afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

風の強い一日。

18時~20時にかけての風がいちばん酷かったですね。

今は無風で雨も上がり、鈴虫の泣き声は聞こえるようになりました。

 

 

ウォルマートに呑みこまれる世界

ウォルマートに呑みこまれる世界

 

 

外でられないし、期せずして続き全部読んじゃった。

最初の予想からおおむね外れることなく、理念を切り替えずにそのままでかくなったがゆえの弊害~~という流れだったけれども、史上最大・最強企業ながら研究がアメリカでも(本書の時点では)進んでいなかったというのが興味深いです。

その原因としてウォルマートの徹底した秘密主義が挙げられていたけど、ウォルマートの桁外れ感を醸し出しているのはサプライヤー全てに緘口令を敷くことができるということ、さらにサプライヤーをリタイアしたり、転職したりしている人にまで沈黙を強要できるというあたり。

このせいで「ウォルマート・イフェクト」を研究しようと試みる人たちが門前払い食らってい、それで研究も分析も遅々として進まないのだと。

ウォルマートの進出が地域の雇用・物価情勢にどのようなインパクトをもたらすかについて研究した経済学者・エメック・バスカーなどは、ウォルマート全店の店舗番号リストと、出店年月日という、ごく基本的なデータさえも、ウォルマートの協力が得られず、自身で揃えなければならなかった。

この出だしのハードルの高さもあって、ウォルマート研究は数少ないものとなっているのだそうです。

 

ウォルマートや他のビッグボックスに関する社会的な関心の高さを考えると、彼らのインパクトについての研究は驚くほど少ない・・・この疑問に答えるための調査はデータ不足により妨げられるのである。

            ――エメック・バスカー(ミズーリ大学経済学部準教授) 

 

 情報統制によって、ウォルマートにとって不利な・・・というか、外部からは何故隠すのか分からない基礎の情報すらもまったく出てこないため、とにかくウォルマートの主張を覆すのが大変。

努力してその主張のアラ(たとえば、「ウォルマートは地域雇用に貢献している」といった宣伝の虚偽)を指摘しても

「数字はいろいろ弄れますからね」

と木で鼻をくくったような反応をしてみたり。

その根拠になる数字を提供しないから必死こいて類似データから論文組み立てた学者のほうは

「じゃ、ウォルマートは自分たちの従業員の給与の数字も弄ってごまかしてんのかね」

と怒り心頭だったのが印象的でした。

 

いろいろなエピソードがあって、ウォルマートから商品を引き上げてアンチ・ウォルマートを掲げた芝刈り機メーカーの合理化の追求の仕方もまたウォルマートのそれにも似て徹底的だという話や、ウォルマートに付き合って潰されたサプライヤーはハフィーに限らないんだけど、そんな恨み骨髄のはずのウォルマートに対して抱く複雑な感情が垣間見えたり、それもとても興味深かったけど、やはりいちばん強く印象に残ったのは「ウォルマートの秘密主義」でしたね。

すでに勝ちすぎるほど勝ちすぎていて、もはやその影響力を無視すれば社会政策が成り立たないレベルにまで膨れ上がったウォルマート。

その研究を充実させるのは社会にとって不可避の要請なのに、にも拘らずウォルマートは

「競争に差し障りがあるので」

の一言で、全部ブラックボックスに入れて触れないようにしているのが、最大のガンだなと思いました。

もはや台風か何かのようなえげつない破壊力を持つに至った超巨大企業なのに、情報開示を拒む便利な言い訳、錦の御旗として用いられる「競争」の概念は本当に大きな障害だなと痛感します。

ウォルマート自身も変わらなくてはいけない、というのはこの時点で認識していて、それに向けて歩みだそうとする気配は感じられるのですが、自分の中で情報を完結させ、取捨選択した、ごく限られた情報だけを外部にしぶしぶ公表するという現状を切り替えないかぎり、ウォルマートが本当に変わることはないのではないかな、という感想を持ちました。

ウォルマートの価値観を変える、という難事はもはや、ウォルマート自身だけで対処できる問題ではなくなっています。

ウォルマートの「いつでも安価」を当然の空気のごとく受け止めてしまっている消費者の価値観をも切り替えなくてはならない・・・という国家規模の変革になるわけで、そうなるとウォルマートは自身の内部の頭脳だけで対処する事に拘るのではなく、広く情報を公開した上で、全米の叡智にその解決策、進むべき道の模索についての助力を仰いだほうが良いのではないかと思いました。

 

邦訳が出版されてからカウントしてももう10年前の本ですから、本書で取り上げられた問題に対してその後ウォルマートがどのような対応をしたのか、そろそろまとまった本もあるのかもしれないですね。ちょっと探してみようかしら。

待望

やっとだよ・・・

航空宇宙軍史のほうで忙しかったのは分かる。

分かるが。

 

覇者の戦塵1945 - 戦略爆撃阻止

覇者の戦塵1945 - 戦略爆撃阻止

 

 

表紙はまだ発表されてないので、これはひょっとしたら伸びるのかな?

という不安もあるけど、たぶん大丈夫だと信じたい。

ほぼ二年ぶりか。

「航空宇宙軍史 完全版」のほうにとりくんでるのは知ってたけど、「覇者の戦塵」もなんだかんだで長期シリーズだし、ある意味代表作だよなって。

こっちもいよいよ1945で終わりそう。

25年・・・長かったな。30年になる前にはケリがつくのだろうか。

しかし架空戦記というジャンルも縮小したみたい。

出版点数もだいぶ激減したようで、たまに立ち読みする歴史群像でも新人賞募集がなくなって久しいし、書店でもあまり見かけなくなった。

吾も学生とかの頃から読み続けているのは谷甲州だけになってしまったし、架空戦記ジャンルの新刊はもう読まなくなって久しい。

そのなかで谷甲州のだけは追いかけていたのだが、谷甲州はこれしか架空戦記を書いてないからすなわち、今では架空戦記は「覇者の戦塵」しか読んでない、ということになる。

10年ほど前まではぎりぎり佐藤大輔も少し追いかけてたけど、「地球連邦の興亡」が終わったあたりでギブアップ。

未完シリーズがあまりにも多すぎてついていけなくなった。

と思ってたら今年の初めくらいに亡くなってしまった。一時期ファンだっただけに残念。

けっきょく架空戦記モノで完結させられたのは一つもなかったのかな?

デビュー作の征途で最初で最後かしらん。

架空戦記でなければ、いくらかあるのだけれども。

 割に面白いSF・・・スペースオペラ、かなぁ? 詳しいジャンルはよくわからんけど巻頭言で「俺こういうノリの奴大好き!」って作者が50~60年代SFへの愛を綴った後、それに沿って開き直って書いてるので、実にステキ。

構想としてはもっと広がってたのかもしれないけど、第一部完、くらいのまとまりはあるので完結作品にカウントする。

ちょっと残念なのは表紙イラストの統一感がまったくないところ。

これは同じく未完のこの作家で完結してる作品の方が稀だ皇国の守護者」でもそうなので、作家のこだわりなのかもしれない。

中公版では統一されてるけど、イラストが好みじゃないので未購入。

この4巻の雰囲気で統一して欲しかったぜ。みたいなのはあるし、なんといっても

「ストーリー未完なのに加筆修正版出すの!?」みたいな違和感が拭えないところがある。

 

航空宇宙軍史・完全版もそういう印象があって、未購入。

「終わりなき索敵」でムルキラとかいったんケリがついた感もなくはないけど、もっと続くもんだと思っているので、「完全版」なんて銘打ってしまったら、これからは航空宇宙軍史の新しいエピソードは読めないのかしら、という不安が湧いてしまう。

だとしたら今すぐ追いかけて読むのはもったいないな・・・という気分。  

終わりなき索敵―航空宇宙軍史

終わりなき索敵―航空宇宙軍史

 

( ダムダリ&蒼龍 VS 航空宇宙軍艦隊 の戦闘シーンが白眉)

 

とはいえ、作家が存命であるのだから、いつか物語にはケリがつく、という見通しは経つので、それはある意味幸せな事なのかもしれない。

「航空宇宙軍史」も「覇者の戦塵」もいかなる結末を迎えるにせよ、最後まで見届けたい。「覇者の戦塵」は特に、時代の経過に沿って語られてきたシリーズなのでいよいよ佳境。期待して待ちたい。

みんなって誰さ。

子供の頃はこれでしょっちゅう撃退されていた。

「みんな持ってるんだからゲームボーイ買ってくれよ」

(おじさんなのでねだるアイテムが古いのはご愛嬌)

てねだったら、母から

「みんなって誰と誰?」

「A君とB君と・・・みんな!」

「C君はいってないじゃん。全員じゃなかったらみんなじゃねえよ」

で終わり。

割とどこのご家庭でも良くあることじゃないだろうかと思う。

 

 

東京、リオ五輪で買収と結論 英紙報道、招致不正疑惑 - 共同通信 47NEWS

みんな賄賂やってるんだから俺も賄賂やっていい、は大人としてあまりにもさびしすぎないか。

2017/09/15 22:43

 

これさ。

よく

「招致には金がかかる」

「賄賂使って当たり前」

「他所もやってる」

って言われるけど、まず落ち着いて考えて欲しい。

そこまでヨゴレな感じになってまで進めたいのかと。

いや、ヨゴレになってでも

「日本でオリンピックやるのは至高の価値!」

「目的のためなら手段を選ばず」

ってのが一本筋が通ってたら、それはそれで傾聴に値すると思う。

 

「周りがやってるから俺もやる」はないでしょう。

 

子供か。

 

大人ならそこは自分の自主的な判断を下そうじゃないか。

 

周りが賄賂やりまくり

→俺も賄賂レースにのるよ、これぜったい勝たないといけないし!!

 

はアリ。

 

周りが賄賂やりまくり

→糞イベやな、こんなヨゴレには付き合いきれんので撤退。

 

は吾が好みとする方向。

 

けど

 

周りが賄賂やりまくり

→じゃ、俺もなんとなくやっとこっかな

 

は拙いでしょ。拙いというか、なんか情けないというか。

 

おもてなしでゲットしたぜ!! みたいに持ち上げてたけど

実は裏があったんだよ、みたいなことが漏れ出してくると

「そういうのが招致レースってもんや」の大合唱。

 

・・・それならそうと先に言っておきましょうよ。

それでも五輪に価値を見出す人は痛んでもついてきたんじゃないです?

本音をはっきりさせずに、言ってることとやってることの乖離を指摘されたら居直るってかなりカッコワルイと思うのですが如何でしょうか。

 

せめて悪と分かってはっきり悪だったらいいんだけど、痛いとこ突かれたら他所を引き合いに出して居直るとか、振る舞いとして美しさや潔さに欠ける。

 

子供たちに誇れる大人になろう。

せめて心意気だけでも。

 

袖の下いっぱい送ったのが真っ黒で確定したとしても、

今は分かってくれないかもしれないが、

どうしてもやりたかったから、俺は悪いと分かってて突っ走ったぜ!!

って弁明の方が子供たちが大人になったときに響くと思う。

 

おとうさんは、賄賂贈った人なの?

って子供に聞かれて

「悪いことじゃないよ、みんなやってたんだから」

って目をそらすような真似は、しない方がいい。

 

怒りは沸かないけれども、JOCの皆様には哀れみを禁じえないです。