afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

ツマラナイ話はツマラナイのか?

人間ってダメだなって。

人間っていうか吾ってダメだな、って。

 

嫌いなヤツ居るじゃないですか?

出来れば顔も見たくないんだけどやんごとなき事情により仕方なく付き合ってる類の輩。みんなとフレンドリーになれるぜ、みたいな博愛主義者とか、嫌いな相手とは付き合わなければいいじゃないとか、まるでパンがなければケーキ食えばいい、みたいなことが容易に出来るマリアントワネットみたいな人を除けば、だいたいみんな濃淡あれ苦手で嫌いなヤツって居ますよね?

 

 

んでまあその嫌いなヤツととある趣味で好みが丸被りしてる事が判明したんです。

辛かったなぁ・・・。

ふしぎなものでそれ知った途端、自分の手元にあるその作品がいきなりみみっちくてしょぼいものに見えてくるんです。

知るずっと前からヤツもCKB好きだったっぽいのに。

 

 

何なんだろうこれ。

ヤツが好きだからといってそんなの吾に関係ないはずなんです。

ヤツのセンスと被ってしまっている吾の不覚はあるかもしれないけど、それでも、吾がそれが好きだったことは間違いないわけなんですよ。

それなのに、一気にそれが否定された感じ。

吾ながら戸惑っている。

イヤ別にヤツが憎たらしいのとこれは無関係だよね、ってアタマでは分ってるんですけど、ヤツが「いいね!」って思ったフレーズでひょっとしたら自分も「いいね!」って思ってたりしたんだとしたらと思うともうねクソァ!!

 

分かりましたよ。

世の中に無価値な作品やツマラナイ作品なんて、たぶんないんです。

世に出てるかぎりはいろいろとその前段階で篩にかけられてるはずだし。

自分のフィルタで勝手に選り好みしてるだけなんですよ。

それは自覚してたけど今もう一つはっきり自覚しましたよ。

 

嫌いなヤツが好んでるものはその瞬間、無価値でツマラナイものになる(吾の中で)、って。

 

これはダメだわ。世界が狭くなる。

ショックで心がやられてるんだ・・・落ち着こう。

キンタロー。似のアイドルだって言ってたじゃないか

「私はキライになってもいい。AKBはキライにならないで」って。

分けて考えろ。分けて考えるんだ・・・・。

 

嫌いなヤツが好きだからって、CKBがツマラナイ奴だってことはないんだ。

大したことないはずなのになんかすげー悲しくなってきた。

ヒトリノ夜

台風も大きな被害もなく通過して雲は多いけど晴れ間もある夜。
満月だろうか、とても月が綺麗。

夕方は蝉がいっぱい鳴いていたけど、この時間は気の早い鈴虫が鳴いてる。
季節はずれのセミも気になるんだけど、この季節を先取りしてる昆虫たちって、いったいどれくらいの割合で、自分の種の保存に成功するんだろう?
スタートダッシュが早いことでライバルが少ないというのもあると思うんだけど、そもそもその時期にメスって活動はじめてるのかよ、っていう疑問が湧く。
鈴虫の寿命は知りませんけど、春先のセミってひょっとしたら悲惨なんじゃないかしら?
7年間土の中でもぐって生きてきて、先行者利益をまるごとゲットでハーレムだぜ!!! って一匹で散々鳴き散らかすんだけど、肝心のそれを聞いてるメスが居なかったりしたら・・・
地上ではわずか1週間の命なのに、その命がけの叫びを受け止めてくれる相手が一匹も居らんわけですよ。
「おっ、アイツええ声で鳴いてるんじゃないの?」とか
「あんなんハナシにならんわ、ダサ坊やん?」ってメスたちに品定めされることもなく、魂の叫びは虚空に消えていくわけですね。一週間で。
せいぜい暇な人間が「まだ5月なのにセミ鳴いてんぞおい」って気にするくらいか。
切ない。
こんな切ない話はないのではないか。

翻って鈴虫の場合。
寿命知らんけど、セミの場合はまだ五月蝿い

(蝉なのに「蝿」ってちょっと可笑しいですね)ぶん、届かない物悲しさがちょっと薄れる感じがするけど、鈴虫の音色って綺麗なんで
「これ聞いてるメス居ないんだよな・・・」ってなると侘しさがさらに募る感じがする。

時代を先取りするのはいいことだろうが
先取りしすぎるとただの孤独死になるからタイミングってきっと大事だよな、って思った夜。

アリーテ姫

 いろいろ書いたがまとまらなくて断念。

アリーテ姫 [DVD]

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 一つだけまとまったのは

クライマックスの魔法使いボックスの水が涸れた時の村人の行動は、

ボックスの人となりとかそういうのは割とどうでもよくて、

目に見える形で自分たちの生殺与奪を握ってる奴が上にのしかかっているという鬱屈は大人を歪めるんだよ、という事なんだと理解しました。

事情はどうあれ村人はボックスに生かされている。

ボックスを生きながらえさせるために、毎日のメシの世話をしなければならないというのはウンザリする事だろうけど、そのおかげで村に何とか生活できるだけの水が供給されているというのはたしかなわけで、これが大人を苛立たせるんだと思います。

 

スッパリ天災で水が湧かなくなって砂漠化するのでここでは暮らしていけないとなれば、新天地を目指して一家を養うために一念発起して移住! って選択肢もあっただろうに、ひとまず命を繋ぐのには不自由しない水があるがために、不快な支配者ボックスにひざまずいて村で暮らし続けざるを得なくなるという定め。

 

身軽だったら「ボックス気にいらねぇ」で別の場所に行く事も出来たと思うんです。自ら選び取る形で、敢えて苦難の道を行くことも出来ただろうと。

けどいろいろ抱えるもんがあって、それを守るためにはボックスという魔法使いに従うより他ないという状況は鬱屈するんではないかなと。

命の源になる水を握られてしまってるために、反抗しようにも反抗できない。

戦う前から諦めなくてはいけない事を強いられてずっと暮らし続けるというのは苦痛だったんではないか、と感じます。

ボックスが居るが故に生き延びられる事を頭で理解してても、それに対して反抗心が湧き出るのは押さえ込めない、という事だったんじゃないかしら、と。

 

ボックスの治世ってそんな酷いもんじゃないんですよ。客観的に見れば。

生きるのにギリギリの水で留めるわりに、自分の要求するメシもシチューでカエルを変身させたグラベルと同じ内容で文句を言うこともない。

取引という事でいえば、そんな割の悪い話ではない。

ただ、目に見える形で命を握られているという不快は抑えようがなくて、一時的に水が涸れたことで、積年の鬱屈が爆発して、ボックスを後ろから殴りつけようという衝動になったんではないかしら、と思うのです。

 

殴りつけてボックスを排除したところで、水がふたたび湧くはずもないし、合理的じゃないんですよ。理屈で言ったら。

それでもなおボックスを殴ろうという気持ちになったのは

・水が涸れてボックスの魔法の万能性に疑義が生じた → 弱った今ならやれるかも

・ボックスは水とメシの世話の取引を自ら破った → 先に約束をたがえたアイツが悪い

くらいの感情で、今までの不満がいきなり爆発したんだろうな・・・と感じています。

目に見えない大きな力に人生を翻弄されるよりも、大きな力を持つ者に抑えつけられているほうが具体的な恨みとかは抱きやすいだろうし、ボックスと村との長期関係が今まで安定したものであったとしても、それはすごく危うい関係だったんだなと、そのように感じました。

 

あと最終的には魔法によって得られた水で村は息を吹き返すわけだけども、この道は果たしてよかったんかな、という疑問がちょっと湧いたり。

アンプルが目指した井戸を掘るという自助によって村を再生したのではなく、アリーテ姫とボックスの対決の副産物として湧出量の多い魔法の泉をぐうぜん獲得したに過ぎないわけで、ボックスを介在して得られていた不自然な水が、ボックスの介在なしに得られる不自然な水に変わっただけで、「不自然」である事にはなんら変わりはないんですよね。

ボックス抜きであれば「それも自然の恵みだ」と受け止めるのであれば、ちょっと都合が良すぎるんじゃないかなというモヤモヤがあります。

アンプルはたしかに村の再生という目標は達したので満足してるみたいだけども。

井戸掘ってみるけど出ないリスクとか考えると、不自然とはいえ生かされることの現実の利得の方が大きいからしゃあないのかしら?

気にするほどの事でもないのかもしれないけど、今引っかかってるのがそこなので、敢えて書いておく。

 

ボックスから与えられた不自然な条件によって生きながらえている事を自覚している大人たちは、だからこそボックスに対する鬱屈がたまっていたのだと思う。

だからこそ衝動的にボックスを排除し、不自然な条件も失われて水が涸れ、村が滅亡の危機に晒される中で村の大人たちはどう行動したんだろう?・・・そっちも見たかったような気がします。