるのがいけませんね。作者が気合入れて描いてる登場人物と、自分が気に入った登場人物が重なってれば最高なんだけどな。

 

そうそう、最後はけっきょく椿山課長は冤罪でもなんでもなく、邪淫の罪で有罪だったんですけど、これに激しく反発して冤罪を唱えていたあたり、ひょっとして生前から椿山課長は心の隅にずっと佐伯氏のことが引っかかってたんじゃないか? って読み終わってから思いました。

鈍感だってさんざん描かれてたけど、心の底の底の方では実は気付いてたんじゃないかな・・・と。

死というきっかけで佐伯氏の本音に気付いたんだけど、ひょっとしたら椿山課長あのまま生きていてもいつか気付いてたんじゃないだろうか? ・・・・なんてね。

 

もう椿山課長は死んじゃってるから尋ねようもないのですが、もし何か質問できるならぜひ聞いてみたいですね。

「ホントに佐伯氏とは後腐れがないと思っていたのか?」 って。