吾はかなり意識していないとすぐに青二才な方向に流れるよな、って痛感する。
厳密な定義はないが
・サンプル極少数→全体に普遍的な「原則」を勝手に見つける、思慮の浅さ。
・発見した原則を全てに適用できると「断言」する、身の程知らずの傲慢さ。
この辺が吾の考える青二才≒思慮は足りないが勢いだけはあるバカ、の定義である。
んで。
この個別具体的な目の前のネタを2,3サラッと目を通しただけで
「ああこれってアレじゃん? あれあれ、アレといっしょ」
みたいな類型化、抽象化を図る腐った青二才思考って、実は世間のあちこちに蔓延してんじゃねえのかなって思ったんですよ。
これ読んで。
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モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い [ 福田ますみ ]
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いじめを苦に自殺した、ってセンセーショナルに報道された事件、しかしてその実態は、ってのを、関連裁判が全て結審するまでの10年間を追ったルポルタージュです。
いじめ自殺、って類型にあてはめてマスコミも、ネットも、そして自殺した生徒遺族も学校を叩きまくってたわけだけども、現実には自殺した生徒の母親の異常な過干渉と虐待が原因だったね、とほぼ認定(学校のいじめは全否定)されたって事件。
まあ詳しい経緯は本書読めばわかるんですけど、けっこう気分の悪くなる話がいっぱいなんで端折ります。
この本読んで一番思ったのは、
具体的な事実関係をハッキリしっかりバッチリ把握したわけでもないのに、
「俺、この事件の構造わかりみ」
みたいに一家言をぶつのは実はすさまじいevilだな、と。
ネッツで情報にたくさん接することが出来るようになって、事件のことを手にとるように理解できるようになったと思ってもそいつは錯覚で、どうしたって現場に接してる人間が知ってる実際の事件のありようには触れられないんですよ。
すわ、事件!となってドバドバっとネッツに情報は奔騰するでしょうよ。
けどその情報、すでにおもいっくそ加工されて「生」でもなんでもなくなってますからね。ンで、その加工を行うのがたいていマスメディアの皆さん。
連中の「型にはめた報道」への情熱はこの件に限った話じゃないんで割愛するけど、既にして「事件そのものをゴロっと差し出す」のではなく、
「お茶の間のみなみなさまに分かりみが得やすいように、そしてオレサマの思想信条のバイアスに都合善きように」編集されるのはどうしたって不可避なわけで。
そんな風に加工されて提供された情報をどれほど受け取ろうと、「吾、真実に達せり」なんてことあるわけないじゃん。
にも拘らず、ネッツだと「この事件はこうで・・・犯人は・・・画伯!!!!」
みたいなことを本当に平気でやるし、ものすごい安直に乗っかる。
誰がって? 吾がだよ。
他の誰でもない吾が青二才だったよっていうね。
けど。
個別具体的な事件を慎重に扱うのではなく、ザラっと見て
これだいたいこういうケース→じゃけん、こういう風に理解すればええやんけ。
って型に嵌まったモノの考え方って、かなり深く社会に根付いてるんだなと痛感します。
ラストの判決の日。
いじめ根絶を目指して活動している団体の面々と、加害者と指弾されたバレー部の監督たちがぐうぜん遭遇します。
団体の面々は、裁判の経緯、自殺した生徒の母の形勢が著しく不利なのを知りません。
ただ、判決の日だけやってきて、自殺した生徒の母を支援しているのです。
そして、長年の裁判を戦ってきたバレー部の監督・関係者を敵視する。
リアルのネタだけども、まさしくなんか事件があったときのネッツの盛り上がりもこういうのだよな、と思わずにはいられないです。
ヒトは、自分の見たいものしか見ない。
イッチョカミして気分良くなるためだけに、事件・事故を消費する。
その背後に呻吟苦闘する血の通った人間がいることにまで想像がまったく、まったく及ばない。
信念を持ち、じっさいに活動している運動家なら、まだいくらか弁解の余地はあるかもしれない。
しかし吾なんぞはどうだ?
ただ自分の気分スイッチにちょこっと触れただけで、具体的な事件から適当に拡大して
「これはきっとこういう筋立ての話」
「だから○○(それっぽい当事者)が悪い」みたいに断じてはいなかったか?
クソすぎだろ。棚に上げようがねえよ。
吾のアホさ加減にだいぶ滅入ったところではあるんだけども、同時に。
この事件のもう一人の主役、高見澤弁護士もまた
「勝手な自分の考えてる類型に当て嵌めて事件を見てたんで、盛大に見誤った」
人なんです。
この事件の前まではたしかに優秀な弁護士だったんですよ。
香川県香川町(現高松市)の無認可保育園で起こった乳幼児突然死事件で、事故死として処理されていたのを遺族の依頼で調査を開始し、園長が日常的に園児たちを虐待していたことと、園児の死亡の因果関係を証明してみせてるんです。
で、本人も「これでいけるやんけ」っとなって、自殺した生徒の通っていた高校の校長を殺人罪で告訴する、という経緯を辿るんですが、この告訴にいたるまでがとにかく雑、杜撰。
「これってアレ(香川の園児暴行死事件)と一緒じゃん」
って単純に同一視して、その方向に向かって突っ走って破滅してしまったという。
この破滅にいたる展開こそがこの本の白眉かもしれないと思います。
とにかく雑で杜撰で、香川の事件で警察を動かし、いったん事故死で処理されていたものを覆させ、園長の犯罪を立証してみせた優秀な弁護士と同一人物とは思えないほどの醜態を演じている。
断末魔を上げるクライマックスは、本当に見てられない。
弁護士がさ、最高裁判決を無視するんですよ? 元から腐った人間ならともかく、落差に呆然とします。
吾のように雑な小者ならまだ諦めもつく。けど相応に優秀だった人までが容易く、具体的な目の前の事件を、極端に単純化したパターンに当て嵌めて処理しようとする罠からは逃れられないのだと思うと、絶望が深くなりますね。
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以前読んだこの本の主役の一人、紅林刑事を思い出しました。
彼も晩年に考えられないほど雑な捜査・信じがたい証拠の捏造に手を染めるまではたしかに優秀な刑事だったんですよ。
しかし最後の事件は、自分の臆断そのままに突っ走って証拠を捏造し、自白を強要し、犯人をでっちあげ、冤罪を生み出してしまった。
優秀な弁護士・刑事ですら「自分の見たいものを見る」という誘惑に屈するのに、いわんや小者をおいてをや。
青二才はいつも吾の傍にいる。
やっぱさ。
個別具体的な事件を安直に類型化してしまう、他のネタと連関してくっつけてなにか理屈を見いだしてしまうって危険だと思う。
もしそういう理屈を述べ立てたいのだとしても、よっぽど慎重にやらないと拙い。
イヤやらないのが一番だけども。
そんな風に思った次第。
どんな話でも、突っ込んで話を聞かないかぎり即断するのは危険だよ、というのを教えてくれるいい本です。おススメ。