afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

伝えるときの、困った話。

Web上だとリカバリーできない。

にもかかわらず、Webではほとんど言葉・文章でしか伝わらない。

これが厄介だなぁ、と思うことはときどきある。

 

 

独善的だが、ネッツのよさは気に入らなければ切ればいいじゃないの、というのを普通にやれるところだと思う。リアルだとこうはいかないから、とても快適。

裏を返せば、リカバリーして、関係を再構築しなければならないほどの濃い関係は期待してないということ。

ほとんどはそれでカタがつくし、そんな風に関係を悪化させるのを回避したければ、当たり障りのない言葉で「すごいッスね」とか「いいね!」とか、実にヌルいインターネットしておけば万事OK。

ところが、もし関係を切りたくないが、同時にありきたりなコメントに埋没するのはイヤだ、お前のことを愛している吾がここにいるんだぞって激しくアッピールしたいような相手が現れたら、メッチャ厄介。

 

そんなブログにごく稀に出会うことがある。

 

こういうときはコメントが出てこないんだよね。

当たり障りのない言葉であっても。

当たり障りがないがゆえに、相手にとっては重さのない言葉になるかもしれない、

或いは

当たり障りがないがゆえに、こちらが関心抱いてないよ、と伝わってしまうかもしれない

そんなジレンマ。

前者だと数あるファンに埋没するモブになるのがイヤという自己顕示欲。

後者の懸念は多分に自分の被ったリアル経験

「褒め言葉に思い切り軽侮の念をこめて叩きつけるマウントコミュニケーション」

から来るものだから、おそらく杞憂。

おおむね相手にとってはどうでもいい話。

 

けどガチで気に入ってたりするとホントに悩む。

いろいろ言葉を連ねてみるけど、

長文過ぎてそのまま伝わらずに、裏があるんじゃないか、とか思われたらどうしよう?

などなど自意識過剰すぎる疑念がいっぱい湧いてきて終わってみるとやっぱり

当たり障りのないコメント、になってることがしょっちゅう。

 

こんな時痛感する。

リアルなら多分、ホントに褒めてるんだよ、とか好きなんだよ、ってのがちゃんと伝わるのになぁ、と。

テキストだとその辺の伝わり方が、ゴソッと劣化しますね。

いつものごとく自分の文章力のなさ、っていう根本の原因を棚に上げて言いますけど。

 

文脈を読めばだいたい伝わるだろ、ってなるけどその文意を限定、誤解の恐れを潰すためには色々と言葉を連ねなくちゃいけないし、そんな長文誰が読むのか、そもそも読んでもらえる長文を書けるのか? ってなるし。

あと長文になると吾の場合、「自己の主張」がかなりはっきりにじみ出るので、それもただ相手を褒めたいとかそういう時にはスッゲェ邪魔。

読みたい文章でなくなるからやっぱり伝わらない。

 

漫画とかドラマですごくベタな表現なんだけど、最初にいったセリフを相手が軽く受け流したのを、無理やり振り向かせて「俺はガチなんだぜ」って伝えるみたいなコミュ、

ネッツでのコミュではどうやったら再現できるんだろうな。

 

相手側に初球で見切られたら(こいつは嫌いだ、相手しなくていいのフォルダに分類されたら)リカバリーチャンスがないのは辛い。

 

ネッツの方がリアルより難しいよな、とこういうときは思う。

DISるための例示

自戒も込めて書くけど、褒めるにせよ、ケチをつけるにせよ、主語がでかくなりがちなのはどうしたものか。
意識していても、自分が接触した事例をもってすぐにそのクラスタ特有の行動様式のように思ってしまう。
今朝なんかも歩道を並列で走ってる○徳高校の生徒らしき部活に向かう子供たちに進路ふさがれてたんだけども
こういう時に短絡的に
「○徳高校ってこんなやつばっかだよな」とかさらに広がって「工房ってクソ」ってなったりする。
いやいや、そんな一般化できるもんじゃないからね、って少し落ち着けばすぐにわかるのだ。
にもかかわらず、心がちょっと不機嫌とかだったりすると、それがそのまま行動に移ったり、バカデカい主語で非難したりするのね。
おっさんが吠える「最近の高校生はなっちょらん、自転車のルールも知らんバカばかりだ」みたいな。

落ち着け。
お前は全ての高校生の通勤通学習慣をきちんと調べてものを言っているのかと。

自分にそう言い聞かせたい。
なんでこういう短絡が起こるんだろうか。

自分の心理を鑑みるに、その場で
「どけよ馬鹿ども何考えてんだ」
くらいのことを言う嫌味なおっさんになって蹴散らさずに、じっと我慢したストレスを発散してるだけなんだ。
そのストレスをそのまま出すとなんか共感ももらえなさそうなので、ちょっと主語を大きめにして
みんなも分かる分かる、言いたくなる程度のエピソードに仕立て上げて、そして社会に公表するみたいなところがある。
「どうです、皆さんもそう思いませんか?」
みたいなちょっと社会派気取った問題提起みたいな飾りまぶしたててブログ書くの。

ロクなものではない。
カッコ悪い。


そうした次第であるから、不満やストレスを感じたときに、その対象を拡大するのではなく、対象そのものをDISるくらいのほうがまだ
「ちっさいおっさんだなぁ」
と思われるかもしれないが、吾の美意識上まだマシなんじゃないかな、って。
一番いいのは愚痴らないことだけどね。
まあ次善の策として、無関係というか、あんまり関係のないところに着弾するような不始末はしないほうがいいよな、と思った次第。
ここ(ブログ)は吾の日記帳ではあるけど、そうである以上、素直にならないといけない。
話膨らますのダメ、絶対。

褒める時もそうだ。
むやみに広げるとなんだかあれだ、
「それ相手褒めるふりして自分褒めてるよね」
ってくらいに対象が広がっちゃいがちなので、その辺も常に自覚しておきたい。

というかアレよな。
ネッツ上で不特定多数の同意や共感を得られないと不満→じゃけんエピソード盛り盛りしましょうね、というのもおかしな話ではある。
きっと周りに話を聞いてくれる人がいないんだろうな、などと自分に跳ね返ってくる感想で〆る。

自分の行動が何につながっているのかわからない怖さ

薄気味悪さ。

この何ともいえないぞわぞわ感を理解してもらうのは難しい気がする。

 

広告だって丸分かりのよりは、負荷も少ないし見た目もスマートになるのかもしれないけど、なんかね。

しかしネタばらしされなかったら今も平然と踏んでいたに違いないわけで。

テクニックに長けた人にかかると翻弄されるね。

わかりやすい薄い記事でランキング作って検索に引っかかりやすくしただけのPV稼ぐのはまだかわいいもんだと思ったよ。

これ知らないうちにやられてたら確実に引っかかる自信あるわ。

アフィリエイター・プロブロガーというのはどんどん賢くなるもんだね。

 

他人が稼ぐのが嫌いなんではない。

俺は稼ぐぜ、ってのを隠すフリ、しかも下手くそなのがダメなのだ。

隠すなら隠し通せ。

バレバレの嘘をつくな。

 

その観点から言えば今回はばれるまで2週間ぜんぜん気づかなったんだから、自分から白状した分、かわいいもんじゃないかという見方も成立するのよな。

難しいもん・・・ではないけど、どういう風に心の整理をしたもんだかしばし悩む。