afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

続篇は割とトラウマ。

だいたいアップライジングのせい。

アイツなんであそこまで盛大に肩透かしになれたんだろう。

これも見たいような見たくないような。

www.youtube.com

 

http://ironsky-gyakushu.jp/

 

広島じゃやんないんだな。残念。

杞憂でした。

 

※追記。

音楽はライバッハが続けて担当するらしい。

ちょびっと期待値が上がる。

他所の公開が終わってからでもいいので、劇場でたしかめたい。

www.youtube.com

 

愛することは信じること。

言葉が乱れていちばん困るのはそれが成り立たなくなるということだと思うの。

信じられなくなっちゃう。

www3.nhk.or.jp

 

脈絡がない。

あるいは、NHKの中の人にとっては脈絡があるのかもしれないけど。

技能実習生とは

「本邦の優れた各種技能を外国人の皆様に修得していただき、各々の祖国の発展に役立てていただく」

というものである、という建前を教え込まれてきた身としてはやはり

「人手不足だから実習生を動員強化するね」

という剥き出しのホンネには一瞬、たじろがざるを得ない。

 

言ってることとやってることが違う。

ホンネとタテマエの使い分けだよ、という風に皆が理解しているし、そういうもんだからいちいち食いつくのはお前らがバカ、みたいに冷笑するのもCoolなのかもしれない。

それでもやはり、言ってることとやってることの違う世界ってだんだん病むと思うんだよね。

 

www.nikkei.com

 

これまではまあ、量販大手らしくちょこちょこ「ここの働かせ方クソ」という話題もいろいろ提供してくださった企業ではございますが。

この件に関するかぎりは

「やっちゃダメなことはダメ」

という建前をとおそうと努力しているみたいなんですよね。

実際の運用においてここで報道されているとおりのことができるのかどうかは分かりません。

しかし、まずは「とりあえず有給取得義務化に対応する」という姿勢を打ち出した、建前に従うという姿勢を見せたことは高く評価したいのです。

こんなもん高く評価するもんでもないだろ、当たり前。

という人も居るけど、低価安価であることしか売りがない・・・は言い過ぎにせよ、それが最大の売りになるということは分かっているのに、あえて法令遵守するためのコストを支払って建前を守ろうとする、というのはなかなか難しい心がけだと思うのです。

 

「この値段じゃないと客がつかない」

「おまえら客がこの安値を求めている」

「企業潰して、底辺労働者の仕事奪うつもりか?」

みたいに現状追認して違法状態を誇る起業家もSNSにはウジャウジャいるし。

あまつさえTVにまで出て「違法残業させてるけど俺たちは頑張ってるんだ!」って吠える起業家だっている。

そしてそれを「ホンネCool」「理想論しか吐かないサヨクは鬱陶しい」みたいな応援団が駆け付け擁護。

 

こういう連中との競争を余儀なくされている中で

(消費者から見ればどこで買おうが確かに安値の魅力には抗いがたい中で)

それでもなお、法を守ろうという姿勢を見せる企業こそ、好ましいなと俺は思います。

 

大企業ゆえの優位はあるかもしれんけど、それを拗ねて

「じゃあ俺たちは中小だから、対抗手段として労働法規ぶっちぎります」

ってのがCool、とはどうしても思えない。

 

「労働関連法規を守ること」が建前になってしまっていて

「労働関連法規をぶっちぎることこそ当たり前」ってのがホンネ扱い。

 

参加するプレーヤー全員が守るべき最低限のルールとしての労働法規。

けど「それを守る」というのはいつでもかなぐり捨てて良いタテマエに過ぎない。

ここをぶっ飛ばすチートこそが「ホンネCool」って世界観。

 

こんな本邦、愛せない。

 

好みじゃないし、この世界は成長しないだろうな、と感じています。

令和には変われるんですかね?

けっきょくチートすることによってしか利益を簒奪できないプレーヤーがぐんぐん伸びるような時代ではあってほしくないのだけれども。

最低限の労働法規をぶっ飛ばしてまで達成された異常な安値を享受して

「庶民なりの生活防衛」と開き直るような、

ホンネCoolな卑しい人間には落ちたくない、と思った次第。

道理を通す。

ホンネを隠したまま。

すごく難しいよね。

 

 

この人そのものの署名記事・スタンスというものは知らない。

だからこれから書くことはすべて偏見だ。

その偏見を持っている、ということを忘れずにいるために、

なぜそのような偏見を持つかを整理するための備忘録である。

 

こういう「伝えること」の大事さ、

伝える側の当事者から何か起こるたびに常に喧伝されるのだけど。

ほんとうに胡散臭いと思う。

これは先入観であり偏見なんだけども

「伝える器」の方がずっと大事でしょう? ってなる。

 

TVなら撮れ高が正義。

新聞ならどんだけ紙面を埋められるか、が正義。

 

違いますか?

そこをまったく無視して「伝えたいこと」だけにフォーカスしていると胸を張れますか?

 

別に本音とタテマエは乖離していてもいい。

ただ。

乖離が烈しすぎるとつらい。

美辞麗句をいっぱい並べ立ててるけど、けっきょく数字に追い回されてるだけだと思う。

そも、「伝えたいこと」の取捨選択にかける時間短すぎるよね、と。

撮れ高埋め草、その辺まるっと無視してそれでも「伝えいこと」だったのか、どうか。

その部分をすごく疑ってる。

 

多くの場合、そこをはぐらかしてると思う。

誰にも反論できない原則論で煙に巻いてる。

 

その姿勢が、すごく厭なのだ。

 

顧みると、自分だって似たようなことしてるな、と思うだけに。

偉いこと言って耳に痛い言葉を遮るような真似、したくないけどしちゃう。

 

他人のそういう心根の透けて見えるような振舞いを見ると過敏に反応してしまうのも、自分のそういう後ろめたさの裏返しなんだろうな。

 

もうすこし、心穏やかに生きたいものである。