afurikamaimaiのブログ

テキスト打ちのリハビリのはずだったが、今は路頭に迷ってる

いいセクハラ。悪いセクハラ。

セクハラやパワハラまるっとNGっていう原則を共に出来ない人間とはまあなんというか無理だな、と感じる。

 

つか「はあちゅうの被害は誰よりも重いよ」派の人たちさ。

心情としては分かるよ、当事者の周辺なら。

けど自分の中で

岸>はあちゅう

「リアルな力関係と閉鎖環境の中ではあちゅうにぶつけられたゲスな所業はNG」

 

はあちゅう>不特定多数(童貞や低偏差値)

「オープンな場でふわっとした力関係で不特定多数に向けられたゲスいセリフはエンターテイメント」

 

って判断するその発想はキモいよ。何様なの?

いつ誰がおまえらにその不特定多数の「心の痛み」を判定するスキルを与えたのよ?

 

それにさ。

「ふわっとした力関係」といいつつ、尻馬に乗るしか能のない連中が

はあちゅうは正しい」

「クソ童貞ども(低偏差値ども)黙れ」

ってな具合に数に恃んで公開リンチやってるこのクソい権威主義的な雰囲気。

ツイッターだからエンターテイメント?

ぶん殴られてる側が声を上げたら「弄り」や「娯楽」で済ませようとするあたり、ホントにいじめっ子メンタルが染み付いてるね。

んでちょっと形勢不利になると「繊細だなww」みたいに逃げを打つ。

人間の有様としてこのみではないというか、そこまでへっぴり腰なら大上段に正義振りかざさずに「俺は自分を棚に上げている」って言えよ。反吐が出る。

 

 

失礼。

少々言葉がすぎたかと思う。

けど誰がやろうと軽重問わず「ならぬことはならぬ」だろうよ。

あえて必死こいて「セクハラ・パワハラの濃淡」を判定して

「このラインからこっち(俺たち)はセーフ」って思いたがるのは

今までの自分たちの生き方を根底からひっくり返されることになる人がそれだけ多いってことなんだろうな。

殴られてる当人の痛みを想像せずに、外部やより上位からそれはNGじゃろ? って突っ込まれたら

「じゃれあってるだけだよ、なっ?」

って殴られてる相手を威圧しながら肯くように仕向けるクソガキの振舞いを深く内面化したまま成長すればそうなるんだろう。

哀れみを覚えるが、そういう生き方が染み付いてる連中は少なくない。

いじめ・パワハラ・セクハラには軽重があって、その中でも俺のやってるのは免罪されるタイプの微罪であることよ、みたいな自己免責の感覚・社会的な了解があるからこそ

 

「俺もむかしヤンチャしたもんよ」

 

などというタワケた武勇伝を騙るクズが一杯一杯なんだろう。

「いやそれ普通にダメっす」

つったら「相手も喜んでた!!!」って逆ギレね。

※何度かそういうのに当たってメンドクサイな、ってなってスルーしはじめた吾も消極的ながら共犯だよな、と書いてて思う。止めなきゃクズは増長する。

でも我が身可愛さで止めなかったヘタレが吾。はあちゅうの告発はホント勇気あるわ。

 

吾の周りが突出して人としての矜持の薄い連中だらけなのかもしれないし、そう思いたいけど、どうもそうじゃない雰囲気がいっぱい嗅ぎ取れた今回のネタ。

 

セクハラ・パワハラの根絶を本気で願うのなら、

※ただし罪の軽重は俺が決める。

※ただし俺の振舞いは除く。

みたいな例外規定を設けるのは悪手だと思いますよ。

自らのうちにもある(吾のうちにもある)ろくでもなさと正面から対峙することなく、今たまたま浮かんできた目立つ加害者だけぶん殴って超スッキリ、ってのはただの逃避だと思いますけどね。

 

人間は己の痛みに敏感な割に、人の痛みにはすげえ鈍感だし、鈍感になれる。

だから誰でも被害者にもなりうるし、加害者にもなりうる。

自分の心のこのめちゃくちゃなよわっちさを認めて

我らの中に元々あるこの鈍感ゆえの加害性をどうにかして折り合いをつけたいのだが、という問い立てにしないかぎり、問題の解決はありえないと思います。