afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

リーチしやすいところだけ書くのはジャーナリズムではない。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190328/k10011864381000.html

 

私たちは引き続き、“霞が関”のリアルな実態や、そこで何が起きているのか、取材を続けたいと思っています。さまざまなエピソード、さらに、そこで働く人たちの(総合職・一般職問わずです)訴えたいことでも結構です。

 

 

俺のニュースのニーズはそこにはない。

 

https://www.mhlw.go.jp/content/11704000/000360736.pdf

内閣法制局

金融庁

警察庁

厚生労働省

海上保安庁

原子力規制委員会

 

これらはなぜ「障碍者雇用の水増し」に手を染めずに済んだのか

調べてくれないかな。

ほかの省庁は簡単に水増しに手を染めたわけだが、それをしなくてよかった組織は何が違ったのか。

規模の問題?

なるほどそうかもしれないが、海保と観光庁は御覧の通り同規模でかたや遵守・かたや水増しだよね。

この辺深掘りしてほしい。

お涙ちょうだい浪花節もいいけどさ。

俺の好みじゃないです。

 

ヒトの働きを門前払いしてる連中のお涙ちょうだいストーリー、響くと思ってんの?

 

光と闇と。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1903/26/news113.html

 

オリエンタルランドは、「労災が認められたということは認めるが、認定されたからといて安全配慮義務違反があるということではありません」

 

どんな仕事にも合う人合わない人がいて、それはしょうがない。

けどきちんとしたルールで認められた労災を否定するような振舞いを

「それが現実」

っていう風になるのはどうにも分からない。

いや、そっちの方がいろいろ捗るのは分かる。

異分子排除してシンパだけのカルトい職場でニコニコ生産性、ってのも分かるし

いちいち邪魔くさいのに「ご配慮」しなくちゃいけないのがイラつくってのも分かる。

 

分かるけどさ。

それを大っぴらに出さずに

「ルールだししゃーない」

「決まってる以上は呑み込まないと」

みたいにして、外側にはなるべく漏らさないようにしてたのが大人さんだと思ってた。

子供の頃は。

 

いつからだろうか。

異分子なら大っぴらにぶん殴ってOK、という雰囲気がわりと世の中蔓延するようになったのって。

建前論として「それはいけない」っていうのをかなぐり捨てて

「そんなのタテマエじゃん」って冷笑するのがカッコイー! ってなるようになったのは。

 

異分子をネガティブに思う心そのものは否定しないし、否定できない。

自分の中にもそれはあるから。

ただ、それを曝け出して見せることに躊躇を覚えなくなるのはヤバいんじゃねーかな、って思う。

 

オリエンタルランドのこれ、ひどいな、って思うしブコメも多数はそうなんだけども、場所が変わったらきっとコレとは異なる反応になるんだよね。

「子供の夢を壊すな」という正義を嵩に着て

「そもそもこういう撥ねっかえりの足手まとい労働者が居るのがおかしい」

ってのにいいねがいっぱい集まるような環境。

 

そういうのはあってもいい。

あってもいいけど、労災認定というごくごく最低限のラインをも割ってぶん殴り続けることが「正しいこと」として大っぴらに流通するのは本当に怖いと思う。

 

気に入る奴も、気に食わない奴も、ひとまず受け入れられるであろう最低限の「ルール」を超えて、

踏み止まる線を越えて本音をぶっちゃける快感と冷笑趣味に突っ走っていって、この先にいったい何が待っているんだろう。

 

どんなルールすらも、ムラの中に入ってしまえば無効化できる、無効化することを疑問としない大人たちの振舞いは、好みではありません。

 

社会が不寛容になってる…ってのが数日前に話題になってたけど、あれってこういう環境の裏返しなのかな、って思ったりもする。

なんでそう思うのかちょっとうまく説明できないけど、ムラ内での無秩序を抑制することができないから、ムラの外に対してはその反動で思いっきり厳格になっちゃうのかな、と。

 

結論のない話。

とはいえ、ホスピタリティだのおもてなしの裏で

「俺たちのブランドイメージ潰したらどうなるか分かってんよな?」

「労災だの労基署だの関係ねえよ。俺たちは夢を売ってるんだ」

って恫喝がムラの内側に向けて陰に陽に発揮されてるんだろうな、っていう大人の事情が、ボロボロ零れて垣間見えるのは、だれも幸せにならないだろうな、と思いました。

覇者の戦塵1945

去年…もとへ一昨年のそれと合わせてしんどい。

ダメージが大きい。

戦略爆撃阻止」については辛辣な書評を見かけたこともあって、感情的に反発してる部分もあったが、今回ばかりは認めざるを得ない。

よかった探し心理的にキツい。

むりやり褒めてるのを自分で自覚しながら褒めるというのは、好きな作家にはしちゃいかんことだと思う。

 

これは出すべきじゃなかったよ。

出せ出せとせっついたのは自分だけども。

 

付き合った以上見届けたいが、見届けちゃいけない気がする。

どうやってこのモヤモヤを処理してきたんだろうな、先人たちは。