afurikamaimaiのブログ

この道は行き止まりだ。引き返せないよ。

内縁の妻

テキスト読みながらちょっと不満がたまるんやで。

過去問持ってればすぐ分かるんやろうけどあいにくまだ持ってない。

(H22-23 ウ)ね

 

被相続人の内縁の妻が、被相続人の死亡後も、被相続人と同居していた相続財産である建物に引き続き居住している場合には、その内縁の妻は、その建物の所有権を取得した相続人に対し、その建物について賃借権を主張することが出来る」

ってヤツ。

 

答えは ×(出来ない)

なぜなら内縁の妻は法定相続人じゃないので。

賃借権は相続人が承継するんやで、って話なんだけどさ・・・

問題文には「被相続人と同居していた相続財産である建物」ってあるだけで

その建物が

「内縁のダンナが賃借していた借家」なのか

「内縁のダンナの持家」なのか判然としないんやな。

 

問題文だけ読んだ時は

相続人が被相続人(内縁のダンナ)に代わるオーナーになったから

引き続きその家に住みたい内縁の妻はオーナーになった相続人に

「この家はアタシが借りるんや!!」って賃借権を主張したってことなのかな?

って思って、○(賃借権を主張できるよ)したんよね・・・大間違いでした。

 

学習が足りないせいもあるのだろうけど、回答の短い解説読んだときは

「相続人は所有権を相続しました」ってことはこれ、被相続人の持家って意味じゃないんかい?

って疑問が湧いたり

「回答どおりならこれ相続人は所有権と賃借権を同時に承継したってことで

つまり賃借人という奴は「所有権」と「賃借権」を両方持ってるってことなんかい?」

って疑問が湧いたり。

 

たぶんこれ正誤問題ではなく「選択肢の中から正しい肢を選べ」とかって系列の中の一つの肢だったんだろうけど、そうなると本文に「持家」か「借家」かの明言があったと思うんだよね。

そこをスコッと抜いて肢だけを取り出されても、ちょっと混乱するなぁと思った次第。

内縁の妻は「そもそも内縁のダンナから法定相続できるものがねえ」という大前提をキッチリ抑えておかないとすぐ勘違いしてしまう。

 

アカン。

アカンで、としくん。

独学やってるとテキストで疑問が湧いたときに答えが出ないのが辛すぎるで、としくん。

とりあえず過去問の解説が充実してる問題集を買ってきたほうがええのかも分からんね。

 

 

棚ぼたの国

笹の葉下げてる家がめっちゃ減りましたね。

子供の頃・・・もう四半世紀以上前にはどこの家でも玄関先庭先に下げてたもんでした。

小学校なんかでは体育館の中に竹林から切り出してきた馬鹿でかいのを据えてたりしたなぁ。

アレは今でもやってるんだろうか?

今ではクリスマスツリーのほうが飾るご家庭が増えてるけど、七夕のほうが好きかな。

竹の匂いがいいってのと、子供の頃にはツリーはあったもののプラッチックの安っぽい奴だったのがイメージとして根強いから、そのせいで七夕のほうがまだなんか情緒があると思ってしまうのかも。

リアル樅の木とか、絵に出てくるようなかっこいいクリスマスツリーは天然モノ探すの大変だけど、ご家庭でもリアル樅の木を仕立てたクリスマスツリーがさほど珍しくなくなってるというのは時代が大きく変わったのを実感せざるを得ない。

 

笹もツリーも、どっちもリアルなブツに触れられる今の時代ならクリスマスのほうがなんかいいものとして記憶に残るのかもしれないね。

願ってたらプレゼントが貰えたりもする実利があるし。

けど寒いのは嫌いだから、やっぱり僕は七夕のほうがいいな。

しかしなんでこれ「七夕」とかいて「たなばた」って読ませるんだろ?

どう考えてもそうは読まんやろ、って振り仮名ふっても違和感をもたれない名前ナンバーワンだと思う。

 

「七夕」って風習がまったくなかったとして

もし「七夕」って書いて「たなばた」って読ませる名前つけたりしたらDQNネームとして一気に拡散しそう。

雰囲気としては光宙(ぴかちゅー)よりも難読としてごく狭い界隈で一世を風靡するのではなかろうか?

楽をしてもクロウ苦労

40すぎて毎試合QSやって「今日は調子悪いのぅ」って言われるって不憫だよなぁって。

みんなちょっと期待値高すぎるのと違うか。

それを期待してしまうのは分かるけれども。

 

いったん高いところに登りつめてしまった人はなかなか降りられない。

登ったことないからわかんないけど、周りの期待にずっと応えようとするからだろう。

けどアタマもカラダも加齢とともにボロッちくなっていくわけで

「キャリアハイを毎年のように更新してください」

みたいなこと言われても困るでしょうね。

人間やめろって事じゃねーか。

 

衰えを自分でちゃんと受け止めようにも周りが

「まだまだいける」なんてキラキラした目で見上げてくれば

応えてやるか、って気分にもなるんだろうし・・・

かと言って加齢で衰えたからもうぜんぜん期待せーへん、みたいにファンが蜘蛛の子を散らすようにいなくなってもそれはそれでツライだろうし。

 

ところで「蜘蛛の子を散らす」って当たり前のように使ってるけど今まで見たこと一度もないんですが。

というか二匹以上の蜘蛛が集ってるというシーンすら覚えが薄いぞ・・・

廃墟というか空き家にそれぞれ巣を作ってる蜘蛛が3.4匹、柱の交叉する辺りに集ってるのは見たことあるけど、あれは群れてるとは言わないよな・・・

蜘蛛の子を散らすというときにイメージするのは

飴に取り付いたたくさんの蟻を子供が脅かして、蟻たちが四方八方に右往左往しながら散らばっていくというシーン。

あれとはまた違ったものなんだろうか?

 

閑話休題

プロスポーツ商売の人が成績を維持するためにステロイドやったり

人気商売の人がテンション維持するためにオクスリとかやったりするのは

本人の強欲ばかりではないんじゃないかなぁ、って思いました。

オクスリもステロイドもやってたらやった本人をぶったたいちゃうけど

やっちゃうまでに追い込んでしまう周りの環境というのにもちょっと目を向けてみたいな。